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提供: 新纂浄土宗大辞典

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1133〜  1301〜  1401〜  1501〜  1601〜  1701〜  1801〜 1901〜  2001-2015

1133-1300

西暦 年号 干支 主要事項 参考事項
1133 長承2 癸丑 4・7 法然、美作国久米南条稲岡荘に生誕〈弘願本
1141 保延7/永治1 辛酉 春  漆間時国、明石定明の夜襲により傷死〈私日記
是年 法然菩提寺観覚の室に入る〈四巻伝
1147 久安3 丁卯 春  法然比叡山に登り源光の室に入り、四月皇円の室に移る〈四十八巻伝
仲冬 法然比叡山戒壇院受戒知恩講私記
1150 久安6 庚午 是年 法然黒谷隠遁叡空に師事〈四十八巻伝 冬  藤原通憲、『本朝世紀』を撰述
1156 久寿3/保元1 丙子 是年 法然、嵯峨清凉寺参籠、ついで南都蔵俊をたずねる〈四十八巻伝 7  保元の乱
1161 永暦2/応保1 辛巳 是年 法然、醍醐寺の寛雅に師事〈四十八巻伝
1162 応保2 壬午 5・6 聖光、筑前国香月荘に生誕〈聖光上人伝
1164 長寛2 甲申 是年 法然仁和寺慶雅に師事〈四十八巻伝 12 後白河上皇、三十三間堂供養
1168 仁安3 戊子 是年 聖光菩提寺に入り妙法に学ぶ〈聖光上人伝
1171 承安1 辛卯 是年 感西法然の室に入る〈四十八巻伝 12 平徳子(建礼門院)入内
1175 承安5/安元1 乙未 春  法然浄土宗開宗私日記
是年 法然、西山広谷に居を移し、のちに東山吉水に移す〈四十八巻伝
是年 法然、高倉院に一乗円戒を授く〈四十八巻伝
是年 聖光、登壇受戒する〈聖光上人伝
1179 治承3 己亥 夏  法然上西門院で七日間説戒十巻伝 2  叡空入寂
1181 治承5 辛丑 閏2・23 法然、藤原邦綱の臨終知識となる〈玉葉
6  法然東大寺大仏殿大勧進を固辞し、俊乗房重源を推挙〈四巻伝
3  親鸞出家
8  重源東大寺勧進となる
1183 治承7 癸卯 是年 聖光比叡山に登り、観叡の室に入る〈聖光上人伝
1184 治承8/元暦1 甲辰 2・7 法然平重衡教化九巻伝 2  一ノ谷の戦い
1186 文治2 丙午 秋  法然顕真に招かれ、大原浄土の法門を講説(大原問答)〈四十八巻伝 3  九条兼実、摂政となる
1189 文治5 己酉 8・1 法然九条兼実に招かれ、法門および往生業を説く。八日兼実に授戒、兼実その後念仏を始める〈玉葉 4  藤原泰衡、源義経を殺す
1190 文治6/建久1 庚戌 2・1 法然重源の求めに応じて、この日より東大寺に「浄土三部経」を講説〈無量寿経釈
2・26 法然後白河法皇授戒四十八巻伝
7・23 法然九条兼実授戒。恒例の念仏を始める〈玉葉
是年 聖光比叡山から九州へ帰る〈聖光上人伝
1  兼実女任子入内、女御となる
10 東大寺大仏殿上棟
1191 建久2 辛亥 3・13 法然東大寺十問答を行う〈東大寺十問答
3・13 後白河法皇往生善知識を勤める〈授手印
7・28 法然九条兼実授戒(同年八月二一日、一〇月六日にも授戒)〈玉葉
9・29 法然宜秋門院任子に授戒玉葉
是年 聖光油山学頭になる〈聖光上人伝
7  栄西帰国
1192 建久3 壬子 8・8 法然九条兼実授戒玉葉
11・15 法然、甘粕太郎忠綱の帰依をうける〈九巻伝
秋  法然後白河法皇追善菩提のために六時礼讃諷誦する〈四十八巻伝
3  後白河法皇
1193 建久4 癸丑 3  法然、熊谷直実の帰依をうける〈粟生光明寺絵縁起
是年 聖光、舎弟三明房の絶入を目の当たりにし、所学の法門を捨てて往生行業を求める〈聖光上人伝
1194 建久5 甲寅 是年か 法然、外記禅門師秀に請ぜられ、五〇日間逆修説法する〈大谷旭雄逆修法会の成立史的研究」『法然浄土教とその周縁』坤〉
1195 建久6 乙卯 3・21 法然、津戸為守の帰依をうける〈九巻伝 3  東大寺落慶供養
1197 建久8 丁巳 3・30 法然九条兼実授戒玉葉
5  聖光法然吉水に訪問、帰伏入室する〈聖光上人伝
是年 法然、病を受ける〈四十八巻伝
10 幕府、八万四千基小塔を作り、保元の乱以後の戦没者を供養
1198 建久9 戊午 1・1 法然、この日より別時念仏を行い三昧発得する〈三昧発得記
春  法然、『選択本願念仏集』を撰述〈決疑鈔
春  聖光、再び入洛し、法然より『選択集』を伝受〈聖光上人伝
4・8 法然、『没後遺誡文』を書く〈同書〉
5・1 法然、夢中に善導現れる〈四十八巻伝
是年 幸西法然の室に入る〈四十八巻伝
是年 栄西、『興禅護国論』を著述
1199 建久10/正治1 己未 7・27 良忠、石見国三隅荘に誕生。父・円尊、母・伴氏〈然阿上人伝 1  源頼朝寂
1200 正治2 庚申 閏2・6 法然感西の臨終知識となる〈四十八巻伝
9・30 法然九条兼実の妻(北政所)病気により、この日と一〇月一日、二日に授戒する〈玉葉
閏2 北条政子、寿福寺を建立
5  幕府、念仏宗を禁止
1201 正治3/建仁1 辛酉 10・17 宜秋門院任子、法然戒師として出家明月記
春  親鸞法然の室に入る〈古徳伝
是年 藤原隆信法然について出家四十八巻伝
11 後鳥羽上皇藤原定家らに『新古今和歌集』の撰進を命じる
1202 建仁2 壬戌 1・28 九条兼実法然について出家明月記
2・21 高畠少将、法然に謁す〈三昧発得記
8・30 法然雲居寺に参詣〈四十八巻伝
是年 長西法然の室に入る〈浄土法門源流章
是年 栄西建仁寺、重源伊賀国新大仏寺を創建
1203 建仁3 癸亥 7  法然吉水を出て小松殿に移る〈四巻伝
1204 建仁4/元久1 甲子 2・17 法然、伊豆山源延のために「浄土宗略要文」を集録〈同書〉
3・14 法然隆寛に『選択集』を授ける〈四十八巻伝
8  聖光、筑後に帰り、浄土宗弘通聖光上人伝
10 山門衆徒蜂起し、天台座真性専修念仏の停止を訴える〈九巻伝
11・7 法然、『七箇条制誡』をつくり門弟を誡め、『送山門起請文』を撰述し座主真性に送る〈七箇条制誡
11・28 『選択集』当麻往生院本成立〈往生院選択集
是年 法然後白河法皇の一三回忌追善供養を勤める〈四十八巻伝
4  東大寺塔の造営開始
7  源頼家、修善寺で殺される
1205 元久2 乙丑 1・1 法然霊山寺において三七日の別時念仏を始める〈四十八巻伝
1・21 法然尼女房達に戒を授ける〈四十八巻伝
3  法然聖光消息を送る〈善導寺消息
4・5 法然月輪殿に参じ、頭光を現す〈四十八巻伝
8  法然瘧病にかかる〈四十八巻伝
10・18 法然津戸三郎為守に書状を送る〈九巻伝
10 興福寺貞慶、九箇条を挙げて、法然念仏を弾奏〈興福寺奏状
12・29 興福寺への宣旨が下り、弾圧をまぬがれる〈四十八巻伝
2  藤原隆信入寂
3  『新古今和歌集』完成
8  宇都宮頼綱出家
1206 元久3/建永1 丙寅 2・14 院宣により行空遵西の二人逮捕〈三長記
11・27 大宮実宗法然戒師として出家四十八巻伝
11 高弁明恵高山寺を創建
是年 平基親出家
1207 建永2/承元1 丁卯 1・1 法然、熊谷直実に消息を送る〈清浄華院文書〉
2・9 住蓮安楽、六条河原で死刑〈四十八巻伝
2・27 法然、院宣により土佐に配流。三月一六日京都を出発、室の泊を経て、二六日讃岐国塩飽の地頭高階保遠の館に到着〈四巻伝
12・8 法然、勅免により摂津国勝尾寺に入る〈四十八巻伝
4  九条兼実入寂
1209 承元3 己巳 6・19 法然一念義停止の起請文を記す〈四十八巻伝
是年 幸西弟子等、北陸に一念義弘通法然光明房一念義に対する書状を送る〈四十八巻伝
是年 良忠、父の館で三智の『往生要集』の講説を聞き浄土を欣慕する〈然阿上人伝
1211 承元5/建暦1 辛未 2  良忠、出雲の鰐淵寺に登り、信暹に師事する〈然阿上人伝
11・17 法然、入洛の宣旨下る。二〇日法然、入洛して東山大谷に住む〈御臨終日記
11 平基親、『選択集』序文を作り、ついで建暦版を開版〈延応版選択集
4  俊芿帰国
是年 栄西、『喫茶養生記』を著述
1212 建暦2 壬申 1・23 法然源智に『一枚起請文』を授く〈金戒光明寺一枚起請文
1・25 法然、入寂〈四十八巻伝
11・23 明恵、『摧邪輪』を著述し、『選択集』を批判〈同書〉
春  門弟ら、法然中陰法事を行う〈四巻伝
3  鴨長明、『方丈記』を著述
1213 建暦3/建保1 庚酉 3・23 源実朝、浄蓮・浄遍らを召し、浄土・法華両宗の趣旨を聞く〈吾妻鏡 2  貞慶入寂
1214 建保2 甲戌 1  聖覚真如堂法然回忌報恩の融通念仏を行う〈四十八巻伝
是年 良忠出家する。一一月に登壇〈然阿上人伝
是年 親鸞、上野から常陸へ移る
1216 建保4 丙子 是年 良忠浄土門に入る〈然阿上人伝
是年 良忠法照大聖竹林寺記』を読み、浄土教に心をよせる〈然阿上人伝
1219 建保7/承久1 己卯 2・8 専修念仏停止の宣旨下る〈高祖遺文録〉 1  源実朝、公暁に殺される
1220 承久2 庚辰 3・23 静遍法性寺で『選択集』を講説。宜秋門院これを聴聞〈玉葉 是年 慈円、『愚管抄』を著述
1221 承久3 辛巳 是年 但馬宮雅成親王隆寛聖覚明禅らに宗義を問う〈四十八巻伝 5  承久の乱
1224 貞応3/元仁1 甲申 5・17 延暦寺三綱、念仏門に六箇条の過失ありとして念仏停止強訴。六月二九日宣旨を下して、天台座円基衆徒の蜂起を制止させる〈停止一向専修記〉 4  静遍入寂
6  明遍入寂
是年 親鸞の『教行信証』完成
1226 嘉禄2 丙戌 秋  信空、惟宗忠義の宗義不審一四箇条に答える〈広疑瑞決集 2  信阿『別時念仏講私記』を書写
1227 嘉禄3/安貞1 丁亥 6・22 延暦寺衆徒専修念仏の隆盛を嫉み、法然の墳墓を破却。門弟ら遺骨を移す〈四十八巻伝
7・6 院、延暦寺の訴えにより、隆寛・空阿・幸西を配流し、ついで専修念仏を停止〈民経記〉
8・27 延暦寺衆徒専修念仏者の代表的人名をあげる〈民経記〉
10・10 幕府、専修念仏の停止を守護・地頭に伝える〈高祖遺文録〉
10・11 延暦寺衆徒選択集』の版木を焼却〈選択集文前綱義
12・13 隆寛長楽寺律師)入寂〈明義進行集
3  俊芿入寂
是年 道元帰国
1228 安貞2 戊子 8・12 信阿、『知恩講私記』を書写〈同書〉
10・25 聖光、肥後往生院において四八日別時念仏を行う〈授手印
11・28 聖光、『末代念仏授手印』を記す〈同書〉
12・4 聖光、宇土西光院にて別時念仏を行い再び『末代念仏授手印』を記す〈生極楽伝承授手印
1  空阿入寂
1230 寛喜2 庚寅 10・2 尊性法親王藤原信実善導像を写させる〈明月記 是年 証空三鈷寺に塔を建立
1231 寛喜3 辛卯 是年 聖光、『念仏名義集』を撰述〈同書〉
1232 寛喜4/貞永1 壬辰 3  良忠、石見国多陀寺に隠棲し、不断念仏を修す〈然阿上人伝
4・21 入真、『往生西方浄土瑞応刪伝』を校合し、ついで開版〈同書刊記〉
10・5 入真、『般舟讃』を書写し、ついで開版〈貞永本般舟讃刊記〉
1  高弁入寂
8  「御成敗式目」制定
1233 貞永2/天福1 癸巳 1・25 湛空法然の遺骨を二尊院雁塔に納める〈四十八巻伝
1234 天福2/文暦1 甲午 6・30 専修念仏停止の宣旨下り、藤原教雅を配流〈高祖遺文録〉
是年 源智大谷の旧房を再興〈旧記採要録〉
1235 文暦2/嘉禎1 乙未 7・24 幕府、黒衣を着けた念仏者の都鄙往来を禁止する〈吾妻鏡 3  聖覚入寂
1236 嘉禎2 丙申 9・8 良忠、筑後天福寺聖光と対面〈然阿上人伝
是年 源智異端者のために『選択要決』を撰述〈同書〉
10 道元、興聖寺を創建
1237 嘉禎3 丁酉 4・10 良忠聖光より『末代念仏授手印』を授かる〈新知恩院蔵同書〉
4・20 聖光、『浄土宗要集』を撰述〈同書〉
6・25 聖光、『徹選択本願念仏集』を撰述〈同書〉
7・6 良忠聖光より後継者として推される〈然阿上人伝
8・1 良忠聖光より璽書を受ける〈然阿上人伝
8・3 良忠、『領解末代念仏授手印』を著述〈同書〉
8・23 聖光、『識知浄土論』を著述〈同書〉
8  良忠、故郷に帰り、以降一〇年ほど安芸国等を教化遍歴する〈然阿上人伝
11・25 湛空、筑前国住人源光忠図画の『本朝祖師伝記絵詞』を作る〈同書〉
3  慈円、慈鎮の諡号を賜わる
10 信濃善光寺五重塔供養
1238 嘉禎4/暦仁1 戊戌 2・29 聖光、入寂〈聖光上人伝
12・12 源智、入寂〈四十八巻伝
3  鎌倉大仏創建
1239 暦仁2/延応1 己亥 3・6 『選択集』(延応版)刊行〈法然院蔵同書刊記〉 2  一遍生誕
1240 延応2/仁治1 庚子 5・14 延暦寺衆徒僉議して専修念仏の停止をはかる〈高祖遺文録〉 3  凝然生誕
1242 仁治3 壬寅 9・25 平経高、四十八時念仏を行い、二九日結願平戸記 5  明禅入寂
1243 仁治4/寛元1 癸卯 秋  信寂、遠江国に下向し、念仏弘通四十八巻伝 是年 當麻寺曼陀羅堂建立
1247 寛元5/宝治1 丁未 4・14 一念義幸西、入寂〈法水分流記
11・26 西山派祖証空、入寂〈法水分流記
8  北条時頼道元を鎌倉に招く
10 法隆寺三経義疏」を開版
1248 宝治2 戊申 春  良忠、上洛して聖覚の妹浄意尼に『選択集』を講説。ついで信濃善光寺に行き、『観経疏』を講説〈然阿上人伝 1  親鸞浄土和讃』『高僧和讃』を著述
1250 建長2 庚戌 2・11 良忠、『浄土大意抄』を著述〈同書〉 10 親鸞唯信鈔文意』を著述
1251 建長3 辛亥 2  良忠然空に『授手印』を授与〈宇和島大超寺向阿筆同書〉 11 嵯峨往生院念仏房入寂
1253 建長5 癸丑 7・27 湛空、入寂〈四十八巻伝 1  道元正法眼蔵』を著述
4  日蓮、鎌倉で説法
1254 建長6 甲寅 8  良忠鏑木入道在阿の請により『選択伝弘決疑紗』を撰述〈同書〉
10 良忠、江の禅門の請により『三心私記』を著述〈同書〉
12・20 良忠、下総国福岡郷において『観経疏定善義を講義(翌年二月六日)〈金沢文庫定善義聞書〉
6  心地覚心帰国
1255 建長7 乙卯 3・4 良忠、下総国福岡郷において『観経疏』玄義分を講義(~五月一七日)〈金沢文庫蔵玄義分聞書〉
1256 建長8/康元1 丙辰 3  良忠、下総国米倉郷において『往生論註』の講義を行う〈金沢文庫無量寿経論註聞書〉
8・16 良聖、常陸国小野郷において、良忠の『群疑論』講義録を書写〈金沢文庫群疑論見聞
8  信瑞、洛東弘願寺で『広疑瑞決集』を著述〈広疑瑞決集
9・4 良聖、常陸国小野郷において、良忠の『法事讃』講義録を書写〈金沢文庫法事讃聞書〉
5  親鸞、善鸞を義絶
1257 康元2/正嘉1 丁巳 1・14 良聖、上総国常楽寺において、良忠の『往生礼讃』講義録を書写〈金沢文庫往生礼讃聞書
2・7 良忠鏑木入道在阿の請により『決答授手印疑問鈔』を著述〈同書〉
3・21 良忠、下総国光明寺で『観経疏伝通記』を起草〈同書〉
1258 正嘉2 戊午 3・29 良忠、下総国西福寺において『観経疏伝通記』を記し終える〈同書〉
9・21 良忠、『浄土宗行者用意問答』を著述〈同書〉
是頃 良忠荒見弥四郎・椎名八郎らと不和になり、鎌倉へ移住〈決答授手印受決鈔〉
1260 正元2/文応1 庚申 3・26 良忠、『徹選択集鈔』を撰述〈同書〉
6・17 良忠、『浄土宗要集聴書』を著述〈同書〉
7  日蓮立正安国論』を著述
1262 弘長2 壬戌 7・21 良忠、高野敬忍房の請により『観経疏略鈔』を著述〈諸記要語類聚〉 11 親鸞入寂
1265 文永2 乙丑 7・6 道光、『往生論註略紗』を撰述〈同書〉
1266 文永3 丙寅 1・6 長西、入寂〈新抄〉 1  日蓮『法華題目抄』を著述
1269 文永6 己巳 10 良忠、『選択集略紗』を撰述〈諸記要語類聚〉
12 道忠、『釈浄土群疑論探要記』を著述〈諸記要語類聚〉
是年 良暁比叡山に登り仙暁に師事。翌年受戒述聞制文
3  蒙古使黒的ら高麗使と対馬に来て返牒を要求
1270 文永7 庚午   良暁良忠の門に入る〈述聞制文
1271 文永8 辛未 7  良忠、忍性・道教とともに、行敏に日蓮に対する訴状を提出させる
是年 慈心然空良忠の室に入る〈述聞制文
1272 文永9 壬申 1・16 良忠、鎌倉悟真寺の房地ならびに免田を良暁に譲与〈鎌倉光明寺文書〉 冬  覚信尼、親鸞の墳墓を大谷に移し、堂を建てて影像を安置
1274 文永11 甲戌 1・16 良忠、鎌倉悟真寺で『伝通記』の治定を始め、翌年一一月一六日完了〈同書〉
12・8 道光、『黒谷上人語灯録』(漢語)を編纂〈同書〉
5  日蓮、身延山久遠寺を開創
11 蒙古船、暴風雨のため漂没
1275 文永12/建治1 乙亥 1・25 道光、『黒谷上人語灯録』(和語)を編纂〈同書〉 9  幕府、元使を竜口で斬殺
1276 建治2 丙子 9・23 良忠性心付法大光院藤田派授手印添書〉
9  良忠然空らの招請により上洛〈然阿上人伝
是年 一遍、九州に赴き聖達に会う
1277 建治3 丁丑 2・22 良忠然空に『授手印』を授与〈宇和島大超寺向阿筆同書〉
9  良忠毘沙門堂阿弥の問に答えて『選択疑問答』を撰述〈同書〉
11 覚信尼、親鸞門弟に廟堂敷地の譲状を書く
1279 弘安2 己卯 11・29 良忠道光に「円頓戒」を授与〈清浄華院円頓戒譜〉 6  無学祖元ら来朝
1280 弘安3 庚辰 2・8 良忠道光に『授手印』を授与〈新知恩院蔵同書〉 是年 一遍、奥州を教化
1282 弘安5 壬午 12 良忠、『安楽集私記』を著述〈同書〉 10 日蓮入寂
1283 弘安6 癸未 3  顕意、『浄土疑端』を著し、『観経疏』に関する一二〇の疑端を挙げ世に問う〈同書〉
5・22 恵鑁、『明義進行集』を書写〈同書〉
10 日照ら、日蓮の遺文を集録
1284 弘安7 甲申 7・29 道光洛陽万寿寺方丈仏前で覚空より「円頓戒」を受ける〈清浄華院円頓戒譜〉
12・16 道光、『聖光上人伝』を著述〈同書〉
春  俊聖、加賀金沢で踊躍念仏を行う
1285 弘安8 乙酉 2・14 証忍、顕意の『浄土疑端』に答えて『観経義賢問愚答妙』を撰述〈同書〉 是年 円覚寺舎利殿完成
1286 弘安9 丙戌 8  良忠良暁に九条の袈裟・松影の硯、三代授与の『阿弥陀経』を譲る〈鎌倉光明寺文書〉
9・6 良忠良暁付法〈鎌倉光明寺文書〉
9・18 良忠、鎌倉へ下向〈然阿上人伝
11・7 良忠、「浄土布薩一乗戒」を良暁に授与〈鎌倉光明寺文書〉
2  叡尊『感身学生記』を編纂
9  無学祖元入寂
1287 弘安10 丁亥 5  良暁、『浄土述聞鈔』を著述〈同書〉
6  良忠、『伝通記』以下の文釈および明王相伝の『釈論』等抄物を良暁に譲る〈鎌倉光明寺文書〉
7・6 良忠、入寂〈然阿上人伝
8  道光慈心の請により『然阿上人伝』を撰述〈同書〉
11 俊聖入寂
1290 正応3 庚寅 8  良厳、『浄土宗問答集』を著述〈同書〉
12 良暁尊観・大淵ら鎌倉佐介谷に会し、「業事成弁」を論談〈浄土述聞口決鈔
3  叡尊入寂
1292 正応5 壬辰 3  聖護、『鎮西要略伝』を作る〈同書〉
1293 正応6/永仁1 癸巳 5・30 良心、『授手印決答受決鈔』を撰述〈同書〉
7  良忠回忌につき記主禅師諡号を賜わる〈光明寺開山伝〉
10・9 性心、自撰の『授手印決答見聞』を良心に授与〈同書〉
4  鎌倉大地震、建長寺など倒壊
1294 永仁2 甲午 9・13 寛恵、『本朝祖師伝記絵詞』を書写〈同書〉 是年 覚如『報恩講式』を著述
1295 永仁3 乙未 4・25 道光、『無量寿経鈔』を起草、翌年一月一三日脱稿〈同書〉
11・6 顕意、仙洞御所で東山義の了観と問答、一七日、『仙洞三心義問答記』を著し、これを奏上〈同書〉
10 覚如親鸞伝絵』(初稿)を著述
1296 永仁4 丙申 1・6 顕意、『浄土宗建立私記』を撰述〈同書〉
夏  道光、『選択集大綱鈔』を著述〈同書〉
3  円覚寺再建供養

1301-1400

西暦 年号 干支 主要事項 参考事項
1303 乾元2/嘉元1 癸卯 3・15 然空門弟専空、三条坊門高倉の専修院を証賢に譲与〈清浄華院文書〉 7  忍性入寂
1304 嘉元2 甲辰 3・27 良暁、鎌倉極楽寺道場で『決疑鈔見聞』を講説、六月四日終了〈同書〉
1305 嘉元3 乙巳 6・15 鎌倉光明寺蔵の『浄土五祖伝絵詞』完成〈鎌倉光明寺文書〉
1306 嘉元4/徳治1 丙午 8・5 覚唱、蓮華堂正本の『黒谷上人語灯録』(漢語)を書写〈同書古本〉
8・30 道光了忠に『授手印』を授与〈新知恩院蔵賢仙本同書〉
是年 道光、『浄土論註拾遺鈔』を著述〈同書〉
1307 徳治2 丁未 是年 後伏見院、『四十八巻伝』の詞書に筆を加え、伏見院・後二条天皇および尊円法親王世尊寺行尹らも協力、一〇余年を経て、正副二本各四八巻完成〈勅修御伝縁起 4  宗俊『一遍上人絵伝』一〇巻(金蓮寺)を作る
1309 延慶2 己酉 4・8 証賢、『往生至要訣』を著述〈同書〉
1311 延慶4/応長1 辛亥 1・25 法然の一〇〇年遠忌を行う〈旧記採要録〉 12 凝然浄土法門源流章』を著述
1312 応長2/正和1 壬子 2・28 良暁、『伝通記見聞』を著述〈同書〉
1313 正和2 癸丑 7  尊観良慶に「浄土弘通状」を授与〈果分述伝集〉
秋  良暁、下総の船木中務禅門の請により称名寺に住し、ついで『口伝鈔』を著述〈新撰往生伝
3  善光寺焼亡
是年 日進、身延山に入る
1314 正和3 甲寅 12 尊観、『浄土十六箇条疑問答』を撰述し、良暁の所説を論難〈同書〉 12 覚如存覚大谷管領を譲与
1315 正和4 乙卯 10・21 法然像(鏡御影)の版木作られる〈知恩院蔵同像版木 7  建長寺焼亡
1316 正和5 丙辰 3・14 尊観、入寂〈総系譜
6・18 証賢、『浄土四要義』を著述〈同書〉
1317 正和6/文保1 丁巳 1・20 道光、隆恵に『末代念仏授手印』を授与〈博多善導寺蔵同書〉
2・18 道光、隆恵に円頓戒を授与〈清浄華院円頓戒譜〉
9・8 証賢、「浄土三部経」を真如堂に納めることを置文する〈清浄華院三部経
是年 澄円、元に入り、廬山に登る〈総系譜
10 一山一寧入寂
1318 文保2 戊午 12 証賢、楽生作の阿弥陀仏像開眼供養〈当麻念仏院蔵同像〉
是年 慈観、『十六箇条事』を著述〈同書〉
10 延暦寺衆徒坂本の僧と日吉大宮に戦う、大宮罹災
1319 文保3/元応1 己未 11・26 道光了忠に重ねて相伝の趣きや抄物などを授与〈新知恩院蔵賢仙本授手印 1  他阿真教入寂
1320 元応2 庚申 7・6 良暁定慧付法〈鎌倉光明寺文書〉
12・16 如空、花園院に『選択集』を講説〈花園天皇宸記〉
1  日朗入寂
1321 元応3/元亨1 辛酉 3・6 如空知恩院八世)入寂〈花園天皇宸記〉 9  凝然入寂
1322 元亨2 壬戌 2・8 良暁、寂真に『授手印』および『決答口伝』を授与〈福井西福寺蔵同書〉
3・2 証賢、忠空に『授手印』を授与〈宇和島大超寺向阿筆同書〉
閏5・19 楽生入寂。八月三〇日証賢百箇日追善に『阿弥陀経』を摺写〈知恩院蔵同経〉
10・8 良暁、『浄土述聞追加』を著述〈同書〉
10 道光、『新扶選択報恩集』を著し、明恵の『摧邪輪』を論駁〈同書〉
6  存覚覚如の勘気を受け大谷を退去
8  虎関師錬元亨釈書』を著述
1323 元亨3 癸亥 10・7 証賢、清源に『授手印』を授与〈清浄華院蔵同書〉 是年 門徒覚如存覚の和解に努む
1324 元亨4/正中1 甲子 9・4 良暁、『浄土述聞見聞』を著述〈同書〉
9・22 良暁、賢仙に『授手印』を授与〈新知恩院蔵同書〉
1  存覚、了源の求めにより『諸神本懐集』を著述
1325 正中2 乙丑 3・15 良暁、『述聞制文』を著述〈同書〉
10 了延、『阿弥陀経』『選択集』などを開版〈浄厳院・久原文庫蔵同書〉
8  螢山紹瑾入寂
是年 相模清浄光寺建立
1327 嘉暦2 丁卯 10・14 証賢、是観に『授手印』を授与〈清浄華院蔵同書〉
12・9 良暁定慧に「円頓戒」を授与〈鎌倉光明寺文書〉
2  吞海入寂
1328 嘉暦3 戊辰 3・1 良暁光明寺二世)入寂〈総系譜 5  忍性、菩薩号を賜わる
1330 元徳2 庚午 3・29 道光、入寂〈新撰往生伝
9・29 蓮勝了実付法〈太田大光院文書〉
6  延暦寺一向宗の禁圧を評議
1331 元徳3 辛未 7  知恩寺空円、勅命により攘災の百万遍念仏を行う。験あって、弘法大師利剣名号百万遍寺号を賜わる〈知恩寺歴志略〉 8  後醍醐天皇、笠置へ逃れ、九月捕われる
1332 元徳4/正慶1 壬申 1・19 証賢、欣浄に『授手印』を授与〈伊賀上野念仏寺蔵同書〉 3  後醍醐天皇、隠岐に遷幸
1335 建武2 乙亥 1・14 舜昌知恩院九世)入寂〈華頂誌要 10 夢窓疎石、臨川寺を開創
1336 建武3 丙子 2・29 証賢玄心に伝法然作の阿弥陀仏像を授与〈清浄華院文書〉
6・2 証賢、入寂〈三井続灯記〉
11 足利尊氏、幕府を開く
是年 大谷親鸞御影堂焼亡
1338 建武5/暦応1 戊寅 是年 筑後善導寺、兵火に焼ける〈筑後善導寺誌要 11 大谷本願寺御影堂建立
1339 暦応2 乙卯 11・6 今小路高倉の百万遍堂(知恩寺)火災〈師守記〉 10 天龍寺建立
1340 歴応3 庚辰 4・2 智円、『選択集私聚抄』の述作を開始〈同書〉 2  浄阿の四条道場立柱
1342 暦応5/康永1 壬午 是年 智演、光明天皇の勅請により攘災を祈禱し、紫衣および澄円菩薩の号を賜わる〈鎮流祖伝 4  五山十刹を定める
11 日像入寂
1343 康永2 癸未 10・5 上北小路の百万遍寺(知恩寺)上棟〈祇園執行日記 11 『親鸞伝絵』(康永本)完成
1348 貞和4 戊子 是年 聖冏、常陸瓜連常福寺了実の室に入る〈了誉上人行業記 7  竺仙梵僊󠄁入寂
1349 貞和5 己丑 5・24 妙観、『開題考文抄』を著述〈同書〉 秋  国阿、丹波で念仏勧化
1352 観応3/文和1 壬辰 11・8 定慧良順付法〈鎌倉光明寺文書〉 閏2 延暦寺衆徒仏光寺を破却
1358 延文3 戊戌 3・18 敬法高野山大塔内の三摩耶戒壇で両部曼荼羅を受ける〈清浄華院誌要
是年 聖冏、相模の桑原道場定慧に対面〈了誉上人行業記
1359 延文4 己亥 8・10 定慧、『浄土述聞追加口決鈔』を著述〈同書〉 春  義堂周信、『空華集』を著述
1361 延文6/康安1 辛丑 1  法然一五〇年遠忌に当たり、慧光菩薩の号を賜わる〈旧記採要録〉
8・30 定慧良順に『述聞制文』を授与〈同書〉
10・7 聖冏、『浄土述聞追加口決鈔』を校合し、私の勘文を付ける〈同書〉
1  佐々木氏頼、近江永源寺を建立
是年 親鸞一〇〇回忌
1363 貞治2 癸卯 2・5 聖冏、『浄土真宗付法伝』を撰述〈同書〉
1365 貞治4 乙巳 11・25 知恩院、「黒谷上人御法語」ならびに「一枚起請文」を開刻〈知恩院蔵同版木 是年 国阿、兵庫一遍墓所に参詣
1368 貞治7/応安1 戊申 8・10 良如、越前西福寺の建立を開始〈西福寺文書 2  絶海中津ら入明
1370 応安3 庚戌 12・26 定慧(鎌倉光明寺二世)入寂〈新撰往生伝 4  信濃善光寺焼亡
1372 応安5 壬子 7・27 智演入寂〈総系譜 3  頓阿入寂
1373 応安6 癸丑 9・29 清源、『授手印』を法円に授与〈清浄華院蔵清源本同書〉 2  存覚入寂
1374 応安7 甲寅 7・19 誓阿普観知恩院一二世)入寂〈華頂誌要〉。これより先、當麻往生院を開いて隠棲し、法然木像・勅修御伝副本を移す〈旧記採要録〉 是年 観阿弥・世阿弥、今熊野神社神事猿楽を行う
1375 応安8/永和1 乙卯 是年 聖冏、下総国猿島郡に観音堂を建て、のち小山常繁の帰依を受け、常繁寺と改める〈蓮門精舎旧詞
1377 永和3 丁巳 7・13 聖冏、『破邪顕正義』(鹿島問答)を著述〈同書〉
1378 永和4 戊午 11 了実聖冏付法〈太田大光院文書〉
1381 康暦3/永徳1 辛酉 8  聖観、『選択口筆見聞』を著述〈同書〉
10・5 妙観良栄に『果分考文抄見聞』を授与〈同書〉
10 足利義満、妙葩・周信らと五山十刹の住持の制度を定める
1382 永徳2 壬戌 2・1 聖冏、『浄土略名目図』を著述〈経籍録〉 11 相国寺上棟、三門完成
1383 永徳3 癸亥 11・14 聖冏、下総国横曽根の談場において聖聡のために『浄土二蔵二教略頌』を撰述〈同書〉
是年 百万遍知恩寺、足利義満の命により小川の西に移る〈山城名勝志〉
11 錦織寺慈観浄土宗一流血脈譜系』を著述
1384 永徳4/至徳1 甲子 6・25 智玄、伊賀国名張の黒田庄に日本浄土祖師の石碑を立つ〈同碑文〉
1385 至徳2 乙丑 3・2 聖冏、『釈浄土二蔵義』を撰述、一〇月一四日これを聖聡に授与〈同書〉
1386 至徳3 丙寅 11・3 瓜連常福寺了実、入寂。ついで聖冏、同寺に住職新撰往生伝 7  幕府、南禅寺を五山の上とす
1387 至徳4/嘉慶1 丁卯 春  妙観、『阿弥陀仏十劫成仏事』を著述〈同書〉
7・20 聖冏、『顕浄土伝戒論』を著述〈小石川伝通院志
10 佐々木道誉、四条道場敷地を安堵
1388 嘉慶2 戊辰 2・21 瓜連常福寺類焼〈了誉上人行業記 4  義堂周信入寂
8  春屋妙葩入寂
1390 康応2/明徳1 庚午 夏  聖冏、『二蔵義見聞』を著述〈鎮流祖伝
7・24 越前西福寺良如、勅願所の綸旨を賜わる〈新撰往生伝
11・24 聖冏、『領解授手印徹心抄』を撰述〈同書〉
11・26 聖冏、『往生記投機抄』を撰述〈同書〉
12・6 聖冏聖聡に『決答授手印疑問抄』を授与〈同書〉
12・13 聖冏聖聡に『授菩薩戒儀則』を授与〈同書〉
7  成阿『融通念仏縁起』を開版
9  等持寺、十刹の列に加わる
1391 明徳2 辛未 4・18 聖冏、『心具決定往生義』を著し、道光明心の所説を論破〈同書〉 12 明徳の乱
1392 明徳3 壬申 5・27 聖冏聖聡に『領解授手印徹心抄』、六月五日『心具決定往生義』を授与〈同書〉
8・23 聖冏良暁口筆、定慧記録を補い、『決答疑問銘心抄』を撰述〈同書〉
閏10 後亀山天皇、北朝の後小松天皇に神器を譲る
1393 明徳4 癸酉 12・20 聖冏聖聡に『決答疑問銘心抄』を授与〈同書〉
12 聖聡、武蔵国豊島郡に増上寺を創建〈縁山志〉
4  本願寺綽如入寂
6  相国寺大塔立柱
1394 明徳5/応永1 甲戌 2・21 山内将経、越前西福寺に山野を寄進〈西福寺文書 3  親鸞一三三回忌
1395 応永2 乙亥 11・8 聖冏、「白旗流義相承制戒六箇条」を定める〈白旗式定〉
12・19 聖冏、『伝通記糅鈔』を撰述〈同書〉
6  足利義満出家
12 満済、醍醐寺座主となる
1396 応永3 丙子 4・23 聖冏、『決疑鈔直牒』を著述〈同書〉 6  相国寺仏殿供養
1397 応永4 丁丑 5・29 聖冏、『授手印伝心抄』を著述〈同書〉 4  義満の金閣寺上棟
1399 応永6 己卯 9・6 聖冏、『涇渭分流集』を撰述〈同書〉 9  相国寺七重塔供養、義満臨席
1400 応永7 庚辰 3・28 敬法(僧全、清浄華院八世)入寂〈清浄華院誌要
11 良栄、『十六箇条疑問答見聞』を撰集〈同書〉
3  興福寺六方衆、一向宗徒を検断

1401-1500

西暦 年号 干支 主要事項 参考事項
1402 応永9 壬午 是年 良栄、下野国船橋郷に円通寺を建立〈蓮門精舎旧詞
1403 応永10 癸未 9・18 聖冏聖聡に『授手印伝心抄』を授与〈同書〉 10 真正極楽寺三重塔供養
1404 応永11 甲申 6  隆尭、石山寺観音菩薩の霊告により浄土宗に帰入、ついで近江国金勝寺谷に草庵を結ぶ〈湖東三僧伝 是年 勘合貿易始まる
1407 応永14 丁亥 6・25 知恩院入阿當麻寺往生院と契約状を交換〈往生院文書〉 11 法心『拾遺古徳伝』を書写
1409 応永16 己丑 3・22 清浄華院金蓮寺など焼亡〈東寺王代記〉
1410 応永17 庚寅 4・8 聖冏、『往生礼讃私記見聞』の述作を開始〈同書〉
4  聖聡聖冏の行儀分講会に参列し、『法事讃見聞』を著述〈鎮流祖伝
3  天龍寺、五山の第一となる
1411 応永18 辛卯 1  宗祖、通明国師の諡号加賜〈知恩院旧記採要録
10 定玄清浄華院九世)、後亀山法皇に「円頓戒」ならびに『阿弥陀経』を講説〈清浄華院誌要
1412 応永19 壬辰 2・3 越前西福寺良如(智水)入寂〈総系譜
1414 応永21 甲午 4・20 聖聡、『三国正伝口授心伝集』を撰述〈同書〉
是年 良肇、下総国飯沼弘経寺を創建〈総系譜
12 建長寺焼亡
1415 応永22 乙未 6・3 隆尭、「善導寺御消息」を書写〈浄厳院蔵同書〉
8・22 聖冏瓜連常福寺の別当職を了智に譲与〈常福寺文書〉
是年 日隆、京都に本応寺を建立
1416 応永23 丙申 4・19 聖聡、『選択口伝口筆』を撰述〈同書〉
5・7 聖聡、『浄土三国仏祖伝集』を著述〈同書〉
1419 応永26 己亥 6・1 隆尭証賢撰『三部仮名鈔』を開版〈同書諺註〉 5  歓喜光寺焼亡
1420 応永27 庚子 9・27 聖冏入寂〈総系譜 3  義満、北野一切経会に臨席
1421 応永28 辛丑 1・2 聖聡、『名号万徳鈔』を著述〈同書〉 11 円覚寺焼亡
1423 応永30 癸卯 1・25 隆尭、『念仏安心大要抄』を開版〈古経題跋〉
是年 等熈清浄華院一〇世)、松林院に住し、清浄華院を兼帯〈清浄華院誌要
5  朝鮮、幕府に銭数万貫・大蔵経を贈る
1425 応永32 乙巳 7・28 称光天皇久しく御悩、この日清浄華院等熈を召して、浄土の法文を講じさせる〈兼宣公記〉
10・25 後小松院、等熈を召して「円頓戒」を受ける〈清浄華院誌要
2  鎌倉極楽寺焼亡
4  朝鮮、幕府に復書して大蔵経鎮版の輸出を辞す
1427 応永34 丁未 4  聖聡、吉野に赴き、ついで當麻寺に至り、同寺曼陀羅を拝し、一〇月一四日元興寺極楽坊で智光曼陀羅を、翌日超昇寺で清海曼陀羅を拝す〈当麻曼陀羅疏 3  信濃善光寺焼亡
是年 根来寺衆徒、行人と争う
1428 応永35/正長1 戊申 7・19 清浄華院等熈・雲竜院聖汎ら、後花園天皇御悩につき念仏を勧める〈兼宣公記〉 9  京畿諸国に土一揆蜂起
1429 正長2/永享1 己酉 6・9 三宝院満済准后の執奏により清浄華院等熈香衣綸旨を賜う。一三日、香衣を着して参内〈満済准后日記
7・10 清浄華院の仏殿上棟〈建内記〉
是年 足利義教、妙心寺・大和国達磨寺を再興。蓮如真宗再興の志をおこす
1430 永享2 庚戌 2  清浄華院等熈・花開院良秀、清浄華院と越前西福寺との本末師檀の契約を結び西福寺に置文〈西福寺文書
12・9 足利義教、越前西福寺祈願所とする〈西福寺文書
1431 永享3 辛亥 是年 知恩院火災。足利義教、都鄙の浄土宗念仏衆に再興を命じる〈旧記採要録〉 夏  蓮如青蓮院剃髪
1432 永享4 壬子 5  知恩院空禅本堂再興のため、人別一文宛四八万人勧進をはかり、その版木を開刻〈知恩院本堂勧進牒〉 10 足利義教、天龍寺の悪僧を捕える
是年 伊勢、山城に農民蜂起
1433 永享5 癸丑 4  聖聡、『大経直談要註記』を著述〈同書〉
10・3 隆尭、『十王本迹讃嘆抄』を著述〈同書〉
1435 永享7 乙卯 7  聖聡、『小経直談要註記』を講じ、慶竺これを筆受〈同書〉 6  満済入寂
1436 永享8 丙辰 閏5・27 聖聡、『当麻曼陀羅疏』を草し、ついで慶笠これを清書〈同書〉 4  京都六条道場焼亡
1437 永享9 丁巳 是年 筑後善導寺聖光の二〇〇回忌を行う〈筑後善導寺誌要 2  足利義教、袈裟を諸寺僧徒に施す
1438 永享10 戊午 11・25 聖聡、『徹選択本末口伝抄』を著述〈同書〉 3  日親『折伏正義抄』を著述
1439 永享11 己未 6・3 聖聡、『五重拾遺抄』を講じ、了暁これを筆受〈同書〉 閏1 上杉憲実、足利学校を修造
1440 永享12 庚申 7・18 酉誉聖聡増上寺一世)入寂〈鎮流祖伝 2  幕府、日親を捕える
1441 永享12/嘉吉1 辛酉 8・7 足利義教の室三条尹子、清浄華院如法念仏を修し、義教の冥福を祈る〈建内記〉 6  義教、赤松満祐に殺される(嘉吉の乱)
1442 嘉吉2 壬戌 8  慶竺、上洛して百万遍知恩寺住持略伝集
1445 文安2 乙丑 3・11 清浄華院聖深、越前西福寺一切経勧進綸旨を賜わる。またこの日、西福寺浄鎮、勅願所の綸旨を賜わる〈西福寺文書 6  大風に薬師寺金堂倒れる
1446 文安2 丙寅 1・11 万里小路時房、清浄華院等熈寿像に賛を書く〈清浄華院文書〉
1447 文安4 丁卯 3・18 酉仰、『五重口伝鈔』を著述〈同書〉 9  興福寺衆徒東大寺を襲う
1449 文安6/宝徳1 己巳 5・21 知恩寺慶竺、後花園天皇より祈願所および浄土一宗弘通綸旨を賜わる〈知恩寺文書〉
12・12 隆尭浄厳房)入寂〈鎮流祖伝
11 存如、加賀専称寺真光に『親鸞絵伝』を下付
1450 宝徳2 庚午 4・28 空禅知恩院二〇世)入寂〈華頂誌要 6  細川勝元、竜安寺を創建
1452 宝徳4/享徳1 壬申 2・28 常陸瓜連常福寺、勅願所の綸旨を賜わる〈瓜連常福寺志
8・25 酉仰、『伝籍末鈔』を著述〈新撰往生伝
1453 享徳2 癸酉 8  足利義政、『一枚起請文』を書写〈知恩院蔵同書〉
9・17 知恩寺慶竺、信誉に『授手印』を授与〈知恩寺慶竺授手印
1455 享徳4/康正1 乙亥 8・11 等熈清浄華院一〇世・金戒光明寺一〇世)入寂〈黒谷誌要〉 10 幕府、諸寺祠堂銭の制を制定
1458 長禄2 戊寅 1・9 聖深(清浄華院三世金戒光明寺一二世)入寂〈黒谷誌要〉
11・1 左近大夫常縁、関東に使し、法然以下八代の起請文を得て、世間に流布させる〈安心決定集〉
7  興福寺六方衆、一向衆徒を弾圧
8  幕府、朝鮮に大蔵経を求める
1459 長禄3 己卯 1・24 慶竺知恩寺一九世・知恩院二一世)入寂〈総系譜
9・15 酉仰増上寺二世)入寂〈新撰往生伝
1460 長禄4/寛正1 庚辰 2・24 青蓮院尊応法親王知恩院の敷地山林等を安堵〈知恩院文書〉 6  蓮如、『正信偈大意』を著述
1462 寛正3 壬午 7・5 知恩寺祈願所および浄土一宗興隆の綸旨を賜わる〈知恩寺文書〉
8・12 等熈仏立慧照国師諡号が追贈される〈鎮流祖伝
3  『一遍上人略伝』完成
11 幕府、日親を再度禁獄
1463 寛正4 癸未 4・26 足利義政、知恩寺祈願所とする〈知恩寺文書〉 8  日親赦される
1467 文正2/応仁1 丁亥 5・26 知恩寺華開院、兵火のため炎上〈応仁記〉
9・13 清浄華院、兵火のため炎上〈応仁記〉
是年 知恩院珠琳法然御影を近江伊香立に移転〈旧記採要録〉
2  本願寺親鸞影像を近江栗太郡安養寺から堅田本福寺へ移転
1468 応仁2 戊子 9・21 知恩院、兵火のため炎上〈碧山日録〉 3  延暦寺、堅田一向宗徒を討つ
1470 文明2 己丑 9・4 増上寺祈願所の院宣を賜わる〈親長卿記〉
12・26 知恩寺聖然、後花園院の臨終善知識を勤める〈知恩寺誌要〉
12 興福寺、大和の法華宗徒を討つ
1471 文明3 辛卯 1・17 知恩寺聖然、後花園院追善のため、「浄土三部経」の頓写を奉行〈知恩寺誌要〉
9・24 知恩寺聖然、禁中に召され三部経を講説。足利義政これに臨席〈宗賢卿記〉
5  蓮如、京都から越前へ下向
7  蓮如、吉崎に坊舎を建立
1472 文明4 壬辰 4・26 知恩院開山堂勧進、南都で行われる〈大乗院寺社雑事記〉
9・16 知恩寺聖然、禁中で百万遍念仏を行う〈知恩寺誌要〉
7  高野山多宝塔供養
12 京都金光寺焼亡
1473 文明5 癸巳 2・11 知恩寺聖然紫衣綸旨を賜わる〈知恩寺誌要〉 3  蓮如『正信偈』など開版
1474 文明6 甲午 閏5・26 了暁、秘蔵の『重書無題鈔』を愚底に授与〈同書〉 11 加賀一向宗徒蜂起
1475 文明7 乙未 是年 松平親忠、三河に大樹寺を建て、愚底開山とする〈総系譜 5  蓮如、加賀門徒制戒を示す
1476 文明8 丙申 6・19 知恩寺聖然、前左大臣日野勝光の葬送の導師を勤める〈親長卿記〉 11 京都大火、室町第焼亡
1478 文明10 戊戌 5・5 太田道灌、増上寺に禁制を掲げる〈縁山志〉 8  遣明使、『法苑珠林』を将来
1479 文明11 己亥 2・12 三河信光明寺、勅願所の綸旨を賜わる〈信光明寺文書〉
6・7 三時知恩寺本堂起立〈十輪院内府記〉
7・2 聖観増上寺三世)入寂〈縁山志〉
11・26 光冏増上寺住持縁山志〉
8  京都伏見に般舟三昧院建立
1480 文明12 庚子 3・5 法然御影を叡覧、後花園院の御服にて表装される〈御湯殿上日記
5・27 青蓮院尊応法親王法然の足曳御影を叡覧にいれる〈御湯殿上日記
3  山科本願寺御影堂建立
1482 文明14 壬寅 4・10 知恩寺祈願所の御礼に参内〈御湯殿上日記
6・11 了暁、『授手印請決』を著し、ついで曜誉に授与〈同書〉
秋  真盛黒谷青龍寺で蔵経を閲覧
1483 文明15 癸卯 5・27 了暁飯沼弘経寺二世・三河大恩寺開山)入寂〈飯沼弘経寺志
12・2 清浄華院玄周、堂舎の再建を始める〈清浄華院誌要
6  足利義政、浄土寺山荘に移る
1484 文明16 甲辰 3  蒲生藤兵衛秀紀、浄厳宗真勧進により法然御影を修復〈知恩院蔵同像銘〉
5・4 了月瓜連常福寺で『顕授手印請決邪正義』を著述〈同書〉
12 義政、諸寺院の堂舎の破壊売却を禁止
1485 文明17 乙巳 9・29 清浄華院に三尋木を御奉加される〈御湯殿上日記
12・13 知恩院珠琳法然御影を叡覧にいれる〈御湯殿上日記
3  真正極楽寺真如堂)建立
是年 慈照寺東求堂完成
1486 文明18 丙午 4・15 これより先、浄厳宗真、近江栗太郡金勝東坂の庵を阿弥陀寺と名づけ、この日不断念仏六時勤行開白湖東三僧伝
12・26 足利義政、知恩院に金襴打敷を寄進〈蔭涼軒日録〉
春  真盛坂本西教寺を再興
9  一揆蜂起、幕府軍攻めて東寺金堂を焼く
1487 文明19/長享1 丁未 1  知恩院祖師像を旧の如く緇衣に復す〈空善聞書〉
1  三河大恩寺超誉、式定十箇条を制定〈大恩寺文書〉
8・3 清浄華院再興、遷座供養を行う〈親長卿記〉
4  京都に盗賊多く聖護院を焼く
7  妙心寺に宗門無双名刹の綸旨を下す
1488 長享2 戊申 5・27 清浄華院開山証賢)筆の本尊を叡覧にいれる〈御湯殿上日記
6・27 清浄華院玄周、宮中で阿弥陀経を講説〈御湯殿上日記
7・14 玄周清浄華院一四世)入寂〈親長卿記〉
8・9 青蓮院尊応法親王知恩院珠琳寺家敷地山林等を還付し、当院中興とする〈知恩院文書〉
6  加賀一向一揆、富樫政親を亡す
8  本願寺知恩院御影堂の上葺料をおくる
9  日親入寂
1489 長享3/延徳1 己酉 4・26 清浄華院に准三宮嘉楽門院仏事料として銭千疋を下賜〈御湯殿上日記 8  蓮如隠居
1490 延徳2 庚戌 1・23 京都智恵光院香衣綸旨を賜わる〈御湯殿上日記
9・7 愚底、『授手印請決清濁』を著述〈同書〉
是年 磐城専称寺良大、勅願所綸旨ならびに奥州本山の号を賜わる〈専称寺文書〉
3  土一揆、北野社を焼く
6  等持院仏殿上棟
10 幕府、朝鮮に大蔵経を求める
1491 延徳3 辛亥 7・18 管領細川政元、知恩院領および諸末寺領を安堵〈知恩院文書〉 10 朝鮮国王、仏典等を贈る
1492 延徳4/明応1 壬子 2・28 了月愚底の『授手印請決清濁』に反駁して『破清濁』を撰述〈同書〉
9  近江金勝阿弥陀寺宗真清規ならびに浄土宗末寺法度三七箇条を定める〈浄厳院文書〉
2  書写山円教寺焼亡
1494 明応3 甲寅 4・16 筑後善導寺感誉、祈願所の吉宿を浄教寺に定める〈親長卿記〉
12・20 後花園院二五年忌仏事を知恩寺等に命じられる〈御湯殿上日記
10 幕府、勅により諸将に泉涌寺再建の募縁に応じさせる
1495 明応4 乙卯 4・21 鎌倉光明寺祐崇、勅願所綸旨ならびに阿弥陀経を賜わる〈鎌倉光明寺文書〉
5・2 鎌倉光明寺常紫衣を許される〈鎌倉光明寺文書〉
12・2 飯沼弘経寺知恩院の執奏により香衣綸旨を賜わる〈御湯殿上日記
2  真盛入寂
8  津波により鎌倉大仏殿壊れる
1498 明応7 戊午 5・20 知恩寺知恩院か)、近江浄厳隆阿上人号追贈を請い、勅許される〈御湯殿上日記 8  近江国百済寺焼亡
11 大和長谷寺の観音像開眼
1499 明応8 己未 5・28 京都花開院住持、禁中で『仮名三部経』を談義〈御湯殿上日記 3  蓮如入寂
1500 明応9 庚申 9・28 知恩院珠琳、後土御門天皇崩御につき、三部経を頓写〈旧記採要録〉

1501-1600

西暦 年号 干支 主要事項 参考事項
1501 明応10/文亀1 辛酉 5・24 管領細川政元、京都本覚寺玉翁日蓮宗本国寺僧とを宗論させる〈本覚寺文書〉
7・5 京都報恩寺一風香衣綸旨を賜わる〈報恩寺文書〉
是年 京都報恩寺一風、牙舎利及び仏具を賜わる〈鎮流祖伝
1  細川勝益、土佐桂昌寺を建立
是年 延暦寺根本中堂上棟
1503 文亀3 癸亥 4・6 知恩院珠琳、末代制誡四箇条を定める〈新知恩院文書〉 7  当麻曼陀羅を新写する(文亀本)
1504 永正1 甲子 8・27 大樹寺愚底青蓮院尊応法親王の令旨により知恩院住持知恩院文書〉 8  京都に土一揆起る
1507 永正4 丁卯 1・15 酉冏飯沼弘経寺三世)入寂〈総系譜 1  山科本願寺、掟書を出す
1508 永正5 戊辰 是年 聖冏撰の『浄土略名目』開版される〈同書刊記〉 5  尋尊入寂
1509 永正6 己巳 11・8 祐崇(鎌倉光明寺九世)入寂〈総系譜 是年 大徳寺大仙院建立
1511 永正8 辛未 1・25 法然三〇〇年遠忌如法念仏を粟生光明寺で行う〈元長卿記〉
1・26 珠琳知恩院二二世)入寂〈総系譜
是年 三河信光明寺訓公知恩院住持華頂誌要
4  親鸞二五〇回忌のため、明俊らを関東に派遣し、門徒に勧募
1512 永正9 壬申 7  金戒光明寺理聖、同寺再興のため、青蓮院尊応法親王の賛助をえて勧進金戒光明寺文書〉 2  松平信忠、三河称名寺に田地を寄進し、戦死者を弔う
1513 永正10 癸酉 9・10 三河大樹寺愚底、同寺式定を制定〈大樹寺文書〉 1  相模国清浄光寺兵火に罹る
1516 永正13 丙子 4・11 愚底知恩院三世・三河大樹寺開山)入寂〈大樹寺文書〉
10・4 幕府、清浄華院再興を末寺に相談させる〈室町家御内書案上〉
4  東大寺講堂本尊再造のため女人の大仏殿内参詣を許す
1517 永正14 丁丑 8・28 知恩院焼失〈宣胤卿記〉
12 知恩院訓公、東福寺内の万寿寺堂宇を移して阿弥陀堂を営構〈華頂誌要
1518 永正15 戊寅 12・29 宗真(近江金勝阿弥陀寺開山)入寂〈湖東三僧伝 4  延暦寺根本中堂落慶供養
1519 永正16 己卯 3・6 幕府、一条の旧地に知恩寺堂舎を造営〈知恩寺文書〉 是年 実如、一門一家の制を定める
1520 永正17 庚辰 8・15 訓公知恩院二四世)入寂〈総系譜
11・17 訓公の遺言により、三河信光明寺存牛知恩院住持とする〈知恩院文書〉
5  三好之長、知恩寺で自殺
1521 永正18/大永1 辛巳 3  称念増上寺周仰について出家称念上人行状記
是年 山城八幡正法寺慶秀知恩寺住持知恩寺文書〉
2  越後守護代長尾為景、一向宗を厳禁
1522 大永2 壬午 4  後柏原天皇宸筆の『一枚起請文』を知恩寺慶秀に賜わる〈知恩寺文書〉
9・22 知恩寺慶秀、内裏において「大原問答」を七日間進講〈二水記〉
4  山城国二尊院恵教、堂舎造営のため諸国に募縁
1523 大永3 癸未 閏3・23 知恩寺香衣執奏の永宣旨を賜わる〈知恩寺文書〉
3  筑後善導寺御影堂再建〈筑後善導寺誌要
4・18 知恩院知恩寺と一宗本寺の地位を争い、青蓮院尊鎮法親王知恩院本寺たることを請うが許されず、この日高野山に逐電〈華頂要略
4・24 延暦寺三塔、愈議して朝廷・幕府に訴える〈知恩院文書〉
6・13 尊鎮法親王帰洛〈華頂要略
6  北条氏綱、相模国箱根社を再建
3  法隆寺綱封倉焼亡
1524 大永4 甲申 1・18 後奈良天知恩院に詔して、毎年一月一八日より七日間、京畿門葉を会して法然御忌を執行させる〈知恩院文書〉
9・28 後土御門天皇二五回忌知恩院で行い、広筆阿弥陀経を賜わる〈旧記採要録〉
12 御成敗式目初めて刊行
1525 大永5 乙酉 9・28 京都浄福寺三昧堂建立の綸旨を賜わる〈浄福寺文書〉 2  実如入寂
1526 大永6 丙戌 4・7 存牛知恩院二五世)、後柏原天皇の臨終善知識を勤め、十念を授与〈二水記〉
4・20 後柏原天皇所持の源信阿弥陀来迎図存牛知恩院二五世)に賜わる〈知恩院蔵同図〉
4  今川仮名目録制定
12 鶴岡八幡宮兵火に罹る
1527 大永7 丁亥 1・26 知恩寺、松風の硯などを叡覧にいれる〈御湯殿上日記
3・18 知恩院、『四十八巻伝』を叡覧にいれる〈御湯殿上日記
10・27 清浄華院の庫裏炎上〈御湯殿上日記
是年 源派知恩院(二六世)に住持華頂誌要
2  相国寺鹿苑院焼亡
5  京都曇華院焼亡
10 法隆寺衆徒衆分規式を定める
11 山城国貴布禰社焼亡
1528 大永8/享禄1 戊子 4・7 後奈良天皇、先帝三回忌供養阿弥陀経を書写、知恩院に賜わる〈知恩院蔵同経〉 是年 薬師寺金堂講堂・西塔焼亡
1529 享禄2 己丑 6・27 光然知恩院(二七世)住持となり、この日御礼に参内〈御湯殿上日記 7  山城国光勝院焼亡
1530 享禄3 庚寅 7・26 理聖金戒光明寺一七世)入寂〈黒谷誌要〉
是年 知恩院御影堂再建なり、「知恩教院」「大谷寺」の勅額を賜わる〈華頂誌要
1  嵯峨清凉寺尭深、同寺に宝塔を建て、舎利を納めて供養
1531 享禄4 辛卯 閏5・7 光然知恩院二七世)、参内して法然の伝記を進講〈御湯殿上日記
1532 享禄5/天文1 壬辰 2・5 三条西実隆、法然の『七箇条制誡』、および聖教一巻を南御所の見参にいれる〈実隆公記〉
3・29 知恩院、後柏原天皇七回忌のため、源信筆阿弥陀画像を献上〈御湯殿上日記
6  本願寺証如、畠山義宣、三好元長を破る
8  法華宗徒ら山科本願寺焼く
1533 天文2 癸巳 2・14 知恩院、霊宝を叡覧にいれる〈御湯殿上日記
4・14 知恩寺門末参会の節、座次は首座たるべきの綸旨を賜わる〈知恩寺文書〉
4  細川晴元、法華宗徒ら、証如の兵を堺に破る
1535 天文4 乙未 1・23 後奈良天皇、『漢語灯録』を叡覧される〈後奈良院広記〉 2  三河国大樹寺多宝塔立柱
1536 天文5 丙申 7・28 知恩寺誓願寺(西山派)等類焼〈厳助往年記〉 1  証如、山科に道場を再興
1537 天文6 丁酉 是年 筑後善導寺聖光の三〇〇回忌を行う〈筑後善導寺誌要 6  松平広忠岡崎城を居域とする
1538 天文7 3・25 飯沼弘経寺、勅願所の綸旨を賜わる〈飯沼弘経寺志
1539 天文8 己亥 7・9 秀馨清浄華院二二世・金戒光明寺一六世)入寂〈総系譜
8・25 青蓮院尊鎮法親王の執奏により、法然に光照大士と勅諡される〈知恩院文書〉
10 山門衆徒の抗議で宣旨を召し返される〈厳助往年記〉
5  浅井亮政、近江番場蓮華寺の再興勧進を薦す
11 京都誓願寺立柱上棟
1540 天文9 庚子 1・9 知恩院御忌会張文、青蓮院より出る〈華頂要略 11 覚鑁大師号を贈られる
1541 天文10 辛丑 10・26 清浄華院金戒光明寺制法一一箇条を定める〈清浄華院文書〉 1  延暦寺衆徒覚鑁諡号を訴える
1542 天文11 壬寅 4・7 後柏原天皇一七回忌仏事、徳誉光然知恩院二七世)、真如堂円頓戒を伝授〈蜷川親俊日記 1  相模早雲寺、勅願所となる
1543 天文12 癸卯 5・3 浄土宗日蓮党、優劣を鎌倉で法論。浄土宗これに勝ち、北条氏康、日蓮党を放殺〈続本朝通鑑〉
6・27 越後糸魚川善導寺岌翁知恩寺(二七世)に住持知恩寺文書〉
8  ポルトガル船、種子島に漂着、鉄砲を伝える
1544 天文13 甲辰 4・11 岌翁知恩寺二七世)、紫衣綸旨を賜わる〈知恩寺文書〉
9・27 岌翁知恩寺二七世)、禁裏に『選択集』を談義〈言継卿記〉
6  石山本願寺の寝殿上棟
12 キリスト教徒薩摩国に来る
1545 天文14 乙巳 10・14 近江蒲生郡の頻、同安寺、道場掟一三箇条を定める〈誓安寺文書〉
1547 天文16 丁未 6・1 武田晴信、分国内で浄土宗日蓮党の法談することを禁止〈甲州法度書之次第 8  京都本圀寺本堂再建
1548 天文17 戊申 2・7 岌翁知恩寺二七世)、宮中で曼荼羅談義〈御湯殿上日記
是年 称念法然廟所の南に草庵を建立。のち一心院と称す〈称念上人行状記
12 証如、浅井氏と修好
1549 天文18 己酉 12・15 幕府、清浄華院金戒光明寺を進止させる〈清浄華院文書〉
12・20 存牛知恩院二五世)入寂〈総系譜
7  フランシスコ・ザビエル鹿児島に来る
1550 天文19 庚戌 8・22 足利義晴の中陰詠経の座次につき、知恩院知恩寺争う。幕府、知恩寺の上座と定める〈知恩寺文書〉
9・13 称念青蓮院尊鎮法親王の臨終知識を勤める〈称念上人行状記
9  青蓮院尊鎮法親王入寂
9  ザビエル、博多から山口に入り布教
1552 天文21 壬子 8・15 徳誉光然知恩院二七世)、聖冏撰の『浄土略名目図』を刊行〈同書〉 5  根来寺覚鑁御影堂建立
1553 天文22 癸丑 6・19 越後高田善導寺岌長知恩寺(二八世)に住持し、ついで二五日、紫衣の永宣旨を賜わる〈知恩寺文書〉
12 称念、専称庵同行法度五箇条を定める〈同法度
8  第一回川中島の戦
1554 天文23 甲寅 2・26 称念専修同行者の持つべき条制を定め、七月一九日入寂〈称念上人行状記
11・3 聡補知恩院(二八世)に住持〈厳助往年記〉
4  嵯蛾清凉寺尭深(十穀上人・木食上人)入寂
8  証如入寂
1555 天文24/弘治1 乙卯 7・24 光然知恩院二七世)入寂〈華頂誌要
7  貞把増上寺(九世)に住持縁山志〉
5  信濃善光寺兵火に罹る
1556 弘治2 丙辰 2・14 清浄華院末寺坂本法蔵院が本寺寺法を厳守すべき給旨を請う〈言継卿記〉
1557 弘治3 丁巳 4・28 上京大火、三時知恩寺の門類焼〈厳助往年記〉
11・27 知恩院聡補、後奈良天追善のため、山越阿弥陀画像を賜わる〈御湯殿上日記
是年 島津貴久、薩摩に南林寺建立
1558 弘治4/永禄1 戊午 10・2 三休清浄華院二八世)、紫衣綸旨を賜わる〈清浄華院文書〉
12・22 岌翁知恩寺二七世)入寂〈知恩寺誌要〉
是年 大導寺政繁、武蔵国川越に蓮馨寺を建て、存貞開山とする〈蓮馨寺志〉
9  木下藤吉郎、織田信長に仕える
10 讃岐国善通寺兵火に罹る
1559 永禄2 己未 9・10 慶秀知恩寺二五世)入寂〈知恩寺誌要〉
11・14 幕府、清浄華院塔頭・諸末寺新黒谷住持職・衆僧、霊宝出入の紛争について沙汰〈清浄華院文書〉
2  信長上洛、義輝に会う
12 顕如、世襲准門跡の宣下を蒙り僧正となる
1560 永禄3 庚申 8・20 幕府、知恩寺土葬許可知恩寺文書〉
9・15 幕府、知恩院住持は一宗本寺として上座たる旨を下知す〈知恩院文書〉
是年 下総国生実大巌寺を建立〈生実大巌寺志
5  信長、今川義元を倒す
1563 永禄6 癸亥 4  存貞増上寺(一〇世)に住持し、同寺三三箇条壁書を定める〈増上寺文書
8・2 岌長知恩寺二八世)入寂〈知恩寺誌要〉
9  三河に一向一揆起り家康の家臣多く加わる
1566 永禄9 丙寅 1・24 越前西福寺道残、『決答授手印疑問抄』を大沢円通寺良迦に贈る〈西福寺蔵同書〉
8・29 三時知恩寺炎上〈言継卿記〉
2  一乗院覚慶還俗し、義秋(のち義昭)と改名
1569 永禄12 己巳 8・11 聡補知恩院二八世)、霊宝を叡覧にいれ、四十八願文のうち第十八願について談義〈御湯殿上日記 4  信長、フロイスに京都在住と布教許可
1572 元亀3 壬申 6  織田信長、京都阿弥陀寺清玉に、分国内で東大寺大仏殿再建の資を勧進させる〈東大寺文書〉 12 三方ヶ原の戦
1573 元亀4/天正1 癸酉 3・28 信長、入洛して知恩院に本陣を構える〈後鏡〉
3  飯沼弘経寺、兵火にかかり、存把、結城に逃れる〈飯沼弘経寺志
4・3 上京兵火、知恩寺浄福寺等焼亡〈東寺執行日記
6・2 信長、知恩院に戦勝祈願の謝状を出す〈知恩院文書〉
9・12 信長、知恩院に諸堂修覆料を寄進〈知恩院文書〉
10・19 信長、知恩院に愛宕郡内百貫文の地を寄進〈知恩院文書〉
2  池上本門寺焼亡
4  信長、義昭威嚇のため諸所に放火。頂妙寺・誓願寺真如堂など焼失
7  室町幕府滅亡
1574 天正2 甲戌 5・18 存貞増上寺一〇世・川越蓮馨寺開山)入寂〈鎮流祖伝
6・28 大沢円通寺良迦に勅願所の輪旨を賜わる〈円通寺文書〉
12・7 貞把増上寺九世・生実大巌寺開山)入寂〈新撰往生伝
4  顕如、大坂に挙兵
9  信長、長嶋一向一揆を平定
1575 天正3 乙亥 9・25 聡補知恩院二八世)、浄土宗侶の香衣執奏は同院だけとする綸旨(毀破綸旨)を賜わる〈知恩院文書〉
10・25 これより先、知恩寺前住岌州(二〇世)、当住岌善(二一世)、安房の日蓮党と宗論し、この日帰洛の綸旨下る〈知恩寺文書〉
5  長篠の戦
8  信長、越前一向一揆を平定
10 顕如、信長と和睦
11 大友宗麟の子義統受洗
1576 天正4 丙子 4・7 知恩寺前住岌州(二〇世)、美作誕生寺を修築〈誕生寺棟札 2  信長、安土城を築く
1578 天正6 戊寅 5・25 宇喜多直家、美作誕生寺を破却し、経典を焼く〈以八上人行状記 4  織田信忠、石山本願寺を攻撃
1579 天正7 己卯 2・18 信長、西光寺貞安の申請により、知恩院寺領百石を寄進〈知恩院文書〉
5・27 西光寺貞安ら、日蓮宗の日玩らと安土にて宗論し、勝利を収める〈知恩院文書〉
1580 天正8 庚辰 4  生実大巌寺虎角聖冏撰の『釈浄土二蔵義』に序文を著す〈同書〉 3  顕如、信長と和睦、石山退散
1581 天正9 辛巳 4・16 徳川家康、三河大樹寺法度五箇条を制定〈大樹寺文書〉 3  信長、高野山の聖千余人斬殺
1582 天正10 壬午 9・12 京都阿弥陀寺清玉、織田信長百箇日忌に千部経を行う〈言継卿記〉
11 増上寺焼失〈縁山志〉
是年 知恩寺前住岌州(二〇世)、御影堂造営の募縁に四国へ下向〈知恩寺誌要〉
4  信忠、甲斐恵林寺を焼く
6  本能寺の変
7  毛利輝元、厳島に寺領寄進
1583 天正11 癸未 10・18 武蔵国長伝寺存応香衣綸旨を賜わる〈増上寺文書
是年 袋中、『浄土血脈論』を著し、虎関師錬浄土宗寓宗とするのに反駁〈袋中上人伝
4  賤ヶ岳の合戦
9  東大寺大仏殿再興勧進
1584 天正12 甲申 5・2 存応増上寺入寺し、ついで同寺(一二世)に住持縁山志〉 5  秀吉、叡山の再興を許す
1585 天正13 乙酉 11・21 羽柴秀吉、京中の諸本山・諸寺に寺領朱印状を交付〈同寺院文書〉
是年 牛秀、武蔵国滝山に大善寺を開創〈大善寺志〉
3  秀吉、根来・雑賀一揆を平定
1586 天正14 丙戌 6・2 越前西福寺道残清浄華院住持し、紫衣を勅許される〈西福寺文書 12 秀吉、京都大仏殿の造営を開始
1587 天正15 丁亥 8・11 勝願寺清巌、太田氏房の寄進をうけ、岩槻浄国寺を創建〈岩槻浄国寺志〉 6  バテレン追放令発布
1588 天正16 戊子 3・2 道残清浄華院三二世)、同院宝物目録・聖教目録を作成〈清浄華院文書〉
是年 元公(善導寺二〇世)、諸堂を再建し、聖光の三五〇年遠忌を行う〈筑後善導寺誌要
5  長崎のキリシタンを追放
7  刀狩令発布
1589 天正17 己丑 4・11 京都奉行前田玄以、金戒光明寺清浄華院末寺と裁断〈清浄華院文書〉
5・8 道残清浄華院三二世)、金戒光明寺(二二世)に住持清浄華院文書〉
6・25 道残金戒光明寺法度一一箇条を制定〈黒谷誌要〉
9・19 道残香衣綸旨料米を清浄華院に納めることを約束〈清浄華院文書〉
9  延暦寺再建
10 秀吉、洛中・諸国を検地
12 秀吉、顕如に大坂旧地を寄進
是年 方広寺大仏を鋳造
1590 天正18 庚寅 7・16 大雲院貞安、勅願所の綸旨を賜わる〈大雲院文書〉
8  家康、江戸に入府し、ついで源誉存応増上寺一二世)と師檀関係を結ぶ〈徳川実紀〉
是年 豊臣秀吉の命により、知恩寺清浄華院等、寺町へ移転〈京都坊目誌〉
2  秀吉、高野山寺領を没収
是年 秀吉の全国統一完成
11 秀吉、朝鮮通信使を聚楽第に引見
1591 天正19 辛卯 4・8 慶巌、常陸江戸崎大念寺を創建〈江戸崎大念寺志
是年 幡随意善導寺を上野館林に移建〈館林善導寺志
1  本願寺を京六条に移転
2  利休自殺
1592 天正20/文禄1 壬辰 2・2 道残、『和風安心鈔』を著述〈黒谷誌要〉
10・14 岌州知恩寺三〇世)入寂〈新撰往生伝
3  文禄の役
11 顕如入寂
1593 文禄2 癸巳 2・4 虎角大巌寺二世)入寂〈総系譜
9・23 道残源立(清浄華院三二世・金戒光明寺二二世)入寂〈総系譜
1595 文禄4 乙未 2  浜松西伝寺行公と法林寺存龍念仏罪障滅不減論争を始める〈見付大見寺文書〉
11・7 尊照知恩院(二九世)に住持知恩院文書〉
是年 存把、結城秀康の帰依により、結城に弘経寺を再建〈結城弘経寺志
7  関白秀次、高野山で自殺
是年 オルガンチノら京都および肥前大村・有馬などで布教
1597 慶長2 丁酉 9・11 存応増上寺一二世)、安心問答につき、悪解人追放を知恩院に要求〈知恩院文書〉
9・25 尊照知恩院二九世)、諸檀林へ関東諸寺家掟書を発布〈鎌倉光明寺文書〉
9・27 存応増上寺一二世)、同寺門家出世綸旨の手次は知恩院だけとする証状を同院に提出〈知恩院文書〉
1  慶長の役
2  島津家久、一向宗を禁制
7  秀吉、善光寺如来を方広寺大仏殿に移す
1598 慶長3 戊午 8・24 香衣執奏につき、知恩院甘露寺家、知恩寺は広橋家の申次と定められる〈御湯殿上日記
11・17 聡補知恩院二八世)入寂〈総系譜
3  秀吉、醍醐に花見
8  善光寺如来を信濃に返す、秀吉没
1599 慶長4 己亥 9・6 存応紫衣綸旨を賜わる〈増上寺文書 4  秀吉に豊国大明神の号を贈る
1600 慶長5 庚子 4・12 清浄華院、大沢円通寺の重章拝覧のことを越前西福寺に沙汰〈西福寺文書
是年 黒田孝高、筑後善導寺を襲い、諸堂を破壊〈筑後善導寺誌要
4  醍醐寺三宝院金堂完成
9  関ヶ原の合戦

1601-1700

西暦 年号 干支 主要事項 参考事項
1601 慶長6 辛丑 3  山城八幡正法寺大超、駿河台に寺地を拝領し、霊山寺を創建〈本所霊山寺志
是年 田中吉政、筑後善導寺講堂を復興〈筑後善導寺誌要
是年 幡随意知恩寺(三三世)に住持し、ついで紫衣を許される〈幡随意上人行状
5  家康、高野山学侶・行人の裁許の法度を制定
10 宣教師を海外に追放
1602 慶長7 壬寅 8・29 家康母於大(伝通院殿)没し、ついで小石川大塚の地で葬礼、のち廓山入寺し、伝通院と改称〈小石川伝通院志 2  教如、東本願寺創建
11 秀頼、嵯峨清凉寺釈迦堂を造営
1603 慶長8 癸卯 2・12 幕府、知恩院の寺地を拡大し、諸堂を造営〈旧記採要録〉
10・6 家康、知恩院寺領七〇三石余を寄進〈知恩院文書〉
是年 幡随意知恩寺三世)、江戸神田に新知恩寺起立幡随意上人行状
2  家康、征夷大将軍となる
9  伊勢内宮・外宮の法度制定
1604 慶長9 甲辰 10・21 存把(結城弘経寺開山)入寂〈総系譜 9  比叡山横川中堂興建
1605 慶長10 乙巳 4・15 袋中、『琉球神道記』を著述〈同書〉
6・12 牛秀(滝山大善寺開山)入寂〈総系譜
9・29 知恩院の京都門中連署して異安心者を追放〈増上寺文書
是年 豊臣秀頼、金戒光明寺阿弥陀堂を建立〈黒谷誌要〉
3  崇伝、南禅寺住職となる
10 秀頼、相国寺法堂などを造営
1606 慶長11 丙午 8・23 鴻巣勝願寺不残紫衣綸旨を賜わる〈勝願寺文書〉
9・7 三河大樹寺、勅願所に准じ、常紫衣を許される〈大樹寺文書〉
3  江戸城増築に着手
9  高野山行人、聖と争う
1607 慶長12 丁未 5・1 存応、下読の掟七箇条を定める〈増上寺文書
5・11 尊照、越前に下り、結城秀康の葬礼を行う〈当代記〉
11・27 後陽成天皇皇子八宮、知恩院尊照弟子として同院に入室〈舜旧記〉
2  家康、駿府に移る
7  大和長谷観音上棟
1608 慶長13 戊申 8・26 家康・秀忠、増上寺存応を召し、法問を聴く〈舜旧記〉
9・6 家康、増上寺光明寺善導寺の外は紫衣を禁止する旨を知恩院に報告〈知恩院文書〉
9・6 家康、存応より五重血脈を受ける〈慶長見聞録案紙〉
9・15 幕府、小石川伝通院の造営を始める〈慶長見聞録案紙〉
9・23 幕府、小石川伝通院寺領三〇〇石を寄附〈慶長見聞録案紙〉
11・12 増上寺常紫衣ならびに勅願所の綸旨を賜わる〈増上寺文書
11・15 廓山了的ら、江戸城で日蓮宗の日経と宗論、これに勝つ〈増上寺文書
8  幕府、延暦寺法度制定
10 幕府、近江成菩提院法度制定。高野山木食応其入寂
12 幕府、永楽銭の通用を禁止
1609 慶長14 己酉 3・14 家康、大和円成寺蔵の高麗版大蔵経増上寺に寄進〈縁山志〉
4・8 弾誓道心掟七三箇条を定める〈古知谷阿弥陀寺文書〉
4・16 尊照僧正法印に叙せられる〈知恩院文書〉
12・29 元公(筑後善導寺二〇世)入寂〈総系譜
1  秀頼、京都大仏殿再興に着手
5  幕府、園城寺・聖護院に法度を出す、ついで八月東寺・醍醐寺・高野山衆徒らにも出す
1610 慶長15 庚戌 5  尊照、諸堂舎建立御礼に駿府・江戸へ下向〈旧記採要録〉
6  金戒光明寺清浄華院より独立〈清浄華院誌要
7・19 存応普光観智国師の号を賜わる〈増上寺文書
12・15 幕府、増上寺寺領千石を寄進〈増上寺文書
是年 幕府、伊豆修善寺蔵の元版大蔵経増上寺に寄進〈縁山志〉
2  石山寺法度制定
4  高野山金剛峯寺法度制定
9  石清水八幡宮法度制定
10 駿府城炎上
1611 慶長16 辛亥 1  法然四〇〇年遠忌知恩院で行う〈恵照山編年略記〉
3  琉球王尚寧、袋中の画像を作り、袋中に贈る〈檀王法林寺蔵同像〉
4  増上寺本堂建立〈中井家文書〉
11・3 袋中、『浄土三部経相伝鈔』を著述〈同書〉
11・13 存応、家康の申請により、遠祖新田義重の菩提所(大光院)を上野国新田郡太田の故地に定める〈駿府記〉
是年 袋中、京都三条に檀王法林寺起立蓮門精舎旧詞
3  家康、秀頼と二条城で会見
11 京都大仏殿落成
12 東寺法度制定
是年 南光坊天海僧正となる
1612 慶長17 壬子 3・21 幕府、幡随意を有馬に遣わし、耶蘇教徒を誨諭〈徳川実紀〉
9・13 金戒光明寺焼け、法然御影本堂以下の諸堂を失う〈舜旧記〉
11・1 存応霊山寺大超に同寺論義安居式目五箇条を制定〈本所霊山寺志
5  戸隠山・曹洞宗寺院法度制定
9  興福寺法度制定
1613 慶長18 癸丑 4・13 これより先、新田大光院落慶し、この日大善寺吞龍入院吞龍上人伝〉
5・25 弾誓古知谷阿弥陀寺開山)入寂〈弾誓上人絵詞伝
6・16 幕府、知恩院知恩寺清浄華院等の勅許紫衣法度を制定〈本光国師日記
10・15 金戒光明寺御影堂を再建し、法然御影を安芸瀬戸田より迎え安置〈黒谷誌要〉
是年 家康、近江菅山寺の宋版大蔵経増上寺に寄進〈縁山志〉
3  浅草寺法度制定
4  智積院法度制定
6  醍醐寺・関東新義真言宗法度制定
8  関東天台宗法度制定
1614 慶長19 甲寅 9・14 以八(厳島光明院開山)入寂〈以八上人行状記
9・22 後陽成天皇皇子八宮を門跡とする〈駿府記〉
7  方広寺大仏開眼供養、鐘銘の問題おこる
1615 慶長20/元和1 乙卯 1・5 幡随意知恩寺三世幡随院開山)入寂〈幡随意上人行状
閏6・8 伝通院廓山浄土宗法度の草案を家康に提出〈駿府記〉
6・28 八宮直輔親王徳川家康の猶子となる〈本朝皇胤紹運録〉
7・17 貞安大雲院開山)入寂〈貞安上人伝記〉
7・24 家康、浄土宗法度三五箇条を知恩院増上寺伝通院に下す〈同寺院文書〉
4  大坂夏の陣、五月豊臣氏滅亡
6  曹洞宗法度を大中寺に下す
7  武家諸法度、禁中並公家諸法度、諸宗法度を制定
1616 元和2 丙辰 5・17 幕府、増上寺で家康の中陰法要を行う〈本光国師日記
7  田中忠政、筑後善導寺に家康の霊廟を造り、祭田五〇〇石を寄進〈徳川実紀〉
8・22 大蓮寺了的金戒光明寺(二七世)に住持し、この日紫衣綸旨を賜わる〈金戒光明寺文書〉
4  家康没
7  天海大僧正となる
11 身延山久遠寺に法度を下す
1617 元和3 丁巳 1・21 慶巌江戸崎大念寺開山)入寂〈総系譜
2  増上寺の家康の霊廟安国殿落成、存応、銅灯籠を寄進〈縁山志〉
9・3 不残鴻巣勝願寺中興)入寂〈総系譜
3  日光山東照宮造営
4  家康の遺骸を日光山に改葬
9  智積院、春日社等の法度制定
1618 元和4 戊午 6・28 徳川秀忠、知恩院に重ねて浄土宗法度三五箇条を下す〈知恩院文書〉 11 関東古義真言宗法度制定
1619 元和5 己未 7・16 袋中、『評摧邪輪』を著述〈同書〉
9・17 八宮直輔親王知恩院尊照戒師得度法名良純〈本朝皇胤紹運録〉
9  金地院崇伝、僧録司を命ぜられる
1620 元和6 庚申 6・25 尊照知恩院二九世)入寂〈総系譜
10 京都浄福寺法雲知恩院住持華頂誌要
11・2 存応増上寺一二世)入寂〈総系譜
5  曹洞宗法度制定
是年 桂離宮造営に着手
1621 元和7 辛酉 8・3 増上寺山門、大風により倒壊〈徳川実紀〉
11・11 存牟(大坂一心寺中興)入寂〈総系譜
1622 元和8 壬戌 9・10 新田大光院吞龍常紫衣綸旨を賜わる〈大光院文書〉
10・15 増上寺山門再建される〈徳川実紀〉
10・26 伝通院廓山増上寺住持し、下読の掟に署名〈増上寺文書
4  日光社参法度制定
8  長崎でキリシタン多数処刑
8  新寺建立、寺号私称を禁止
1623 元和9 癸亥 3・17 大通(善導寺二四世)、常紫衣綸旨を賜わる〈善導寺文書〉
3・29 小石川伝通院常紫衣綸旨を賜わる〈小石川伝通院志
8・9 吞龍(新田大光院開山)入寂〈吞龍上人伝〉
1  大元帥法・後七日法を復活
10 キリシタンを江戸芝で処刑
是年 日奥、不受不施を唱える
1624 元和10/寛永1 甲子 3・25 大超(江戸霊山寺開山)入寂〈総系譜
5  長門泰然寺の釈迦・普賢・文殊・十六羅漢像を修覆彩色し、増上寺山門に安置〈縁山志〉
是年 霊巌、江戸八丁堀の海上を埋めて陸地とし(霊巌島)、寺院を建てて霊巌寺と号す〈徳川実紀〉
6  秋田久保田藩でキリシタン三三人処刑
7  宣教師ルイス・ソテロ処刑
是年 東照宮陽明門完成
1625 寛永2 乙丑 8・26 廓山増上寺三世伝通院開山)入寂〈縁山志〉
11・26 了的金戒光明寺二七世)、増上寺(一四世)に住持〈徳川実紀〉
6  身延山、不受不施派を訴える
11 天海、東叡山寛永寺を創建
1626 寛永3 丙寅 9・18 徳川秀忠夫人(崇源院殿)浅井氏の葬礼を増上寺に営み、初めて万部納経す〈徳川実紀〉
1627 寛永4 丁卯 7・19 幕府、浄土宗侶の香衣綸旨は、増上寺檀林の両判添状をもって知恩院より執奏させることにする(香衣執奏の知恩院専管)〈本光国師日記
8・11 知恩院香衣執奏の官物を改訂〈本光国師日記
8・23 知恩院門跡良純、関東へ下向〈続史愚抄〉
9・16 将軍に面謁〈徳川実紀〉
7  幕府、五山僧侶出世の制を定める、大徳寺・妙心寺などへの紫衣勅許を無効とする(紫衣事件)
1628 寛永5 戊辰 5・19 幕府、秀忠生母西郷局(宝台院殿)三三回忌を駿河龍泉寺で行い、同寺を宝台院と改め、寺領三〇〇石を寄進、住持鏡誉に常紫衣綸旨を賜わる〈宝台院文書〉 5  長崎でキリスト教徒処刑
是年 不受不施派、他宗派と争論
1629 寛永6 己巳 6・25 江戸霊巌寺霊巌知恩院(三二世)に住持〈旧記採要録〉 7  紫衣事件により沢庵ら配流
1630 寛永7 庚午 6・17 徳川家光、増上寺に参詣し、法門を聴く〈徳川実紀〉
9・15 了的金戒光明寺二七世・増上寺一四世)入寂〈徳川実紀〉
4  幕府、不受不施派を弾圧
1631 寛永8 辛未 10・26 知恩院霊巌、仙洞御所に阿弥陀超世別願法問を行う〈孝亮宿禰日次記〉 9  幕府、末寺帳の提出を命ず
1632 寛永9 壬申 1・15 佐倉清光寺了学増上寺住持〈徳川実紀〉
1・24 秀忠薨じ、ついで二七日増上寺にて葬礼〈本光国師日記
7・21 家光、増上寺寺領一八〇〇石・台徳院供領二二〇〇石・崇源院供領千石、都合五千石を寄進〈本光国師日記
7  幕府、沢庵・玉室らを召還
1633 寛永10 癸酉 1・9 知恩院諸堂炎上〈良正院文書〉
4・5 幕府、同院再造の奉行を任命〈徳川実紀〉
12・7 知恩院再建着工〈系図本記〉
12・17 増上寺安国殿の改造終了、入仏供養を行う〈徳川実紀〉
1  崇伝入寂
2  第一次鎖国令を発布
11 京都清水寺本堂再建
1634 寛永11 甲戌 2・13 了学増上寺一七世)入寂〈総系譜
2・24 伝通院随波増上寺住持〈徳川実紀〉
5・19 飯沼弘経寺雪念常紫衣綸旨を賜わる〈飯沼弘経寺文書〉
5・23 家光、増上寺随波に同寺法式寺領目録等を下附〈増上寺文書
7・16 家光上洛し、知恩院霊巌らに謁し、一九日知恩院門跡らに物を贈る〈徳川実紀〉
5  日光東照宮社法を制定
7  幕府、浪人の原籍を調査
8  幕府、譜代大名の妻子を江戸に置かせる
1635 寛永12 乙亥 1・24 増上寺随波瓜連常福寺に常陸浄土宗本寺として掟書を発布〈常福寺文書〉
9・10 随波増上寺一八世)入寂〈鎮流祖伝
9・28 伝通院智童増上寺住持〈徳川実紀〉
11 幕府、寺社奉行を設置
1636 寛永13 丙子 9・15 知恩院梵鐘鋳造終了、供養す〈続史愚抄〉 4  日光東照宮完成、家光参詣
1638 寛永15 戊寅 1・22 知恩院門跡良純、徳川秀忠七回忌納経のため増上寺に参向〈徳川実紀〉 2  島原の乱平定
1639 寛永16 己卯 1・9 智童増上寺一九世)入寂〈総系譜
1・21 袋中入寂〈袋中上人伝
2・15 飯沼弘経寺雪念増上寺住持〈徳川実紀〉
3・15 知恩院霊巌、洛中流布の『選択集』に区々脱略があるので、當麻往生院本を正本に校合開版〈寛永一六年版同書〉
3・18 増上寺雪念所化法度一四箇条を定める〈山門通規〉
7・8 知恩院御影堂上棟〈系図本記〉
4  幕府、諸大名にキリスト教制禁をさらに厳重にすべきことを命じる
9  天海、東照宮縁起を撰述
1640 寛永17 庚辰 9・18 雪念増上寺二〇世)入寂〈総系譜
12・2 鎌倉光明寺還無増上寺住持〈徳川実紀〉
6  宗門改役を置き、寺請・宗門人別帳を作成
1641 寛永18 辛巳 4・7 これより先、知恩院霊巌、江戸に下向し、この日家光に同院諸堂造営を謝礼〈徳川実紀〉
4・20 幕府、知恩院増上寺に対し、その末寺子院の法令厳守を命ず〈徳川実紀〉
6・14 家光、霊巌を召して法問を聴く〈旧記採要録〉
9・1 霊巌知恩院三二世)入寂〈霊巌上人伝記〉
1  江戸大火、二千戸焼失
12 比叡山堂塔完成
1642 寛永19 壬午 2  鎌倉光明寺前住廓源知恩院住持〈旧記採要録〉
3・11 増上寺所化寮焼亡〈徳川実紀〉
5  幕府、祭礼仏事の倹約を命ず
10 天海一切経を重刻
1643 寛永20 癸未 10・7 増上寺還無安居月行事心得を発布〈山門通規〉
11・11 知恩院門跡良純、故ありて甲斐国天目山に配流〈諸門跡譜〉
10 天海入寂
1644 寛永21/正保1 甲申 10・18 家光、三河大樹寺内に家康霊廟を造営させる〈徳川実紀〉 11 東寺五重塔再建
1645 正保2 乙酉 2・25 知恩院、『勅修御伝』を叡覧にいれる〈御伝随聞記〉
5・21 幕府、松平乗寿に新田大光院を修造させる〈徳川実紀〉
10 水戸藩、キリシタンを探索
12 沢庵入寂
1646 正保3 丙戌 2・23 幕府、水野元吉・西尾政氏に伝通院を修造させる〈徳川実紀〉
7・24 家光、増上寺還無を召して、浄土宗法問を聴く〈徳川実紀〉
11 大坂・長崎のキリシタン探索
1647 正保4 丁亥 5・19 幕府、八木守直・高木正次に増上寺の地震破損所を修理させる〈徳川実紀〉 6  高野山大火
1648 正保5/慶安1 戊子 7・4 廓源知恩院三世)入寂〈華頂誌要 4  天海一切経完成
1649 慶安2 己丑 7・3 幕府、堀田一純・戸田重種に増上寺の地震破損所を修理させる〈徳川実紀〉
是年 筑後善導寺崇無、同寺本堂を再建〈筑後善導寺誌要
9  幕府、高野山学侶方・諸院・衆徒・行人方の法度を制定
1650 慶安3 庚寅 1  鎌倉光明寺旧応知恩院住持華頂誌要
5・28 伝通院位産増上寺住持〈徳川実紀〉
5  徳川光友、名古屋に建中寺を建て、結城弘経寺廓吞を開山とする〈結城弘経寺志
6・20 還無増上寺二一世)入寂〈鎮流祖伝
是年 翌年にかけて、おかげまいり流行
是年 大和国長谷寺本堂再建
1651 慶安4 辛卯 2  家光、後水尾上皇皇子栄宮を猶子とし、知恩院門跡の相続を治定〈知恩院蔵元禄一一年書翰控〉
11・20 徳川家綱、増上寺位産檀林住職を選ばせる〈徳川実紀〉
4  家光没、翌月日光山に葬られ、大猷院と号される
7  慶安の変、由井正雪自殺
1652 慶安5/承応1 壬辰 6・22 名古屋建中寺廓吞、常紫衣を許される〈徳川実紀〉
8・20 位産増上寺二二世)入寂〈鎮流祖伝
9・1 伝通院貴屋増上寺住持〈徳川実紀〉
1  寺社参賀の規式を定める
1654 承応3 甲午 8・24 増上寺の台徳院殿霊廟修理終了、入仏供養を行う〈徳川実紀〉
9・18 廓吞(名古屋建中寺開山)入寂〈総系譜
7  隠元来日
是年 京都八坂神社本殿完成
1656 明暦2 丙申 4・21 後光明天皇自作の張籠涅槃像・守本尊違厄不動尊を清浄華院に安置〈清浄華院誌要
5・8 栄宮良賢親王知恩院に入室得度戒師は同院旧応法名尊光〈本朝皇胤紹運録〉
6・19 良賢親王、将軍家綱に謝礼〈徳川実紀〉
5  西国大名、キリシタンを探索
11 高野山学侶・行人争う
1657 明暦3 丁酉 1・19 江戸大火、増上寺塔頭一五院・学寮九四宇、霊巌寺など焼亡〈縁山志・深川霊巌寺志
2・29 焼死者一〇万八千余人を本所牛島新田に埋葬(のち回向院)、増上寺貴屋これを回向〈徳川実紀〉
3・1 旧応知恩院三五世)入寂〈旧記採要録〉
6・18 これより先、霊巌寺尊空知恩院住持し、この日将軍家綱に謝礼〈徳川実紀〉
4  東叡山末寺掟を定める
11 大村純長、領内でキリシタン九〇人を捕える
1658 明暦4/万治1 戊戌 1・24 知恩院門跡尊光、徳川秀忠二七回忌法要のため増上寺に参向〈徳川実紀〉
1659 万治2 己亥 3・18 霊巌寺、深川に移転再建〈深川霊巌寺志
6・22 前知恩院門跡良純、配所より帰洛し、泉涌寺中に住む〈本朝皇胤紹運録〉
11・24 鎌倉光明寺露白増上寺住持〈徳川実紀〉
6  隠元、宇治に黄檗山万福寺の創建を始める
1660 万治3 庚子 1・21 貴屋増上寺三世)入寂〈総系譜 11 高野山衆徒二八〇人離山
1661 万治4/寛文1 辛丑 1・15 京都大火、知恩寺焼亡〈歴志略〉
1  知恩院金戒光明寺などで法然四五〇年遠忌を行う〈華頂誌要黒谷誌要〉
2  伊勢参り流行
6  高野山学侶、行人を訴える
1662 寛文2 壬寅 9・24 伝通院智哲増上寺住持〈徳川実紀〉
是年 知恩寺、北白川田中村に移転〈歴志略〉
1663 寛文3 癸卯 12・5 三河信光明寺常紫衣を許される〈徳川実紀〉
12・27 鎌倉光明寺知鑑知恩院住持〈旧記採要録〉
8  寺社の新建立を禁止
11 日蓮宗の自讃毀他を禁止
1664 寛文4 甲辰 1・22 知恩院知鑑、徳川秀忠三三回忌増上寺万部法会納経〈旧記採要録〉
9・28 露白増上寺二四世)入寂〈鎮流祖伝
5  高野山聖方条目を定める
11 幕府、諸大名に宗門改専任役を設置し、キリシタン探索を命じる
1665 寛文5 乙巳 4・17 東福門院、知恩院徳川家康五〇年忌の千部法会を行う〈旧記採要録〉
8・24 幕府、知恩寺寺領を割き、女院御料に宛て、代銀三〇貫を同寺に附与〈徳川実紀〉
3  寺社領朱印の制度を改める
7  諸宗寺院法度を定める
8  全国の寺社領に朱印を下付
是年 京都大徳寺仏殿造営
1666 寛文6 丙午 9・15 知恩院門跡尊光法親王後光明天皇一三回忌につき、法皇御所に法問を行う〈続史愚抄〉 12 池田光政、不受不施派を弾圧
1667 寛文7 丁未 是年 知恩院、『勅修御伝』を叡覧にいれる〈御伝随聞記〉 是年 岡山藩、領内寺院を整理
1668 寛文8 戊申 2・1 江戸大火、増上寺塔頭一八院、学寮数一〇宇焼亡〈縁山志〉
是年 金戒光明寺の諸堂修理完成〈黒谷誌要〉
是年 徳川頼重、法然流謫の遺跡生福寺を再興、高松に移して法然寺と号す〈全讃史〉
2  寺院建築制限
3  祭礼の華美禁止
4  足利学校再建
1669 寛文9 己酉 8・1 前知恩院門跡良純法親王(以心庵)薨去〈本朝皇胤紹運録〉
8・2 新田大光院歴天増上寺住持〈徳川実紀〉
8・10 智哲増上寺二五世)入寂〈鎮流祖伝
4  幕府、不受不施派の寺院改宗を命じる
是年 東大寺二月堂再建
1670 寛文10 庚戌 1・25 頼重、讃岐法然寺の寺法条目三八箇条を定め、知恩院門跡尊光法親王本山檀林住持ら、これに署判を加える〈法然寺文書〉
1671 寛文11 辛亥 1・12 増上寺に諸檀林住持会合して、檀林の定一七箇条を議定〈山門通規〉
是年 清浄華院焼亡〈清浄華院誌要
2  幕府、宗門改を実施
3  幕府、キリスト教制禁
1672 寛文12 壬子 閏6・15 知恩院、諸堂修覆を将軍に謝礼〈徳川実紀〉 6  外国渡航・キリスト教禁止
1673 寛文13/延宝1 癸丑 11・24 増上寺梵鐘完成〈縁山志〉
12・8 鎌倉光明寺珂天増上寺住持〈徳川実紀〉
4  隠元入寂
5  京都大火、禁裏・仙洞罹災
1674 延宝2 甲寅 5・2 鎌倉光明寺万無知恩院住持〈旧記採要録〉
1675 延宝3 乙卯 閏4・20 幕府、浄土宗檀林入院の定三箇条を制定〈憲教類典-寺社〉
閏4・24 讃岐法然寺常紫衣綸旨を賜わる〈法然寺文書〉
閏4・28 鎌倉光明寺詮雄増上寺住持〈徳川実紀〉
11 日蓮宗宗論を禁止
1676 延宝4 丙辰 5・3 瓜連常福寺常紫衣綸旨を賜わる〈常福寺文書〉
9・22 増上寺方丈・御装束所・庫裏など焼亡〈縁山志〉
6  幕府、羽黒修験者法度制定
1677 延宝5 丁巳 7・16 幕府、増上寺普請奉行を任命〈徳川実紀〉
閏12・28 増上寺詮雄、修理成功を将軍に謝礼〈徳川実紀〉
4  江戸浅草寺炎上
1678 延宝6 戊午 3・6 知鑑知恩院三七世)入寂〈総系譜
10・8 幕府、祇園社の地を割き、知恩院三門前新道を作らせる〈系図本記〉
12・15 知恩院鐘楼完成〈続史愚抄〉
7  鉄眼新刻大蔵経出版
8  江戸大地震
1679 延宝7 己未 5  知恩寺御影堂建立〈続史愚抄〉
11・10 知恩院門跡尊光、二品に叙せられる〈本朝皇胤紹運録〉
11・27 後水尾法皇、知恩寺満霊に宗要の講説を請う。満霊病気のため辞退〈歴志略〉
5  江戸大火
1680 延宝8 庚申 1・6 知恩院門跡尊光入寂〈本朝皇胤紹運録〉
2・14 忍澂、『善導大師別伝纂註』を著述〈本朝皇胤紹運録〉
3・14 京都四箇本山および禅林寺など、善導一千年遠忌行う〈続史愚抄〉
5・13 幕府、家綱の葬礼につき、増上寺詮雄以下諸檀林の愁訴により、増上寺位牌を置き、諷経させる〈徳川実紀〉
閏8・8 伝通院巌宿増上寺住持〈徳川実紀〉
1681 延宝9/天和1 辛酉 5  知恩院万無忍澂に命じ、獅子谷法然院を創建〈忍澂行業記〉
6・25 万無知恩院三八世)入寂〈緇白往生伝
8・24 新田大光院感栄知恩院住持〈旧記採要録〉
2  江戸護国寺創建
3  宗門改証文の提出を隔年から毎年に改める
1682 天和2 壬戌 8・2 飯沼弘経寺霊玄増上寺住持〈徳川実紀〉
是年 京都周辺大飢饉、厭求、専福寺において別時念仏を修し、餓者に施行〈厭求上人行状記
11 本願寺法度制定
12 江戸大火
1685 貞享2 乙丑 11・7 浅草霊山寺檀林復興を幕府に出願〈霊山寺文書〉
11・29 幕府、霊山寺檀林復興を許可する〈徳川実紀〉
是年 幕府、檀林の定五箇条ならび覚一一箇条を定める〈鎌倉光明寺文書〉
7  生類憐みの令発布
11 新規の祭礼を禁止
1686 貞享3 丙寅 2・24 飯沼弘経寺古巌増上寺住持〈徳川実紀〉
3・20 浅草霊山寺檀林再興により、増上寺伴頭鑑了入寺〈徳川実紀〉
11・1 増上寺古巌、寺法条目七箇条を制定、一八日寺社奉行これに加判〈御触達類聚〉
1687 貞享4 丁卯 1  幕府、田舎檀林一三箇寺に、その近辺所在の知恩院増上寺末寺を支配させる〈筆蹟類聚〉
是年 筑後善導寺聖光四五〇年遠忌良忠四〇〇年遠忌を行う〈筑後善導寺誌要
12 キリシタン・異国船渡来禁止
1688 貞享5/元禄1 戊辰 2・13 鎌倉光明寺孤雲知恩院住持鎮流祖伝
8  知恩院孤雲増上寺古巌、浅草霊山寺の脈譜列次を改訂〈霊山寺文書〉
9・7 増上寺古巌所化寮の定五箇条を制定〈山門通規〉
11・7 尊空知恩院三六世)入寂〈総系譜
12 京都安養庵了智、『緇白往生伝』を著述〈同書〉
4  寛永八年までに創立され寺院は古跡、同九年以降は新地と定める
1689 元禄2 己巳 2  浅草霊山寺、本所に移転〈本所霊山寺志
4・14 金戒光明寺黒谷山北続の荒芝地に土葬のこと幕府に願う〈金戒光明寺文書〉
5  知恩寺円冏経蔵を建て、一切経を納める〈歴志略〉
1690 元禄3 庚午 4・19 浅草新知恩寺幡随院本堂再興〈下谷幡随院志
6  知恩院孤雲門末に定九箇条を発布〈良正院文書〉
3  久遠寺・本門寺、悲田派の禁止を幕府に訴える
1691 元禄4 辛未 8・29 徳川綱吉、増上寺古巌伝通院了也らを召し、法問を聴く〈徳川実紀〉
11・6 孤雲知恩院四〇世)入寂〈知恩院日鑑〉
12・10 鎌倉光明寺良我知恩院住持知恩院日鑑〉
4  日蓮宗悲田派を禁止し、七月同派の僧侶を遠流に処す
8  本郷湯島霊運寺建立
1692 元禄5 壬申 2・24 伝通院了也増上寺住持〈徳川実紀〉
3  東大寺大仏開眼供養に、四箇本山の各門末ら出勤〈大仏開眼供養記〉
9・13 古巌増上寺三一世)入寂〈鎮流祖伝
7  新建寺院・庵室を寺とすることを禁止
1693 元禄6 癸酉 2・27 増上寺了也ら、徳川綱吉の大学三綱領の講義を聴く〈徳川実紀〉
春  美作誕生寺法然像、江戸にて開帳〈武江年表〉
1  岡山藩、領内神主・僧侶・山伏の宗門改を厳重にする
1694 元禄7 甲戌 1・29 伝通院秀道知恩院住持知恩院日鑑〉
閏5・12 綱吉、増上寺了也の坊に臨駕、了也大僧正に任命〈徳川実紀〉
10・7 珂碩九品浄真寺開山)入寂〈珂碩上人行業記
10 念仏講題目講・寺社開帳勧進など禁止
1695 元禄8 乙亥 1・10 廓栄入寂〈鎮流祖伝 9  護持院隆光、大僧正となる
1696 元禄9 丙子 1・25 知恩院塔頭入信院義山、『建暦本選択集』を摸刻〈義山版同書〉
2  増上寺録所、一宗寺院開山の事績、起立由来等を提出させる〈山門通規〉
10・6 綱吉、法然大師号追贈について内命〈徳川実紀〉
1697 元禄10 丁丑 1・18 法然円光大師が勅諡される〈知恩院文書〉
3  大坂法泉寺珂然、『吉水実録』を撰述〈同書〉
12・2 増上寺了也、寺法条目七箇条を重ねて触下す、九日寺社奉行これに加判〈御触達類聚〉
7  江戸護国寺・護持院本堂上棟
10 関東大震災、江戸大火
1698 元禄11 戊寅 5・9 霊玄増上寺三〇世)入寂〈総系譜
7・29 浅草誓願寺常紫衣を許される〈徳川実紀〉
8・14 霊元上皇皇子岡宮、知恩院門跡に治定〈知恩院日鑑〉
10・18 西久保天徳寺常紫衣を許される〈徳川実紀〉
8  江戸寛永寺根本中堂建立
9  江戸大火、寛永寺諸堂宇・輪王寺本坊焼亡
11 悲田派諸寺僧を遠流に処す
1699 元禄12 己卯 2・4 祐天、桂昌院の請いにより生実大巌寺住持〈徳川実紀〉
10・15 幕府、美作誕生寺寺領五〇石を寄進〈誕生寺文書〉
2  寛永寺本坊再建
1700 元禄13 庚辰 1・8 増上寺白玄、諸檀林に覚五箇条を発布〈山門通規〉
7・8 飯沼弘経寺雲臥増上寺住持〈徳川実紀〉
5  護国寺で清凉寺釈迦像開帳
12 徳川光圀没

1701-1800

西暦 年号 干支 主要事項 参考事項
1701 元禄14 辛巳 5・21 三河高月院常紫衣を許される〈徳川実紀〉
1702 元禄15 壬午 9・6 増上寺雲臥大僧正に任ぜられる〈徳川実紀〉 是年 『本朝高僧伝』完成
1703 元禄16 癸未 9・2 幕府、桂昌院の願いにより京都獅子谷法然院寺領三〇石を寄進〈法然院文書〉
12・8 義山円智の遺業を継ぎ、『円光大師行状画図翼賛』を編纂〈同書〉
8  曹洞宗嗣法につき法度制定
1704 元禄17/宝永1 甲申 11・29 伝通院門周増上寺住持〈徳川実紀〉
12・3 近江松江称名寺心阿、『浄土鎮流祖伝』を著述〈同書〉
7  幕府、女巡礼念仏講を禁止
9  神田明神建立
1705 宝永2 乙酉 1  増上寺録所、所化寮心得の覚一九箇条を定める〈山門通規〉
閏4・1 増上寺方丈より出火、御成殿など焼亡〈徳川実紀〉
6・22 綱吉生母桂昌院の葬礼を増上寺に行う。
11・22 霊廟の傍らに恵照律院を建立〈徳川実紀〉
初夏 巌的、『浄土列祖伝』を著述〈同書〉
3  この月より、おかげまいり流行
7  根津権現建立
1706 宝永3 丙戌 1・10 知恩院本堂内陣外陣の間に「大谷寺」勅額を掲げる〈知恩院日鑑〉
2・19 忍澂大蔵経の対校を始める〈忍澂行業記〉
4  増上寺録所、名越檀林円通・専称両寺に法度七箇条を発布〈山門通規〉
10・3 知恩院門跡岡宮、将軍綱吉の猶子となる〈知恩院日鑑〉
12 日蓮宗三鳥派僧侶処罰される
1707 宝永4 丁亥 3・23 鎌倉光明寺円理知恩院住持華頂誌要
5・25 増上寺録所、浄土宗侶の自讃毀他を禁止〈山門通規〉
6・13 知恩院門跡岡宮良邦親王、入室得度戒師は同院円理法名尊統〈続史愚抄〉
8・9 幕府、増上寺に寺法五箇条を発布〈徳川実紀〉
8・27 知恩院円理大僧正に任ぜられる〈徳川実紀〉
9  道心者・女巡礼勧化を禁止
是年 信濃善光寺本堂造営
1708 宝永5 戊子 3・8 京都大火、清浄華院焼亡〈続史愚抄〉
4・3 了也増上寺三二世)入寂〈新撰往生伝
4  乱髪の僧の勧化徘徊を禁止
1709 宝永6 己丑 4  東大寺大仏殿堂供養四箇本山の各門末ら出勤〈大仏殿堂供養記〉
1710 宝永7 庚寅 1  瓜連常福寺を向山浄鑑院に合併し、檀林を継続〈瓜連常福寺志
6・15 知恩院阿弥陀堂移建上棟〈同棟札
閏8・18 雲臥増上寺三四世)入寂〈総系譜
9・15 知恩院阿弥陀堂落慶〈同棟札
11・26 清浄華院阿弥陀堂上棟〈続史愚抄〉
4  寺社新建を幕府の許可制とし新異の法・妖妄の説を厳禁
6  女巡礼勧化念仏講を禁止
是年 信濃善光寺本堂再建
1711 宝永8/正徳1 辛卯 1・13 知恩院、霊元上皇宸筆「華頂山」勅額を三門に掲げる〈知恩院書翰控〉
1・18 法然五〇〇年遠忌東漸大師の号を加諡される〈知恩院文書〉
5・18 知恩院門跡尊統入寂〈続史愚抄〉
11・10 忍澂入寂〈忍澂行業記〉
12・6 伝通院祐天増上寺住持〈徳川実紀〉
12・18 義山、『黒谷上人語灯録』を校合刊行〈同書〉
3  寺社に朱印状写の提出を命ず
12 江戸大火
1712 正徳2 壬辰 8  鎌倉高徳院、大仏殿再建寺地を購入〈高徳院文書〉
11・2 徳川家宣の葬礼を増上寺に行う〈徳川実紀〉
1713 正徳3 癸巳 5・12 伝通院衆僧、徒党を結び増上寺伝通院の命に服さざるを罰す〈徳川実紀〉
5・20 幕府、増上寺に寮舎遷移の費用を給附〈徳川実紀〉
4  勧進奉加を禁止
1714 正徳4 甲午 5  知恩寺吟達、同寺釈迦堂前に復刻襄陽石刻阿弥陀経石を建設〈知恩寺誌要〉
6・28 鎌倉光明寺詮察増上寺住持〈徳川実紀〉
3  寺社境内の猿楽・説経・雑劇などの興行を禁止
1715 正徳5 乙未 1・8 知恩院、徳川家歴代御影の安置について覚書を奉行所に提出〈知恩院書翰控〉
2・23 増上寺録所、方丈・役寮に勤仕すべき諸寺の年間度数を定める〈山門通規〉
6・19 鎌倉光明寺岸了知恩院住持知恩院日鑑〉
初夏 義山、仙洞(宮)御所において『和語灯録』を講説〈義山行業記〉
4  東照宮一〇〇忌法要が行われる
1716 正徳6/享保1 丙申 4・30 徳川家継の葬礼を増上寺に行う〈徳川実紀〉
6・25 知恩院岸了、大塔建立を発議〈知恩院日鑑〉
8・6 小石川伝通院沢春知恩院住持知恩院日鑑〉
11・10 知恩院沢春、六役・山役の勤方定五箇条を制定〈知恩院日鑑〉
11 寺社の朱印を改める
1717 享保2 丁酉 2・21 鎌倉光明寺白随増上寺住持〈徳川実紀〉
3・18 松誉詮察増上寺三七世)入寂〈縁山志〉
11・13 義山入寂〈義山行業記〉
12・28 江戸大火、増上寺寮舎類焼〈縁山志〉
是年 清浄華院東山天皇の御殿を賜わり、御影堂を建立〈清浄華院誌要
2  江戸護持院焼失、焼跡を収公して火除地とする
3  新地の寺社建立を禁止
1718 享保3 戊戌 7・15 祐天増上寺三六世)入寂〈祐天大僧正伝
8・12 伝通院了鑑知恩院住持知恩院日鑑〉
7  日蓮宗三鳥派禁止
1719 享保4 己亥 1・2 無能入寂〈無能和尚行業記
1・23 霊元上皇皇子悦宮、知恩院門跡に治定〈知恩院日鑑〉
9  増上寺聖冏三〇〇回忌を行う〈縁山志〉
10・5 増上寺録所、所化の学問・衣服などの定三箇条を制定〈山門通規〉
11 増上寺存応一〇〇回忌を行う〈縁山志〉
是年 祐海祐天の遺命をうけて目黒祐天寺を建立〈増上寺文書
2  聖徳太子一五〇〇年忌
12 寺社開帳制限
1720 享保5 庚子 8・3 幕府、増上寺に歴代霊廟および霊牌所の新造・再建を停止〈徳川実紀〉
8・16 幕府、増上寺で綱吉(常憲院殿)の法要を停止〈徳川実紀〉
9・13 門秀(増上寺三五世)入寂〈縁山志〉
3  江戸大火、東叡山家光廟焼亡
1721 享保6 辛丑 2・4 澄禅入寂〈澄禅和尚行業記〉
3・4 江戸大火、小石川伝通院類焼〈徳川実紀〉
9・12 小石川伝通院上棟〈徳川実紀〉
10・11 幕府、増上寺・寛永寺の消防の制を定める〈徳川実紀〉
7  村里に神祠を設け仏像の建置を厳禁
1722 享保7 壬寅 3・12 幕府、増上寺・寛永寺の歴代年忌法要の勅使参向を辞退〈御触達類聚〉
4  増上寺白随、制条一〇箇条を定め、寺院所化説法卑劣を誡める〈縁山志〉
12 知恩院、諸国門末浄土宗法度九箇条・添条目九箇条を発布〈知恩院書翰控〉
9  諸宗寺院法会・饗応の倹約を命じる
1723 享保8 癸卯 10・24 増上寺山内寮舎三二宇類焼〈縁山志〉 春  「おかげまいり」流行
1724 享保9 甲辰 7・27 當麻寺を往古のように、浄土真言両宗立会い、法事執行をするよう浄土宗側より奉行所に訴える〈知恩院来翰留〉
11・28 知恩院、本末作法のことについて幕府に訴える〈知恩院書翰控〉
11・29 京都所司代、知恩院に六役・山役の分限を申渡す〈知恩院日鑑〉
9  大きな仏像で村々勧化することを禁止、仏工・鋳工に三尺以上の仏像の作成を禁止
1725 享保10 乙巳 7・1 京都空也寺法然寺焼亡〈続史愚抄〉
9・5 円理知恩院三世)入寂〈華頂誌要
11・23 幕府、毎年一二月の増上寺・寛永寺霊廟代参を停止〈徳川実紀〉
1726 享保11 丙午 2・28 鎌倉光明寺冏鑑増上寺住持〈徳川実紀〉
8・16 知恩院門跡悦宮、将軍吉宗の猶子となる〈知恩院日鑑〉
8・18 増上寺録所、伴頭を学頭と改称〈山門通規〉
是年 増上寺冏鑑布薩道場を開き、永式とする〈縁山志〉
1727 享保12 丁未 3・19 知恩院門跡悦宮栄貞親王、入室得度戒師は同院了鑑法名尊胤〈続史愚抄〉
6・15 鸞宿、『浄土伝灯総系譜』を撰述〈同書〉
8・5 了鑑知恩院四六世)入寂〈知恩院日鑑〉
8・26 小石川伝通院見超知恩院住持知恩院日鑑〉
11・26 知恩院綸旨開衣式を停止、京都門中一﨟等の袈裟規定を設置〈知恩院日鑑〉
11 幕府、農村に対して新たに神仏を祭ることを禁止
12 江戸大火
1728 享保13 戊申 5  知恩院見超、同院無住入院規定を改訂、また大衆の希望により山内大衆規定一〇箇条を設ける〈知恩院蔵御制条控〉
11 増上寺録所、府内檀林紫衣地六箇寺(伝通院誓願寺天徳寺霊山寺霊巌寺幡随院)に約定五箇条改訂を下知〈山門通規〉
4  徳川吉宗、日光東照宮および家光の祠堂に参詣
1729 享保14 己酉 3  金戒光明寺知恩寺蔵の『一枚起請文』を法然真蹟と称して展示するを公儀に訴える。所司代これを禁じ、また知恩院清浄華院調停し、知恩寺の宝庫に秘蔵させる〈黒谷誌要〉
8  知恩院、幕府の稀覯書保存調査に対し、本末諸寺に無い旨を答申〈知恩院書翰控〉
9  伊勢皇大神宮・豊受神宮正遷
1730 享保15 庚戌 6・20 京都大火、報恩寺浄福寺など焼亡〈続史愚抄〉
6・21 白随増上寺三八世)入寂〈縁山志〉
9・26 知恩院門跡尊胤、二品に叙せられる〈続史愚抄〉
秋  『高麗蔵本書写目録』『麗北両蔵相違補欠録』を重校〈同書〉
是年 知恩院、京・大坂・堺・大津の各門中に制条を発布〈知恩院蔵御制条控〉
12 天王寺修復の勧化行われる
1731 享保16 辛亥 7・15 知恩院東照宮御影堂・惣門焼亡〈知恩院日鑑〉 10 日蓮四五〇年忌
1732 享保17 壬子 1・7 見超知恩院四七世)入寂〈華頂誌要
2・2 伝通院往的知恩院住持知恩院日鑑〉
8・28 鎌倉光明寺利天増上寺住持縁山志〉
10 知恩院総本山たるの所以を開陳〈諸記撮要〉
1733 享保18 癸丑 2・3 知恩院、飢人に施米〈知恩院日鑑〉
10 増上寺録所、諸末寺璽書布薩相伝の書上げを命じる〈山門通規〉
1735 享保20 乙卯 1・22 伝通院頓秀増上寺住持〈徳川実紀〉
2・2 利天増上寺四〇世)入寂〈縁山志〉
6  増上寺、惣月行事、並びに蔵司職永式掟を定める〈山門通軌〉
1736 享保21/元文1 丙辰 6・6 増上寺門跡は一宗の門主であることを六役に内達〈山門通軌〉
1737 元文2 丁巳 1  増上寺、緑山会計心得三箇条・会計金銀著帳指揮を定める〈山門通軌〉
6・25 嵯峨清凉寺二王門焼失〈続史愚抄〉
10・5 増上寺頓秀、山内所化の借在家講仏前・講釈勧化など五箇条の制戒掟を沙汰〈山門通軌〉
1738 元文3 戊午 1・16 二祖聖光の五〇〇年遠忌にあたり、知恩院、贈大師号下賜方を増上寺に依頼〈知恩院書翰控〉
4・25 往的知恩院四八世)入寂〈華頂誌要
5・16 鎌倉光明寺真察知恩院住持華頂誌要
12・1 鎌倉光明寺了般増上寺住持縁山志〉
是年 筑後善導寺開山聖光五〇〇年遠忌法会・末山如法経頓写会厳修〈筑後善導寺誌要
4  僧侶仏像什宝の入質を禁止
1739 元文4 己未 10・10 頓秀増上寺四一世)入寂〈縁山志〉
12・26 知恩院門跡尊胤入寂〈本朝皇胤紹運録〉
1740 元文5 庚申 7  増上寺、諸寺院四十八夜御忌・十夜等の助説を停止させる〈山門通軌〉
8・1 増上寺所化僧の町中不浄説法を禁止〈山門通軌〉
11・16 増上寺、府内五口寺院の法﨟二〇年以上の僧に布薩相承山門通軌〉
1742 寛保2 壬戌 2・7 増上寺、府内六箇寺・五口・下寺・坊中・諸堂司の無尽を停止〈山門通軌〉
2・22 暁山雲洞亮徹入寂〈略伝集
4  幕府、諸国寺社修造勧化公許(御免)の制を沙汰
1743 寛保3 癸亥 1・10 増上寺、借寮僧(三席も含む)の門弟入寺を停止、入寺僧を取締る〈山門通軌〉
4・7 増上寺、府内寮舎主(檀林所化)に引導掟を下知〈山門通軌〉
是年 筑後善導寺経蔵起立。黄檗版一切経の奉納あり〈筑後善導寺誌要
1744 寛保4/延享1 甲子 3  幕府、目黒祐天寺境内四〇〇坪・天英院殿霊屋料一六〇〇坪を追加寄附〈日本宗教制度史料類聚考所収文書〉 8  富永仲基『出定後語』刊行
1745 延享2 乙丑 3  筑後善導寺、庫裏・方丈など焼失〈筑後善導寺誌要
4・4 真察知恩院四九世)入寂〈華頂誌要
5・2 瓜連常福寺鸞宿知恩院住持華頂誌要
7  増上寺了般、幕府に辞職を再願。八月四日認可〈続徳川実紀〉
8・13 伝通院連察増上寺住持縁山志〉
9  幕府本末帳の提出を命ず
1746 延享3 丙寅 2・29 本所霊山寺類焼〈霊山寺志〉 2  江戸大火
1747 延享4 丁卯 2・19 洛西長時院湛慧入寂〈長時院律法開祖湛慧和上行状
8・11 幕府、増上寺に惣寺領一〇、五四〇石・境内山林竹木諸役免除の朱印を授与〈増上寺日鑑幹事便覧〉
10・8 了般増上寺四二世)入寂〈縁山志〉
春  「檀林印可楷定章」成り、十八檀林に配布される〈鎌倉光明寺蔵同章〉
1748 延享5/寛延1 戊辰 4・11 尊峰法親王知恩院門跡相続を申出で、五月一日台命〈知恩院来翰留書〉
9・20 武蔵花又正受律院敬首(祖海)入寂〈敬首和上略伝〉
1749 寛延2 己巳 9  大玄増上寺学侶に密に円頓戒を講説し、『布薩戒講義』を撰述〈浄土宗年譜
1750 寛延3 庚午 5  幕府、大光院修理料金五〇〇両・檜木五千挺を寄進〈徳川実紀〉
10・13 増上寺三門外の護念堂を本堂右側に移し護国殿と改め、この日供養縁山志〉
10・16 鸞宿知恩院五〇世)入寂〈知恩院日鑑〉
11・12 伝通院雲頂知恩院住持華頂誌要
11 三河松応寺の修理願いに、幕府、私坊は私費で、霊屋は幕府が修理することを沙汰〈徳川実紀〉
是年 増上寺覚瑩学寮制条を集録して各寮に附す〈縁山志〉
4  幕府、一向宗僧徒個人の改宗寺院の宗派替を認可
1751 寛延4/宝暦1 辛未 1  信濃善光寺方丈・坊舎など焼失〈徳史愚抄〉
2・27 増上寺、山内諸事の質素・倹約など一四箇条を沙汰〈山門通軌〉
7  幕府、伝通院本堂・宝塔・各所調度の修理料銀三〇〇枚を授与〈徳川実紀〉
1752 宝暦2 壬申 1  増上寺、府内外末寺直弟の相続につき、期限切れの席入を延引し、法席懈怠の者などの師席相続を停止〈山門通軌〉
8・21 増上寺、武蔵一円配下の寺院に、寺院建立時の借金を停止させる〈山門通軌〉
9・19 月光院殿(徳川家継生母)入寂。一〇月三日増上寺埋葬〈徳川実紀〉
1753 宝暦3 癸酉 2・5 雲頂知恩院五一世)入寂〈華頂誌要
3・14 鎌倉光明寺了風知恩院住持華頂誌要
11・28 伝通院大玄増上寺住持縁山志〉
1754 宝暦4 甲戌 5  甲斐善光寺諸堂類焼。幕府、建立用材として松材を下附〈徳川実紀〉
8・25 知恩院門跡和義、知恩院了風につき得度し、尊峰と号す〈知恩院日鑑〉
9・3 了風知恩院五二世)入寂〈華頂誌要
10・7 鎌倉光明寺順真知恩院住持華頂誌要
11・6 覚瑩増上寺四四世)入寂〈縁山志〉
1755 宝暦5 乙亥 1・8 檀林会議で円戒羯磨の再興・璽書の伝授、布薩戒の存続を議決。能化連署して、各本山に各一本を蔵させる〈会評記〉
1・10 新田大光院義海入寂〈浄土宗史
4・25 連察増上寺三世)入寂〈縁山志〉
1756 宝暦6 丙子 6・2 貞極、入寂〈貞極大徳伝
9・1 伝通院定月増上寺住持縁山志〉
1757 宝暦7 丁丑 8・8 本日より嵯峨清凉寺釈迦像、京都で五〇日間開帳〈続史愚抄〉
9  當麻奥院知恩院に金襽衣着用永世免許の下状を請願〈知恩院来翰留書〉
1758 宝暦8 戊寅 5  幕府、三河大樹寺諸堂の修理を許可〈日本宗教制度史料類聚考所収文書〉 7  宝暦事件
1759 宝暦9 己卯 3  知恩院御忌唱導師心得など、京阪門末に諭達〈知恩院書翰控〉
1760 宝暦10 庚辰 1・2 目黒祐天寺祐海入寂〈祐海上人伝〉 8  幕府、諸国寺社領朱印を更正
1761 宝暦11 辛巳 1・18 宗祖五五〇年遠忌勅会を知恩院開白慧成大師諡号加諡〈知恩院文書〉
4・19 幕府、増上寺黒本尊堂(護国殿)を修理。この日行賞〈徳川実紀〉
9・27 増上寺定月、山内の中老一七院に初めて色袈裟許可縁山志〉
1762 宝暦12 壬午 2・6 越前武生正覚寺門徹、本寺清浄華院と連署の上、金襽着用許可願を増上寺に提出。二七日許可〈妙鑑録〉
2・16 増上寺学寮三七軒、塔頭子院都合五〇余宇焼失〈縁山志〉
3・23 上総称念寺歯吹如来増上寺開帳。六月一四日、江戸城大奥に渡る〈妙鑑録〉
2  寺院改宗・新寺の建立を禁ず
1763 宝暦13 癸未 7・1 増上寺定月、定書を制し、宗規厳守、金襽・紫衣・乗輿など乱用を禁止〈山門通軌〉
9・22 京都了蓮寺文雄入寂〈略伝集
9・25 伝通院沢真知恩院住持知恩院日鑑〉
10・21 増上寺本堂・三門など修理終わる。この日入仏会執行〈妙鑑録〉
1765 明和2 乙酉 7・25 沢真知恩院五四世)入寂〈華頂誌要
8  増上寺、結緑五重授受者の非法を厳制〈浄土宗年譜
1766 明和3 丙戌 8・晦 知恩院塔頭衣体に関する制定を定める〈知恩院書翰控〉
12・1 伝通院弁秀増上寺住持〈徳川実紀〉
10 幕府、キリシタン禁制に関する令を沙汰
1769 明和6 己丑 4・12 順真知恩院三世)入寂〈華頂誌要
10・2 正含知恩院五五世)入寂〈華頂誌要
11・4 鎌倉光明寺教意知恩院住持華頂誌要
1770 明和7 庚寅 2・2 関通、京都北野転法輪寺で入寂〈関通和尚行業記
11・15 伝通院智瑛増上寺住持縁山志〉
1771 明和8 辛卯 8・11 深川霊巌寺本堂焼失〈霊巌寺志〉
11・12 教意知恩院五六世)入寂〈華頂誌要
12・3 定月増上寺四六世)入寂〈略伝集
12・8 鎌倉光明寺貞現知恩院住持華頂誌要
2  僧侶宗門改めは本山が一括
5  「おかげまいり」流行
1772 明和9/安永1 壬辰 7・29 弁秀増上寺四七世)入寂〈縁山志〉
8  知恩院貞現住持掟書を下す〈知恩院蔵同掟書〉
2  江戸大火
1773 安永2 癸巳 3・15 伝通院霊応増上寺住持縁山志〉
1774 安永3 甲午 11 寺社奉行松平忠順、東西本願寺浄土真宗公称を増上寺に問う〈宗名一件細書〉 10 旅僧・山伏の取締を沙汰
1775 安永4 乙未 1  増上寺真宗宗名公称の訴願に関し、故障の趣旨を松平忠順に提出〈宗名事件〉
5  知恩院御影堂・集会堂・大庫裏・奥書院山門など諸堂を修覆〈知恩院日鑑〉
11 宗名諍議に関し、幕府は従来通り一向宗と取扱う旨書を増上寺に送る〈宗名事件〉
1776 安永5 丙申 2  増上寺檀林等、本願寺門徒浄土真宗公称を非法として上申〈宗名一件細書〉 12 諸国宗門改帳の提出を命ず
1778 安永7 戊戌 1・9 増上寺霊応(四九世)隠居し、翌一〇日入寂〈増上寺月番日鑑〉
1・15 鎌倉光明寺隆善増上寺住持縁山志〉
1780 安永9 庚子 7・11 知恩院貞現(五七世)隠退。九月二四日入寂〈華頂誌要
8・6 伝通院祐月知恩院住持華頂誌要
1782 天明2 壬寅 8・15 大我(江戸草瑞房庵主)入寂〈略伝集 是年 天明の大飢饉始まる
1783 天明3 癸卯 8・17 増上寺隆善、幕府に辞職を申請、九月八日辞職〈徳川実紀〉
1784 天明4 甲辰 3・13 東漸寺弁冏知恩寺住持縁山志〉
7・5 祐月知恩院五八世)入寂〈華頂誌要
8・8 伝通院興玄知恩院住持華頂誌要
1785 天明5 乙巳 10・23 武蔵小机泉谷寺慧頓入寂〈浄土宗年譜
1786 天明6 丙午 是年 筑後善導寺愍海、同寺本堂を再興〈筑後善導寺誌要
1787 天明7 丁未 2・25 飯沼弘経寺妙瑞入寂〈縁山志〉 7  寛政の改革始まる
1788 天明8 戊申 1・晦 京都大火。清浄華院知恩寺末寺など焼亡。知恩寺、金米を施与〈知恩院日鑑〉
7・18 知恩院門跡尊峰入寂。一心院埋葬法号は無辺光院〈知恩院日鑑〉
1  禁裏・二条城炎上
1789 天明9/寛政1 己酉 6・7 学信、宮島加祐軒で入寂〈学信和尚行状記
6  増上寺不浄説法を禁止〈浄土宗年譜
12 出家・山伏人別帳提出を沙汰
12 寺院境内の貸家を制限
1790 寛政2 庚戌 1・29 後桜町天皇生母、知恩院仮御殿で入寂〈公卿補任〉
4・13 伝通院円宣増上寺住持縁山志〉
5  寛政異学の禁
1791 寛政3 辛亥 3・24 隆善増上寺五〇世)入寂〈縁山志〉
4  金戒光明寺御影堂落成。遷座式厳修〈黒谷誌要〉
8・6 知恩院興玄辞職。一二日新善光寺に隠居〈華頂誌要
9・25 鎌倉光明寺定説知恩院住持華頂誌要
5  僧侶の市中借宅を制限
5  葬礼・仏事等質素を勧告
1792 寛政4 壬子 2・25 増上寺円宣(五二世)辞職。五月二日、麻布一本松で入寂〈縁山志〉
2・28 伝通院智堂増上寺住持縁山志〉
9  ロシア使節ラックスマン、根室に来航
1794 寛政6 甲寅 2・23 増上寺住職御礼登城の伴廻り人数次第を幕府に提出〈増上寺役所日鑑〉
11 増上寺末寺住持交替の開基檀那の諒解を計るよう沙汰〈増上寺所蔵幹事便覧〉
是春 信冏、『湖東三僧伝』を撰述〈同書奥書
6  無住寺院は村持にし、本末帳より除き、廃寺を整理
1796 寛政8 丙辰 3・18 興玄知恩院五七世)入寂〈華頂誌要
7・9 満空増上寺五一世)入寂〈縁山志〉
1797 寛政9 丁巳 3・14 長門西円寺法洲、大阪妙蓮庵浄業会規則を定める〈法洲和尚略伝〉
11・22 深川霊巌寺本堂類焼〈霊巌寺志〉
1798 寛政10 戊午 9・10 知恩院定説辞職。新善光寺に隠居〈知恩院日鑑〉
9・27 金戒光明寺霊長隠退〈結城弘経寺志
10・2 伝通院聖道知恩院住持華頂誌要
11・11 東漸寺俊海金戒光明寺住持〈続徳川実紀〉
是年 京都浄福寺音澂浄業清規を刪修し蓮社の通規とする〈浄土宗年譜
1800 寛政12 庚申 5・16 智堂増上寺三世)入寂〈縁山志〉
11・23 洛東専念寺仏定入寂〈専念仏定和尚行業記

1801-1900

西暦 年号 干支 主要事項 参考事項
1801 寛政13/享和1 辛酉 6・15 嵯峨清凉寺釈迦像、江戸回向院開帳法会開白〈武江年表〉
9・16 聖道知恩院六一世)入寂〈華頂誌要
10・16 伝通院霊麟知恩院住持華頂誌要
1802 享和2 壬戌 3・10 増上寺本堂三門経蔵修理終わる。家斉臨駕〈縁山志〉
3・28 大阪大福寺了吟入寂〈縁山志〉
6  金戒光明寺、大方丈上棟式を挙行〈黒谷誌要〉
9  清浄華院、恭礼門院の旧殿を賜り、阿弥陀堂を建立〈清浄華院誌要
是年 『開通和尚行業記』刊行〈同書刊記〉
是年 念海撰『円光大師報恩嘆徳疏』刊行〈同書刊記〉
11 諸宗本山・階級・衣体などの制度を幕府に提出
1804 享和3/文化1 甲子 5  蝦夷に善光寺など起立増上寺学信門弟荘海を住職に命ず〈浄土宗年譜
6・23 隆円、『専念仏定和尚行業記』を撰述〈同書序〉
9  ロシア使節レザノフ、長崎に来航
1805 文化2 乙丑 8・3 京都長時院大心入寂〈略伝集
8・7 有栖川種宮(尊超法親王)、知恩院門跡となる〈華頂誌要
10・26 江戸崎大念寺原澄金戒光明寺住持縁山志〉
1806 文化3 丙寅 3・4 増上寺、五重塔・僧房・学寮炎上〈縁山志〉
4・13 霊麟知恩院六二世)入寂〈華頂誌要
5・18 伝通院智巖、知恩院住持華頂誌要
11・6 金戒光明寺方丈入仏供養黒谷誌要〉
11 知恩院、『御忌勧誘記』を諸国末寺に頒布〈華頂誌要
2  百姓の法名院号居士号・大姉号を禁止
3  江戸大火
1807 文化4 丁卯 9  増上寺、関東諸河川普請のため関東末寺院に銀の納附を沙汰〈八王子極楽寺文書〉
11・4 八王子大善寺増上寺の沙汰で末寺住持有無の調査行う〈八王子極楽寺文書〉
是年 洛東専念寺隆円、『近世往生伝』を撰述〈同書序〉
1808 文化5 戊辰 4・1 鎌倉光明寺在禅増上寺住持縁山志〉 8  フェートン号事件
1809 文化6 己巳 2  増上寺、五五〇年遠忌の例にならい、宗祖六〇〇年遠忌奉謝金負担を各末寺檀越に沙汰〈八王子極楽寺文書〉
7・19 智厳知恩院三世)入寂〈華頂誌要
8・16 伝通院在心知恩院住持華頂誌要
是年 金戒光明寺阿弥陀堂修理〈黒谷誌要〉
是年 随誉撰『一枚起請勧信鈔』刊行〈同書刊記〉
1810 文化7 庚午 9・27 尊超法親王(種宮福道親王知恩院に入室〈華頂誌要
是年 清浄華院本堂再建寄附を募る〈清浄華院誌要
是年 江戸幡随院貞道清浄華院住持清浄華院誌要
是年 知恩寺祐水、表門内左側の勢至堂を現在の所に移す〈知恩寺誌要〉
是年 『浄家諸回向宝鑑』刊行〈同書刊記〉
1811 文化8 辛未 1・17 知恩院尊超法親王改衣〈華頂誌要
1・18 宗祖六〇〇年遠忌により弘覚大師諡号を賜わる〈華頂誌要
1  宗祖六〇〇年遠忌金戒光明寺で厳修〈黒谷誌要〉
5・11 清浄華院知音隠退〈清浄華院誌要
6・28 幕府、増上寺境内西北・霊屋後の上地及び同地続地を火除地として寄進〈縁山志〉
10・18 幕府、増上寺境内地として隣接金地院境内地を寄進。囲込用の増地あり〈縁山志〉
是年 瓜連常福寺本堂鐘楼落慶〈常福寺志〉
是年 『円光大師六百年御忌図録』刊行〈同書〉
是年 観道撰『選択集貴旧鈔』書写〈同書奥書
是年 安芸広島頓海、『唯信鈔』の校正出版を順阿隆円に勧める〈同書奥書
1812 文化9 壬申 1  増上寺清浄華院祠堂金五〇〇両を寄進〈清浄華院誌要
2・2 賢洲(筑後善導寺四九世)入寂〈筑後善導寺誌要
7  法洲、長門大日比西円寺住持法洲和尚行業記
9・15 念海増上寺五四世)入寂〈縁山志〉
是年 『浄土要略鈔』刊行〈同書刊記〉
1813 文化10 癸酉 5  知恩寺祐水(五四世)隠退〈知恩寺誌要〉
6・21 生実大巌寺円純知恩寺住持知恩寺誌要〉
7  知恩院知恩院門跡宗規蔑視、驕傲の行為を切諫〈浄土宗年譜
8・5 増上寺在禅、家斉に辞職を願出て、九月一〇日隠退〈続徳川実紀〉
10・1 鎌倉光明寺典海増上寺住持縁山志〉
是年 忍浄撰『円光大師御伝編年略図』刊行〈同書〉
1814 文化11 甲戌 10・24 徳本、江戸一橋家に招かれ、一同に十念を授与〈徳本行者伝
是年 『厭求上人行状記』刊行〈同書刊記〉
是年 『浄土法門源流章』刊行〈同書刊記〉
11 黒住宗忠、黒住教を開く
1815 文化12 乙亥 6  徳本伝通院本堂西北隅境内に大日堂を再興〈徳本行者伝
8・18 増上寺典海、鎌倉円覚寺正続院より仏舎利を招請〈増上寺役所日鑑〉
10・30 江戸崎大念寺顕了、『両派玄談』上巻完成。一一月二五日中巻刊行〈同書〉
12・5 長門大日比西円寺法岸入寂〈法岸和尚行状記〉
1816 文化13 丙子 6・14 生実大巌寺徳定清浄華院住持清浄華院誌要
7・1 増上寺典海、山内一三箇院に香衣を許し永式法服とする〈縁山志〉
10・17 慶光院尼(一条関白息女)、徳本日課念仏六万返を誓う〈徳本行者伝
1818 文化15/文政1 戊寅 1・2 深川霊巌寺方丈焼亡〈霊巌寺志〉
7・20 摂門増上寺で『原人論』を講じ、さらに『同論講解』を撰述〈縁山志〉
8  知恩院門跡尊超、来春関東下向の六役三役御供の事を定める〈知恩院日鑑〉
10・20 知恩院鎮守社拝殿・別当所焼失により、再建開始〈知恩院日鑑〉
12・10 典海増上寺五六世)入寂〈縁山志〉
12・15 伝通院実海増上寺住持縁山志〉
1819 文政2 己卯 6・1 増上寺、諸門末寺に鎌倉光明寺記主堂修覆奉謝金納入を沙汰〈八王子極楽寺文書〉
7・2 摂門、『続三縁山志』を増上寺実海に呈す〈同書〉
9・27 聖冏四〇〇年遠忌を記念し、増上寺実海、『破邪顕正義』諸本を校合再刻〈同書〉
9  知恩院門跡尊超導師となり、聖冏四〇〇年遠忌法会伝通院で厳修〈浄土宗年譜
11・29 隆円、『吉水瀉瓶訣』を撰述〈同書〉
夏  嵯峨清凉寺釈迦像、江戸回向院開帳〈武江年表〉
是年 良忠撰『浄土宗要義』刊行〈同書〉
1820 文政3 庚辰 1・19 実海増上寺五七世)入寂〈伝通院志〉
2・15 鎌倉光明寺舜従増上寺住持浄土宗年譜
3・21 在禅増上寺五五世)清光寺で入寂〈鎌倉光明寺志
6・1 信濃善光寺如来、江戸回向院開帳法会開白〈武江年表〉
9・4 知恩院在心辞職〈華頂誌要
10・3 伝通院貞厳知恩院住持華頂誌要
11・12 伊勢松坂清光寺信冏入寂〈略伝集
是年 『徳本上人行状和讃』『徳本上人御勧誠聞書』刊行〈同書〉
是年 隆円、『円光大師前知録』を選述〈同書〉
1821 文政4 辛巳 10・21 『縁山志』『檀林志』などの著者摂門還俗摂門伝〉
12・26 増上寺仏殿修理完成〈続徳川実紀〉
夏  知恩院貞厳信冏纂輯『聖光上人伝』に序を寄せ刊行〈同書〉
是年 伝通院本堂修覆〈伝通院志〉
是年 隆円、『円光大師尽孝説』『同本地説』『厭求和尚法語』を撰述〈同書〉
是年 『学信和尚行状記』刊行〈同書〉
是年 摂門、『霊巌上人広済伝』を選述〈霊巌寺志〉
1822 文政5 壬午 5・16 知恩院、京都円山安養寺領の一部を火除地として永世借受ける〈知恩院日鑑〉
9・27 在心知恩院六四世)入寂〈華頂誌要
是年 玄応撰『浄土論題指麾集』刊行〈同書〉
1823 文政6 癸未 3・30 伝通院本堂など修理〈続徳川実紀〉
是年 良雄撰『浄土論発起録』書写〈同書〉
1824 文政7 甲申 1・30 京都一心院恢麟入寂〈略伝集
3・16 竜応、清浄華院住持清浄華院誌要
3  増上寺顕了、坊中一七箇院に香衣許可浄土宗年譜
7  幕府、増上寺大衆に学資金三千両を寄進〈浄土宗年譜
春  『和字選択集』刊行〈同書〉
1826 文政9 丙戌 4・17 知恩院蔵宋版一切経、虫損修覆〈華頂聚宝〉
1827 文政10 丁亥 4・16 知恩院門跡尊超参内、勅定により十善戒を授与〈知恩院日鑑〉
6・18 貞厳知恩院六五世)入寂〈華頂誌要
7・20 鎌倉光明寺貞瑞知恩院住持華頂誌要
7  幕府、増上寺に台命寺院の由緒書を提出させる〈増上寺日鑑幹事便覧〉
11・22 二祖聖光六〇〇年遠忌にあたり、大紹正宗国師諡号賜わる〈清浄華院誌要
12・2 知恩院聖光国師号慶讃法要執行。四日京都聖光寺でも執行〈知恩院日鑑〉
是年 知恩院門跡尊超、遠隔門末寺を連年逓番御忌会に登山させる〈浄土宗年譜
是年 『往生拾因』刊行〈同書〉
1828 文政11 戊子 3・21 知恩寺阿弥陀堂類焼〈知恩寺誌要〉
3  知恩院修覆〈知恩院日鑑〉
是年 隆円撰『厭求和尚法語』刊行〈同書〉
12 シーボルト事件
1829 文政12 己丑 2・9 香衣騒動〈増上寺記録〉
6・19 江戸大火焼死者追悼会を本所回向院開白〈続徳川実紀〉
12・27 太田大光院典常、増上寺香衣騒動につき自尽〈浄土宗年譜
12・29 増上寺顕了隠退〈続徳川実紀〉
1830 文政13/天保1 庚寅 3・8 顕了増上寺に再住〈続徳川実紀〉
3  筑後善導寺善導一一五〇年遠忌法会を厳修〈筑後善導寺誌要
5・10 増上寺顕了、坊中の香衣被着を停止〈増上寺記録〉
3  幕府、僧侶の濫行を戒る
3  「おかげまいり」流行
1831 天保2 辛卯 2・15 隆円聖覚撰『唯信鈔』の校正終わる〈同書〉
2  嵯峨正受院立道信冏校定『浄土宗要集西宗要)』刊行〈同書〉
3・5 知恩院善導一〇五〇年忌法要奉修の届書を提出。一二日開白知恩院日鑑〉
3・13 顕了増上寺五九世・六〇世)入寂〈伝通院志〉
4・24 伝通院念成増上寺住持増上寺帳場日鑑〉
12・26 貞瑞知恩院六六世)入寂〈華頂誌要
是年 義聞撰『浄土宗唯心訣』刊行〈同書〉
是年 『浄宗祭神祝禱編』刊行〈同書〉
1832 天保3 壬辰 2・2 鎌倉光明寺説行知恩院住持華頂誌要
3  隆円、『袋中上人伝』を書写。山城袋中庵什宝とする〈同書〉
5・8 知恩院門跡尊超、同院に勅修御伝護持御規定書を下す〈知恩院日鑑〉
7・11 深川霊巌寺存統、三河松応寺で入寂〈略伝集
8  信定、『新刻仏定和尚行業縁起』を記す〈同縁起
8  観阿大寮、『順阿隆円輯録専念仏定和尚行業記』刊行〈同書〉
是年 知恩寺寂念阿弥陀堂を再建〈知恩寺誌要〉
是年 良忠撰『浄土宗要集聴書』刊行〈同書〉
1  宗門改めを命ず
1833 天保4 癸巳 1・29 舜了清浄華院住持清浄華院誌要
6・21 増上寺、三祖良忠五五〇年遠忌につき、勧財を坊中に沙汰〈増上寺月番日鑑〉
10・13 京都浄福寺音澂入寂〈略伝集
11 徳本弟子徳円、『選択精決』を撰述〈同書〉
12・19 増上寺安国殿修理落成遷宮執行〈増上寺役所日鑑〉
※  天保の飢饉始まる
1834 天保5 甲午 5・18 知恩院門跡尊超、増上寺大衆率い論題「利剣即是」法問を行なう〈浄土宗年譜
7・29 知恩院門跡尊超、宮中に準じ弥陀懴法を増上寺大殿で厳修〈浄土宗年譜
1835 天保6 乙未 2・29 知恩院、祇園領北林を火除地として永代借り受ける〈知恩院日鑑〉
2  聖光撰『徹選択本願念仏集』刊行〈同書〉
8・21 知恩院方丈修覆なり、一〇月八日、黒門・集会堂・神殿なども修覆〈知恩院日鑑〉
是年 空湛選『浄土論綱要』書写〈同書〉
是年 『浄宗先徳奠香録』刊行〈同書〉
是年 源智撰『選択要決』刊行〈同書〉
1836 天保7 丙申 1・8 嵯峨正定院立道入寂〈略伝集
5・3 増上寺念成、再び辞職を申請。一九日辞職〈続徳川実紀〉
6・1 伝通院徳翁増上寺住持〈続徳川実紀〉
7・6 増上寺、三祖良忠五五〇年遠忌厳修〈増上寺月番日鑑〉
7・18 増上寺、末山新住持綸旨改めを行う〈増上寺月番日鑑〉
12・18 知恩院説行隠退。即日新善光寺に隠居〈浄土宗年譜
是年 良忠撰『浄土大意鈔』刊行〈同書〉
1837 天保8 丁酉 1・23 鎌倉光明寺説玄知恩院住持華頂誌要
3  法洲門下単誉・千誉ら、法洲撰『一枚起請講説』を刊行〈同書〉
7・21 前知恩院門跡尊峰入寂。一心院山上に埋葬華頂誌要
2  大塩平八郎の乱
6  モリソン号事件
1838 天保9 戊戌 2  結城弘経寺巨道金戒光明寺住持黒谷誌要〉
4・21 説玄知恩院六八世)入寂〈華頂誌要
6・10 鎌倉光明寺順良知恩院住持華頂誌要
7・29 念成増上寺六一世)入寂〈浄土宗年譜
10・19 前知恩院門跡尊胤一〇〇回忌法会。この日、贈一品に叙される〈華頂誌要
10 中山みき、天理教教祖となる
1839 天保10 己亥 6  法厳・的門、先師法洲撰『一枚起請講説』に跋し開板〈同書〉
7・13 長門西円寺承誉法洲(託阿)入寂〈法洲和尚行業記
8・6 摂門(察竜・竹尾善筑)入寂〈摂門伝〉
5  蛮社の獄
1840 天保11 庚子 2・21 知恩寺巨東増上寺住持浄土宗年譜
8・25 新田大光院、神殿・仏殿・廟所修理開始。翌年八月八日、修理完成〈続徳川実紀〉
12・13 知恩院門跡尊超、専修念仏宗風興隆の訓諭を発す〈知恩院日鑑〉
是年 立禅、『当麻曼陀羅捜玄疏採摘聴書』を選述〈当麻曼陀羅採摘聴書〉
是年 良暁撰『浄土述聞制文』『浄土述聞口伝切紙』『浄土述聞鈔』刊行〈同書〉
1841 天保12 辛丑 2・11 幕府、徳川家斉を寛永寺に埋葬増上寺で三〇〇部経法会を厳修〈続徳川実紀〉
5・23 徳翁増上寺六二世)入寂〈浄土宗年譜
11・1 知恩院門跡尊超、『阿陀弥経』を禁中で講説〈知恩院日鑑〉
是年 『浄土宗故実』書写〈同書〉
5  天保の改革始まる
1842 天保13 壬寅 1・6 知恩院門跡尊超、修学のため再び関東に下向〈華頂誌要
8・17 伝通院密賢増上寺住持〈続徳川実紀〉
10・3 岩槻浄国寺慈尊、知恩寺住持知恩寺誌要〉
5  俗人が山伏・修験になるのを禁ず
1843 天保14 癸卯 2・1 知恩院門跡尊超、東宮(孝明天皇)に授戒知恩院文書〉
2・5 尊超の奏請で、拝綸以上の宗侶、公私共に領帽被着勅許〈浄土宗年譜
4・12 知恩院門跡尊超、江戸城で将軍家慶に十善戒を授与〈続徳川実紀〉
9・10 尊超、江戸城大奥で『勅修御伝』を講釈し家慶以下に授戒知恩院日鑑〉
是年 『浄土勤行回向文』刊行〈同書〉
1844 天保15/弘化1 甲辰 6・2 増上寺密賢(六四世)隠退。三日入寂〈続徳川実紀〉
6・3 鎌倉光明寺智典増上寺住持〈続徳川実紀〉
是年 妙花堂野亭撰/松川半山画『浄土宗回向文和訓図絵』刊行〈同書〉
1845 弘化2 乙巳 5・26 伝通院歓幢知恩院住持華頂誌要
8・19 筑後善導寺宗祖六五〇年遠忌予修法会開白筑後善導寺誌要
12・16 順良知恩院六九世)入寂〈華頂誌要
1846 弘化3 丙午 2・1 知恩院門跡尊超、東宮(孝明天皇)に三帰十善戒、日課念仏を授与〈華頂聚宝〉
5  尊超、孝明天皇に円頓戒を授与〈浄土宗年譜
是年 良忠撰『三心私記裒益』刊行〈同書〉
是年 環中撰『浄土論随聞記』書写〈同書〉
1847 弘化4 丁未 是年 「念仏停止の制札」刊行〈同書〉
是年 大含撰『浄土論聞書』書写〈同書〉
1848 弘化5/嘉永1 戊申 7・26 歓幢知恩院七〇世)入寂〈華頂誌要
9・19 勝願寺顕道知恩院住持華頂誌要
12・26 増上寺、安国殿・御宮・本坊・三門方丈など修理完成〈続徳川実紀〉
是春 湖東光闡寺蔵『大経五悪図会』、京都で刊行〈同書〉
是年 聖冏撰『浄土二蔵二教略頌』刊行〈同書〉
1849 嘉永2 己酉 是年 『浄統略讃』書写〈同書〉
1850 嘉永3 庚戌 2・5 増上寺天徳寺一山炎上〈続徳川実紀〉
4・17 説行知恩院六七世)入寂〈華頂誌要
12・17 孝明天皇皇子(妙香華宮院)死去。清浄華院埋葬清浄華院誌要
是年 『浄土回向要決』刊行〈同書〉
1851 嘉永4 辛亥 3・16 増上寺智典(六五世)隠退〈続徳川実紀〉
3・26 鎌倉光明寺慧厳増上寺住持〈続徳川実紀〉
8  結城弘経寺密善金戒光明寺住持黒谷誌要〉
是年 「浄土三部経字音画校正文書」書写〈同書〉
1852 嘉永5 壬子 3  徹定、増上寺慧厳の命で京都法然院高麗蔵経騰写、南都古写経を探訪〈浄土教報
7・7 知恩院門跡尊超(大光明院宮)入寂。二一日一心院山上に埋葬華頂誌要
8・12 尊超、一品に叙される〈公卿補任〉
9・24 館林善導寺賢従清浄華院住持清浄華院誌要
10・12 隆宮(尊秀法親王)、知恩院門跡となる〈華頂誌要
是年 澄円撰『浄土十勝箋節論』『同輔助義』刊行〈同書〉
是年 大坪栖城撰『浄土論聞書』刊行〈同書〉
是年 『円光大師御忌勧誘記』刊行〈同書〉
1853 嘉永6 癸丑 2  浄国寺祐倫金戒光明寺住持黒谷誌要〉
3  冷泉為恭、『勅修御伝』を書写し終わる〈知恩院日鑑〉
7・22 将軍家慶(慎徳院殿)死去。増上寺埋葬〈続徳川実紀〉
7・26 幕府、文昭院殿と慎徳院殿合殿により、霊屋修造・宝塔造営を沙汰〈続徳川実紀〉
6  アメリカ使節ペリー、浦賀に来航
1854 嘉永7/安政1 甲寅 3・7 長門西円寺法道、萩報思寺に住持し、「同寺小清規十七条」など制定〈略伝集
1855 安政2 乙卯 是年 良忠撰『安楽集私記』刊行〈同書〉
是年 宜契撰『浄土誘蒙編』刊行〈同書〉
10 江戸大地震
12 日蘭和親条約調印
1856 安政3 丙辰 1  清浄華院賢従隠居。二月二七日貞也同院に住持清浄華院誌要
4  知恩寺慈尊隠退。一六日大巌寺舜達、同寺に住持知恩寺誌要〉
9  大念寺定円金戒光明寺住持黒谷誌要〉
是年 貞極撰『選択集九門玄談』書写〈同書〉
是年 月珠撰『浄土論随釈』刊行〈同書〉
1857 安政4 丁巳 5・11 知恩院二五世存牛三〇〇年遠忌に、高顕真宗国師の諡号を賜わる〈知恩院文書〉
9  徹定、増上寺南渓で、『了誉上人伝』を撰述〈同書〉
10・7 松平輝聴、増上寺末寺数箇寺をアメリカ使者の旅舎に宛てる〈増上寺役所日鑑〉
11・1 幕府、増上寺を通じて、アメリカ使節提出書翰和解の返事を送ると通知〈増上寺役所日鑑〉
是年 聖冏撰『釈浄土二蔵頌義』刊行〈同書〉
1858 安政5 戊午 3・13 山内寺院連署し、日米通商条約につき、知恩院に愁訴状提出〈幕末外国関係文書〉
5・12 顕道知恩院七一世)入寂〈華頂誌要
8・4 鎌倉光明寺浄厳知恩院住持浄土宗年譜
6  日米修好通商条約調印
1859 安政6 己未 12・1 知恩院、江戸城本丸炎上につき、金千両を幕府に上納〈知恩院日鑑〉
是年 『浄土宗学撮要決』書写〈同書〉
10 川手文治郎、金光教を開く
10 安政の大獄
1860 安政7/万延1 庚申 8  養鸕徹定、『闢邪管見録』を撰述し、『闢邪集』を覆刻〈浄土教報
12・10 慧厳増上寺六六世)入寂〈浄土宗年譜
12・24 鎌倉光明寺教音増上寺住持〈続徳川実紀〉
12・29 隆宮博経親王尊秀法親王)、知恩院へ入室〈公卿補任〉
12 金戒光明寺三門落成〈黒谷誌要〉
3  桜田門外の変
9  親鸞六〇〇年御忌引上法会執行
1861 万延2/文久1 辛酉 1・18 宗祖六五〇年遠忌知恩院開白慈教大師諡号を賜わる〈華頂誌要
4・10 浄厳知恩院七二世)入寂〈華頂誌要
1・23 増上寺末寺坊中随身所化に紗衣を許可増上寺月番日鑑〉
7・13 鎌倉光明寺学天知恩院住持〈続徳川実紀〉
1862 文久2 壬戌 8・10 皇女理宮(宝相心院)寂。清浄華院埋葬清浄華院誌要 1  坂下門の変
1863 文久3 癸亥 是年 画工一信、新図五百羅漢像百幅大成し、増上寺に奉納〈増上寺蔵新図五百羅漢記〉
是年 貞極撰『三心教訓抄』刊行〈同書〉
8  八月十八日の政変
7  薩英戦争
1864 元治1 甲子 7・20 京兵火。知恩院密かに宗祖像を本地堂に安置、昼夜勤番〈知恩院日鑑〉
是年 『浄土論湖国記』書写〈同書〉
7  蛤御門の変
8  下関砲撃、長州征伐
1865 元治2/慶応1 乙丑 12・28 鎌倉光明寺明賢増上寺住持浄土宗年譜
5・20 将軍家茂長州征伐につき、和宮増上寺黒本尊御百度詣〈静寛院宮御日記
是年 法住、『選択集乙丑記』を撰述〈同書〉
10 条約勅許
3  長崎大浦天主堂竣工
1866 慶応2 丙寅 9・23 徳川家茂(昭徳院殿)葬送。増上寺埋葬〈静寛院宮御日記
10・22 静寛院宮、昭徳院殿遺金千両の内五〇〇両を増上寺に寄附、残り五〇〇両は永代供養料とする〈静寛院宮御日記
10・19 徳川家茂、昭徳院殿と諡され、和宮は静寛院宮と称す〈続徳川実紀〉
是年 貫信撰『浄土十勝論標箇』書写〈同書〉
2  薩長同盟成る
1867 慶応3 丁卯 10・17 教音増上寺六七世)入寂〈浄土宗年譜
2・20 館林善導寺賢龍知恩寺住持〈続徳川実紀〉
是年 福田行誡撰『徳本行者伝』『徳本行者伝弟子伝』刊行〈同書〉
10・18 伝通院山内処静院琳瑞(勤王僧)、小石川三百坂で暗殺される〈略伝集
8  「ええじゃないか」起こる
5  上野寛永寺焼失
12 王政復興の大号令
10 将軍徳川慶喜、大政奉還
1868 慶応4/明治元 戊辰 1・7 知恩院門跡尊秀法親王復飾し、華頂宮と称する〈知恩院日鑑来翰、書翰、摂信上人勤王護法録〉
2・2 知恩院学天、勅旨をうけ参内。一三日より三七日間、天下静謐を祈願知恩院日鑑、学天大僧正道蹟〉
3  養鸕徹定、『釈教正謬初破再破』三巻を撰述。ついで『南蛮興廃記』を著す〈徹定和尚年譜、浄土教報六八〉
3  知恩院学天、「勧学の諭達」を発す〈学天大僧正道蹟、佛教大学史〉
5  宗政御役、院家職廃止〈知恩院来翰〉
7  増上寺山内源興院に興学所を設立、のち勧学所と改める。浄土宗学校のはじまり〈浄土宗年譜増上寺日鑑
7  華頂宮尊秀、知恩院大僧正学天を宗務総裁に任命する〈学天大僧正道蹟〉
8・25 華頂宮尊秀、和学御用掛に任じられ、知恩院学天ら書箱百巻入八三箱を献上〈学天大僧正道蹟〉
11・2 知恩院増上寺両山並びに檀林所蔵書籍を御所国学所に献上〈知恩院日鑑、増上寺日鑑
11・5 伝法加行の儀について、隣国惣代今治来迎寺歎願書持参〈知恩院日鑑〉
12・4 西山派寺務商量分離〈知恩院日鑑、知恩院書翰控書〉
是年 大雲著『訓蒙小字彙』刊行〈同書〉
2  神祇事務局設置
3  祭政一致の制復活、神祇官が置かれる
3  神社別当、社僧が復飾される
3  神仏分離の令出される
3  切支丹邪宗門禁止を掲示








9  明治と改元、一世一元制をたてる
12 諸宗同徳会盟を興正寺にて開催
1869 明治2 己巳 2・23 浄土宗関東十八檀林、勅願所となる〈知恩院日鑑、飯沼弘経寺古今雑誌、浄土宗年譜
2  橋本実梁、伊勢神領の寺院を廃毀。本宗七九箇寺に及ぶ〈浄土宗年譜神仏分離史料上〉
3・10 防長二州触頭寺院総代)知恩院に登山。伝法一件歎願書を提出〈知恩院日鑑〉
4・7 知恩院は山内神社の取払方を布達する〈知恩院日鑑〉
4  増上寺以下十八檀林住職は連署の建白書を政府に提出し、邪教防禦の事を力説〈知恩院日鑑、神仏分離史料上〉
5・9 京都門中の両臈六組頭は知恩院に登山し、西国筋末山よりの伝法一件につき添願する〈知恩院日鑑〉
5  養鸕徹定、『笑耶論』を著してキリスト教を破斥〈同書〉
6・24 知恩院中興満誉尊照の二五〇年遠忌を厳修。導師は名誉学天知恩院日鑑〉
是夏 福田行誡、『護法三策』を撰述〈同書、神仏分離史料上〉
8・1 増上寺無量覚院大雲増上寺三大蔵に経巻数十部を納める〈増上寺日鑑
9・3 増上寺は北海道日高国内静内郡並びに志古丹等の開拓を許可される〈増上寺日鑑勤王一件、知恩院日鑑〉
9・21 知恩院大教院は、大教院知恩院移置について協議〈知恩院決議録〉
9・21 府内檀林並びに小金東漸寺岩槻浄国寺は会評して増上寺革新を議す。二六日、東漸寺浄国寺は西国寺院加行一件について評議し、鎌倉光明寺に了厳、飯沼弘経寺に霊専を遣わす〈知恩院日鑑〉
10・1 門跡内諸役の廃止、諸般惣摂署(宗務役所)の取扱いとなる〈知恩院日鑑〉
10・19 宗名単称の件、本省に聞き届けられる〈知恩院日鑑〉
10 周防・長門寺院惣代報恩院無関が、録所に伝灯師派遣を要請し許可される〈浄土宗年譜
11・2 増上寺、中興普光観智国師二五〇回忌法会を厳修〈増上寺日鑑
12・1 増上寺は北海道根室花咲郡の内志古丹島支配を命ぜられる。一五日御礼のため参内〈太政官布一一四五、増上寺日鑑
是年 増上寺大衆二七九四僧〈増上寺日鑑
7  官制を改め、神祇・太政の二官、六省を置く
9  版籍奉還
11 鹿児島藩、領内の廃仏を断行。寺院一〇六六箇寺を廃寺、僧侶二九六四人を還俗
1870 明治3 庚午 1・16 知恩院山内源光院に仮勧学場が開かれる〈知恩院日鑑、佛教大学史〉
1  北海道有珠善光寺、有珠より石狩大府までの新道約一〇里の開拓を仰付けられる〈増上寺日鑑
2・18 増上寺役者、山内勧学所、貫綜学院の二学院を天聴に達しその盛行を期する〈増上寺日鑑
3  養鸕徹定、『仏法不可斥論』を撰述〈同書、神仏分離史料上〉
3  山下現有、宗命を受け山口支学校に赴任〈浄土教報二〇三三所収略歴〉
4・19 増上寺山内広度院、幼学所に取り立てられる〈増上寺日鑑浄土宗史
5  周防山口に浄土宗講学場を開設。録所は徹定、恢嶺等を派遣し書籍三六部、金一〇〇円を贈って奨励〈浄土宗年譜
8・8 増上寺山下現有を長州学校副師に任命する〈増上寺日鑑
8・14 山口県阿武郡萩町報恩寺、両脈相承允可許可増上寺に申請〈増上寺日鑑
9・1 増上寺岩槻浄国寺養鸕徹定を山口へ出張させ、その寺役を沼田西念寺に執務させる〈増上寺日鑑
9  増上寺諸谷頭、本坊に私学開設を申請〈増上寺日鑑
10・10 政府は増上寺に北海道石狩の内浜益郡地方を開拓させるも、翌四年八月に停止する〈太政官沙六六四、日本宗教制度史料類聚考、明治期法令九五〉
10・9 宣教使、各宗に難問一二題すなわち、仁法二教、神仏本迹、仏法国益、神明帰仏、鎮護国家生死感業、三世因果、須弥有無、洋教新古、二法一決、葬式益無益、法古事勤等を提出。この日、増上寺勧学講院並びに貫綜学院において答書を書く〈増上寺日鑑
11・26 名誉学天知恩院三世)入寂。世寿六七歳〈浄土宗年譜知恩院記録、華頂誌要学天大僧正道蹟、浄源脈譜
11 山口に伝法道場を開き、増上寺明賢の代授を浄国寺徹定が務める。受者二四名。檀林外にて、はじめての付法浄土宗年譜
12・15 知恩院院家末寺取調書を編集し政府に提出〈知恩院日鑑〉
12・19 増上寺寺院寮へ檀林大念寺霊山寺勝願寺善導寺大善寺蓮馨寺大巌寺浄国寺、結城弘経寺幡随院の一〇箇寺管轄の件を提出〈増上寺日鑑
12 増上寺、旧寺領門前一五箇町を上地する〈増上寺山内寺院明細簿〉
1  大教宣布の詔勅
3  親王家、菊紋章品の社寺施入を禁止する
8  神社・寺院事務は、民部省社寺掛が取扱うこととなる
8  各宗同盟会席並びに各宗総黌を芝天徳寺末栄寿寺と定め願書を東京府に提出。東京府は三箇条の達を下す
11 神社掛を廃し、神社は民部本省に属し、寺院寺院寮が管轄する
1871 明治4 辛未 1・14 富山藩、領内一宗各一箇寺を残し余寺を悉く廃寺とする。浄土宗来迎寺に一六箇寺を合寺。知恩院に来翰あり〈知恩院日鑑〉
1・21 増上寺役者並びに檀林評決の結果、知恩院増上寺両山の転昇を紫衣檀林金戒光明寺知恩寺浄華院誓願寺宝台院天徳寺大樹寺の七箇寺の住持法臈順とする〈増上寺日鑑
1  知恩院山内入信院勧学所を開設〈佛教大学史〉
5・5 寺領上地を沙汰され、二五日、東京市芝増上寺ならびにその末寺境内の外除地を取調べる〈増上寺日鑑
8・1 増上寺黒本尊、市内諸寺院にて開帳。この日赤羽根心光院、四日三田願海寺、一一月五日に山谷源照寺、翌年二月一六日深川雲光院。三月一日に増上寺に帰座〈増上寺日鑑
8・19 伝通院随誉俊光知恩院に入山。九月二四日、七四世住職の宣旨を拝載。一説には一〇月二日〈知恩院日鑑、浄土宗年譜華頂誌要
9・20 増上寺役者知恩院に三河以東の三四箇国の末寺所在寺名を取調べ、民部省へ提出したことを通告〈増上寺日鑑
1  社寺現在の境内を除く外、朱印地・黒印地・除地など旧領を上地させて、藩府県の管轄とする
4  戸籍法改正、宗門人別帳寺請制度廃止
6  仁和寺大覚寺以下の諸寺院の御所御門跡号等を廃止
7  民部省寺院寮廃止、神社・寺院事務は、大蔵省に移管
8  神祇官を神祇省と改変
9  神葬自由となる
1872 明治5 壬申 3・2 戸籍係調査、増上寺人口は三九四人の内、僧三一七人、寺数一三三、寄留人口一一五人の内、九四人、僧俗二〇人〈増上寺日鑑
4・28 随誉俊光、権少教正に補される。本宗教正のはじまり〈知恩院日鑑〉
4  回向院福田行誡、各宗管長肉食妻帯勝手の布告について建言する〈明教新誌五六八〉
6・13 養鸕徹定、権少教正に補され同月二四日浅草誓願寺に転住。ついで七月九日権大教正に補される〈徹定和尚年譜、浄土教報六八〉
7・11 知恩院七四世随誉俊光、大教正に補され、増上寺歓苗寮で教務を執る〈華項誌要、浄土宗年譜
8・24 等誉明賢増上寺六八世)入寂。伝通院温誉大宣が増上寺住職となる〈増上寺世代譜、浄土宗年譜
8  山下現有増上寺等誉明賢の目代伝灯師として五重宗脈を伝授〈浄土教報二〇三三所収略歴〉
9  華厳宗浄土宗の所轄に入る〈仏教宗綱要二〉
10・19 伝通院養鸕徹定浄土宗最初の管長となる〈浄土宗年譜
10 山下現有知恩院随誉俊光の目代伝灯師として布薩璽書伝授〈浄土教報二〇三三所収略歴〉
11 京都粟生光明寺浄土宗西山一派の総本山となる〈摂信上人勤王護法録〉
3  神社仏閣における女人結界の禁を解く
3  三条の教則教導職に頒布
3  神祇省を廃し教部省設置。社寺を管理
3  神仏道各教宗派に管長設置
4  宣教使を廃止し、教導職一四級を置く
4  僧侶肉食妻帯蓄髪勝手たらしめる
6  教導職管長一人を各宗に置く。ついで一〇月三日一宗一管長の制を定め、天台、真言浄土、禅、真宗日蓮時宗の七宗に各一人を置く
6  自葬を禁じ、神官僧侶に依頼させる
8  学制を頒布し、全国を八大学区に分け、大区を中小学区に分つ
8  僧官を廃する
9  僧侶に苗字をつけさせる
11 太陽暦の採用を布告
11 大教院を東京紀尾井町の紀州邸に設ける。各宗寺院小教院とし各檀家の子弟を教導
1873 明治6 癸酉 1・7 増上寺、明八日の大教院開筵を山内府内ならびに各檀林宿坊に告示〈増上寺日鑑
1・9 増上寺役者、北海道函館称名寺の同地開拓尽力を賞賛〈増上寺日鑑
1・9 養鸕徹定、東京市小石川伝通院入寺増上寺日鑑浄土教報六八、徹定和尚年譜〉
1・20 教部省は、檀林門末の反対にもかかわらず、増上寺大宣に命じ、大殿大教院に献上させる〈浄土宗年譜増上寺日鑑
2・5 大教院、紀州藩邸より増上寺への移転決定〈太政類典第二編二五〇巻〉
2・7 増上寺山内源流院に大教院仮事務所を設置〈摂信上人勤王護法録〉
2・14 増上寺大殿大教院献上により金一千円下附される〈増上寺日鑑
3・9 宗務局、増上寺山内広度院に移転〈増上寺日鑑
4・5 増上寺、深川本誓寺檀林加入を諸檀林に告示〈増上寺日鑑
4・27 無量覚院忍阿大雲相承の「円頓戒本尊」一幅、『戒檀伝書』一冊を、増上寺に寄付〈増上寺日鑑
4  増上寺本阿弥陀如来像を台徳院殿霊屋に遷座し、皇祖天照大神を大殿に安置〈浄土宗年譜増上寺記録〉
6・3 増上寺にて大教院講堂内皇大神宮殿上棟式挙行〈増上寺日鑑
6・4 増上寺勧学院・貫綜学院を合併し、泰観寮で開校〈増上寺日鑑
6  増上寺にて大教院開院式を挙行〈厳如上人御詳伝、本願寺史談〉
7・11 増上寺本山号に関する条約書状を知恩院に提出〈知恩院日鑑〉
10・26 講究所は増上寺温誉大宣の権大教正転昇、本山称号、説教熟練者撰出の件等を評議する〈教導職要用記〉
11・1 宗務所改革、増上寺本山号一件並びに畿内西国筋の僧侶は各山において伝法加行の一件などの定書掛合の件に調印〈知恩院日鑑〉
11 山下現有増上寺温誉大宣の目代伝灯師として布薩並びに両脈を伝授〈浄土教報二〇三三所収略歴〉
12・31 大教院増上寺大殿が何者かに放火され炎上。寺務を山内源流院に移す〈浄土教報三一、浄土宗年譜、明教新誌、摂信上人勤王護法録、知恩院日鑑、教導職要用記、増上寺記録〉
1  僧侶の位階を廃止
1  比丘尼蓄髪肉食縁付、帰俗の禁を解く
2  政府、十一兼題をもって教導職を試験
2  切支丹禁制の高札取除く
3  教部省、事務章程ならびに教導職制を定める。八年に消滅
7  火葬が禁止される
12 教導職七級以下の階級を廃止。これを教導職試補とする
1874 明治7 甲戌 4・17 伝通院徹定、教部省令により知恩院に住まう。ついで六月一三日に入院知恩院日鑑、華項誌要、浄土教報六八〉
4・19 知恩院七四世随誉俊光辞職。五月四日浩徳院に入る。五月二一日入寂。世寿六七歳〈知恩院日鑑、華頂誌要浄源脈譜浄土宗年譜
7  増上寺境内二〇万坪余り、一般公園地と定められる〈増上寺山内寺院明細簿〉
9・17 暢誉定海(善導寺五四世)入寂〈筑後善導寺誌要
9  増上寺録所、檀林伝法の旧制を京都四本山に割譲する〈浄土宗年譜
10 駿遠より東の浄土宗寺院増上寺所轄とする〈増上寺記録、浄土宗年譜
10 山下現有、山口県下宗学校取締総司に任ぜらる〈浄土教報二〇三三所収略歴〉
11・9 祥真教部省の命により清浄華院住職となる〈清浄華院誌要
2  融通念仏宗独立
2  各府県毎に中教院を置く
7  僧尼を原籍に復帰させる。原籍不明、また復飾を望まない者は現在地に本籍を定める
7  教導職試補以上でなければ寺院住職となれないことを定める
1875 明治8 乙亥 1・18 教部省増上寺本山号を許可する〈知恩院日鑑、増上寺日鑑浄土宗年譜
3・7 知恩院徹定、大教正に任命される〈知恩院日鑑、華頂誌要浄土教報六八〉
4・5 教導職公試験課程に準じ、宗内試験法課定規則を布達する〈本宗大教院諸達書乙亥第二号〉
5・15 本宗大教院増上寺に設置、各府県下に中教院を設置する。一説には六月〈浄土宗年譜仏教大年表〉
8・27 宗学研究のため知恩院山内入信院総本山勧学本場を設置。始業式を執行する〈知恩院達書〉
9  知恩院徹定、全末寺祖山の復興、教法宣揚の事を布達する〈知恩院達書〉
9  佐原秦嶽著『法名義弁・法名字選』(合巻)刊行〈同書〉
11・2 信濃浄土宗中教院取締光岳寺確井勇海等、教部省第九号達に従い、大本願久我誓円尼の善光寺住職任命を長野県に願い出る〈大本願認録〉
1  殉難死節者を東京招魂社に合祀
1  福田行誡・新井日薩・密道応・諸嶽奕堂・荻野独園らは、諸宗寺院連名建白書を左院に提出。僧侶の弊、仏法有益を論じる
2  真宗各派、大教院より脱退
4  神仏合同大教院廃止。これより各宗にて設置される
5  火葬の禁を解く
6  地租改正
11 信教自由の口達
1876 明治9 丙子 2・1 法誉大雲入寂。世寿六〇歳〈増上寺記録、浄土宗年譜、各書刊記〉
2・5 大教正徹定、公選により浄土宗管長に就任〈本宗大教院達書丙子第三号
2・5 知恩院御忌修行を二月二五日と定める〈知恩院日鑑〉
2・13 長野県、信濃浄土宗中教院の願書に対し善光寺教部省第九号達に関係なく従来のごとく両宗並立住職差置の事を通達する〈大本願記録〉
3・17 諸本山檀林合議し、「浄土宗鎮西派規則」三章一八条並びに附録二条を定め官許を得て布達。浄土宗大教院より刊行〈本宗大教院達書丙子第四号、浄土宗年譜、同書〉
3  「浄土宗学制」制定。全国に宗学校を置き大教院の所轄とする。東西両京に本部宗学校を、各府県下に支部学校を置く。東部宗学本校増上寺に、西部宗学本校知恩院に設ける〈知恩院達書〉
4  知恩院徹定、山内に華頂学校を設ける〈徹定和尚年譜〉
5・24 華頂宮博経親王尊秀法親王)入寂。二六日、同宮尊牌を知恩院に安置〈知恩院日鑑、華頂誌要、尊牌〉
8  京都府は転庁につき知恩院を借館する〈知恩院日鑑〉
9・21 西山派、浄土宗より分立。教部省鎮西流の名称を取消し、浄土宗と単称することを認可する〈本宗大教院達書丙子第二四号、日本宗教制度史料類聚考、知恩院日鑑、浄土宗年譜浄土教報一六九〉
11・12 浄土宗西山派大教院を置く〈知恩院日鑑〉
是年 長野市善光寺塔中一四坊、浄土宗改宗する〈浄土宗年譜
1  転宗転派の自由許可
2  日鮮修好条規に調印
6  出開帳禁止
12 教導職試補以上の者を公認僧侶とする
1877 明治10 丁丑 1・7 本宗東部学校開校〈明教新誌四〇一〉
1・18 これより先、西部宗学校興隆のため、養鸕徹定(在鹿児島)より岸上恢嶺に転錫の件を増上寺に依頼する。この日一年の猶予を返答する〈増上寺日鑑
2・1 増上寺大教院事務所において各宗管長会議〈増上寺日鑑
4・17 増上寺良暁五〇〇年遠忌法会を厳修〈明教新誌四五〇〉
4  御忌法会、新暦四月一八日より二五日まで修行。以後この日程となる〈明治九年知恩院日鑑達書〉
7・2 檀林会議において、名越派徒弟白旗檀林入寺許可される〈増上寺日鑑
9・2 静寛院宮親子内親王和宮)入寂。世寿三二歳。一三日増上寺にて表葬〈和宮御事蹟、本朝皇胤紹運録、増上寺日鑑浄土宗年譜、明教新誌五二〇・五二二〉
9・23 宗教振起確立のため、祖山に二府二〇県五〇箇国の代表が出京し、大会議を開く。二七日に終る〈知恩院達書〉
9  養鸕徹定、「跋屠緯真画十八応真図」「後水尾天皇宸翰色紙」一幅、「虎関禅師墨蹟」一幅、「一休禅師書」一軸、「天平中写経日記ならびに試験書」一巻等、古写経、古画古美術品等を知恩院に寄付する〈知恩院文書、同什宝目録〉
10・9 大教院は宗内教導取締をして、教導職試補以上の職には一箇寺住職にして両脈相承の者が就くべき旨を達示する〈本宗大教院達書丁丑第一三号、明教新誌五三八〉
12・12 大教院俗名法名に改むる件について達示する〈本宗大教院達書丁丑第一六号、明教新誌五七六〉
是年 養鸕徹定、『吉水正統系譜略』を著す〈同書〉
1  教部省廃止、内務省社寺局が引継ぐ
2  西南戦争始まる
3  日米和親条約調印
4  内務省、各宗管長に部内本山本寺の明細地名寺号報告を三日の間に届出させる
8  隠岐国の仏教再興が許可される
9  福田行誡、僧風釐整の建言を内務省に提出
1878 明治11 戊寅 2  知恩院は政府の「肉食妻帯可為勝手」の布告は、従前の禁を解くに止まり、宗規に関係ない旨を達示〈知恩院達書〉
2  松濤舜成、知恩院事務総長に任命される〈明教新誌五九八〉
2  華頂宮旧邸の払下げを受けて、西部本部宗学校の建設を達示〈知恩院達書、東山学園百年史
3・8 三河より西を西部、遠江より東を東部とし、増上寺浄土宗大教院知恩院に移転し、増上寺教務所として末寺を管理させる。四月一日旧華頂宮邸にて大教院事務を開始する〈大教院達書、明教新誌六〇八・六一四〉
3・12 門末を東西二部に分け、養鸕徹定が西部管長石井大宣が東部管長に任命される〈内務省達五四五、明教新誌六〇九、浄土宗年譜
3  触頭を廃止し、出張所を設けるために適宜の寺院所在地名寺号等の記載を知恩院へ提出させる〈知恩院達書〉
4・1 東京市浅草誓願寺浄土宗大教院出張所を開設する〈明教新誌六三四〉
6・14 知恩院達知第二一号をもって、慈教講社施設方法章程を発布する〈知恩院達書、明教新誌六六八・六六九〉
6  東京市芝東部本校、増上寺山内新谷霊運寮に移転〈明教新誌六四七〉
9・19 清浄華院吉水祥真泉涌寺に合併分の歴代天皇皇后皇子皇女の尊像・尊牌復遷を上願する。一〇月一九日、清和、村上両天皇尊像・尊牌の復遷が許可され、宮内省より供養料三〇〇円下賜される。一一月一二日、法会修行清浄華院誌要、明教新誌七二五〉
10・17 大教院は金襴袈裟被着者の許可因由および年度などを提出させる〈明教新誌七二四〉
10・18 大教院は人材登庸のため県下に准檀林を置く〈明教新誌七二四〉
11・11 西部管長代理(金戒光明寺主)黒谷定円が病気につき、高田賢龍が任命される。同一二日定円遷化、世寿七〇歳。一五日表葬執行〈黒谷誌要、明教新誌七二七・七三一〉
11・29 養鸕徹定編『円光大師御法語』刊行〈同書〉
12 福田行誡小石川伝通院に移る〈明教新誌七四九〉
1  日本基督伝道会設立
1879 明治12 己卯 1・29 知恩院代理松濤舜成、離末本寺換を内務省に伺書提出。伺書通り許可される〈明教新誌七六七〉
3・20 大教院、東部本部取締会議規則を制定布告する〈己卯元第一号、明教新誌七八七・七八八〉
3・29 本宗東部内有志、美奈川霊俊ほか一九名の連書をもって東西両部合一復帰を東西両部管長に建言する。四月二日、八木祥雲、星順諦以下四四名重ねて建言する〈明教新誌七八九・七九三〉
4・25 東部大教院大会議、教務所において開会。議案一〇件、布教刷新、学校改正、本所事務担任者制限、本刹出納分離、本殿建築、部内巡行、六級以上推薦、御忌、部内寺院永続等、二八日に閉会〈己卯第一号、明教新誌八〇一・八〇三〉
5・8 増上寺石井大宣が辞職。伝通院福田行誡増上寺住職・東部管長に任命され、二五日に晋山式挙行〈明教新誌八〇八・八一六、浄土宗年譜増上寺記録〉
7  宗務所は福田会育児院設置につき、宗内有志に浄財の寄付を要請〈己卯第四号、明教新誌八三六〉
7  西部京都本校、知恩院所轄となり浄土宗総本山宗学校と改称〈明教新誌八三六、東山学園百年史
11 知恩院養鸕徹定、故尊超法親王遺具「黄檗独湛禅師真筆六字宝号」一幅、「弘法大師感得八幡大菩薩画幅」を筑後善導寺に贈る〈明教新誌八九四〉
12・10 増上寺本地鎮式ならびに工事始式を挙行する〈明教新誌九一一〉
6  東京招魂社、靖国神社と改称。別格官幣社となる
7  内務省、各派管長住職進退手続改正を布達
9  教育令制定
1880 明治13 庚辰 1・11 清浄華院開基清和天皇一千年御遠忌を奉修。知恩院養鸕徹定をはじめ知恩寺金戒光明寺随喜する〈明教新誌九三五、清浄華院誌要
2・1 沖永恵隆、隠岐島開教のため同島に赴く〈同所善立寺記〉
2・11 本部有志、秦管長代理に一九箇国を一大教区とし、各府県を中教区とし、各郡を小教区とし、小区に一〇名の議員を置くよう教務刷新を建言する〈明教新誌九四三〉
4・26 善導大師一二〇〇年遠忌法要知恩院にて厳修〈知恩院達書〉
5  福田行誡、「部内諸大徳に示す文」を草し、僧侶の自粛覚醒を警告〈行誡上人全集
10・15 大教院、宗侶の国会開設運動者を戒告する〈明教新誌一〇六四〉
10・19 良忠誕生地、島根県那賀郡西隅に良忠寺起立される〈浄土宗年譜
12・3 吉水祥真清浄華院三世)入寂〈清浄華院誌要浄源脈譜
1881 明治14 辛巳 1・22 台徳院殿二五〇回忌増上寺において開白。二四日結願〈明教新誌一一〇四〉
4・25 浄土宗公会召集される〈明教新誌一一二四〉
5・21 堀尾貫務清浄華院住職となる〈清浄華院誌要、明教新誌一一六四〉
5  大教院は宗侶に『釈教正謬初破再破』、『闢邪管見録』、『科註原人論講義』の熟読をすすめ、キリスト教徒の侵入に備えるよう指示する〈明教新誌一一六五〉
5  門末義財制度を創定〈知恩院記録〉
6  知恩院大会議決議により職制改革。教務、庶務、会計の三課とし、役員として総長、課長、録事、承事を以て事務を処弁する。山田弁承を事務総長、北条弁旭を事務副総長に補任する〈知恩院記録〉
10 本宗托鉢規則を定める〈浄土宗年譜、明教新誌一二三二〉
6  真宗西本願寺浄土真宗本願寺派東本願寺真宗大谷派と改称
8  政府、托鉢の禁を解き、各宗管長より免許証を交付させる
10 明治一四年の政変
1882 明治15 壬午 3・15 知恩院事務所は、宗学校並びに説教練習所役員・講師擬講の服制、生徒服制を定めて布達〈明教新誌一三〇六、知恩院達壬午第五号〉
3・19 知恩院教校校舎落成開校式を執行。四月、華頂学校を設立〈明教新誌一三〇三、浄土教報六八〉
3  知恩院説教練習所、初心説教要諦として『説教黄葉集』を発行〈明教新誌一二九九〉
4・1 知恩院は一五日より懲罰法実施につき、蓄髪肉食妻帯等にわたり告諭を発布〈明教新誌一三一六〉
4・1 知恩院事務所に法制局を置き、職制章程を発布〈明教新誌一三一七〉
10 徳永覚定、筑後善導寺住職となる〈明教新誌一四九八、筑後善導寺志〉
11 東京幡随院知恩院別院を置き、関東の事務管理をまかす〈知恩院達書〉
1  軍人勅諭発布
1  神官の教導職廃止、葬儀に関与しないことになる
1883 明治16 癸未 1  清浄華院、双葉添附菊華章の使用を公認される〈清浄華院誌要
2・28 宗務所は部内教導取締をして、教導職試補選挙資格は品行方正宗学下等科卒業以上にして両脈巳相伝者である旨を達示する〈癸未第二号、明教新誌一四八四〉
2  増上寺は札幌山増上寺別院新善光寺の建立に着手〈明教新誌一四五三〉
3・10 長野善光寺、養育院開筵式を挙行〈明教新誌一四七五〉
3  岸本隆堂(北海道浄土宗務所総長)・石上皆応(同副取締)は、後志国古平港において霊鷲山転輪院願雄寺の建立に着手〈明教新誌一四七〇〉
4  福島県磐城国専称寺、派内四本山、および奥羽七箇国末寺議会を開き、派風宣揚ならびに宗学校建設を協議。六月一五日より生徒一五名が入校〈明教新誌一五二八〉
7・3 増上寺宗学校、芝公園月界院の堂宇を譲りうけ移転。この日、転校式を挙行〈明教新誌一五二六〉
8  社寺、桐章依用を認許される
1884 明治17 甲申 1・29 石井大宣(東部前管長増上寺六九世)入寂。世寿八三歳〈増上寺世代譜、浄源脈譜、明教新誌一六二七、浄土宗年譜
4  知恩院練習所を説教講究所と改める〈知恩院日鑑〉
4  知恩院に宗政百般を議定するために上局を設け、総代委員及び事務長、審正長、会計長を置く〈知恩院上局日記
6・22 本宗本部憲章、大会議において制定。この日より施行される〈知恩院記録〉
7・25 知恩院大殿にて晨朝説教を創始〈知恩院記録〉
7  寺院等級査定規則を制定〈知恩院記録〉
7  浄土宗総本山宗学校は西部大学林と改称〈東山学園百年史
8・12 東部管長福田行誡、部内末寺にて神仏各教導職廃止につき各住職宗侶に、自行化他の本分を尽すべしと諭達〈東部録事、明教新誌一七二〇〉
8・18 東部檀林会を開き、教導職廃止の善後策を検討する〈明教新誌一七二〇〉
8  浄土宗東西両部に、各宗務取扱所を置く〈浄土宗年譜仏教宗綱要〉
10 栃木大沢円通寺藤波教雲、福島磐城専称寺前事務心得鈴木知周、同前執事鈴木善雄、岩城観音寺佐伯祐弁、下野鹿沼清林寺松岡白雄等、名越派分派の独立を企図し、本山と称し宗制を計る。増上寺と法庭に争う〈規則類纂、明治二〇年九月二〇日報告号外〉
12 東部本校、東部大学林と改称〈明教新誌一七八二〉
3  出開帳の禁を解かれる
8  神仏教導職を全廃し、住職の任免、教師の等級進退などを各管長に委任
8  管長を勅任官取扱とし、教導職の身分は在職当時の等級に準ずるとした
10 政府、墓地および埋葬取締規則を定める
1885 明治18 乙酉 2・15 宇治平等院岸上恢嶺入寂。世寿四七歳〈同寺記、明教新誌一八〇九〉
3・17 東部事務取扱朝日琇宏、西部事務取扱養鸕徹定、連署にて、東西両部名を廃止し、一管長制、並びに知恩院増上寺金戒光明寺知恩寺清浄華院の五本寺貫主の満一箇年順次交番管長制を内務大官小県有朋に申請。二三日認可〈明教新誌一八三五、日本宗教制度史料類聚考、浄土宗年譜
3  京都各宗連合、『教学新報』発刊を企て、本部を知恩院山内に置く〈明教新誌一八二四〉
4・1 養鸕徹定、初代浄土宗管長に任命される〈官報、宗務所甲第一号達示、浄土教報六八、明教新誌一八三五、浄土宗年譜
4・2 管長養鸕徹定、宗務所を東京浅草田島町誓願寺中に仮設し、大教院ならびに中教院教務所を廃止。達書は各本山経由に布達すべきことを告示する〈明教新誌一八三五、浄土宗年譜
4  知恩寺高田賢龍、退隠〈百万遍知恩寺誌要
5・10 本宗大教院を廃止〈明教新誌一八五〇〉
6  愛知県碧海郡上郷村行福寺林定賢知恩寺住職となる〈百万遍知恩寺誌要
8・1 高田賢龍知恩寺六〇世)入寂。世寿六七歳〈百万遍知恩寺誌要
9・2 静寛院宮一〇年忌法会増上寺で厳修。この日知恩院において同法会を厳修〈明教新誌一九〇二〉
11 古社寺保存法が実施され、知恩院境内の水茶屋等が取り払われる〈明教新誌一九四九〉
12・5 東部大学林が炎上〈明教新誌一九四八〉
12 三一日限り、本宗托鉢修行を一時停止〈録事甲第三号浄土宗年譜、明教新誌一九五一〉
12 太政官制度を廃止し、内閣制度を置く
1886 明治19 丙戌 1・11 知恩院門跡号を再允許〈知恩教院略記、徹定和尚年譜、浄土教報六八、浄土宗年譜
1  増上寺、各府県下に教務処理事務所を設置。府下は芝公園組、三田組、麹町組、小石川組、浅草組、山谷組、深川組の七教区に分け、事務所を設置し、四日事務始めを行う〈明教新誌一九五九〉
2・28 知恩院養鸕徹定、各地より召集の議員一五名を引率して東上。宗務寺法を論義〈浄土教報六八、知恩院上局日記
3・13 増上寺福田行誡が『奇日新報』において、僧侶は内典に加えて洋学を学習すべきことを力説する〈明教新誌一九九三〉
3  知恩院山内入信院浄土宗有志学校を開設〈明教新誌一九九三〉
3  知恩院養鸕徹定、山内宗学校にインド・中国の古仏像五〇軀、画像八〇幅、古経五〇〇巻並びに古器物二〇〇余種、内外典籍一〇〇箱を寄付する〈明教新誌一九九四〉
4・1 日野霊瑞管長に任命される〈官報、明教新誌二〇〇五、浄土教報二五三、仏教大年表〉
4・3 日野霊瑞増上寺晋山式を挙行〈明教新誌二〇〇三〉
5・2 鎌倉光明寺開山記主禅師六〇〇年遠忌を厳修〈明教新誌二〇二一〉
6・7 本宗所轄華厳宗が独立し、管長を置く〈官報、明教新誌二〇四九、仏教宗綱要二〉
6・30 宗務所、宗会議員選挙を布達する〈明教新誌二〇四六〉
8  宗務所、浄土闔宗会議規則並びに本宗制規一〇章四八条を布達する〈明教新誌二〇七〇・二〇七一〉
10・5 浄土宗闔宗大会議は宗務所において開会式を挙行。議員数知恩院三〇員、増上寺一五員、他三山各五員。議長に三宅大賢、副議長に竹中弁中が選任される〈明教新誌二〇九三、浄土宗年譜
11 増上寺本堂再建工事、徳川家はじめ有志の寄附金を得て再び着手〈明教新誌二一〇五〉
12・13 福田行誡、深川本誓寺隠室に退く〈明教新誌二一二七〉
5  各宗管長托鉢を取り締まらせる
6  社寺・仏堂等の創立、再興・復旧、祠宇の創建は、原則としてこれを禁止
1887 明治20 丁亥 3・11 尼衆学校、知恩院山内入信院を仮校舎として開校式を挙行〈知恩院記録、吉水学園史
3・28 日野霊瑞浄土宗管長を辞職〈浄土宗年譜浄土教報二五三、仏教大年表〉
3・29 内務大臣山県有朋は浄土宗内の紛争は収拾すべからずと判断して訓令を発し、五本山交番管長制を取消し、闔宗大会議を自然消滅させ、宗内に事務取扱を置き宗制寺法を定めることとした〈規則類纂官報号外、明教新誌二一七四〉
3・29 鎌倉光明寺吉水玄信、東京芝天徳寺秦義応浄土宗事務取扱を命ぜられる〈内務省達、規則類纂、明教新誌二一七四〉
3・31 増上寺日野霊瑞増上寺住職を辞し、同時に四本山住職も辞職〈規則類纂、浄土宗年譜浄土教報二五三〉
3  知恩寺定賢退隠、安土浄厳院住職となる〈知恩寺誌要〉
4・1 東京浅草誓願寺内の宗務所を廃し、事務取扱所を増上寺に置く〈規則類纂、明教新誌二一七四〉
4・6 福田行誡知恩院門主に任命される〈規則類纂、浄土宗年譜仏教宗綱要六、明教新誌二一八〇〉
4・26 聖光六五〇年遠忌法会知恩院において厳修〈知恩院記録〉
4  知恩院七五世養鸕徹定辞職し、福寿院に隠退〈浄土教報六八、華頂誌要
5・4 諮問会公選投票の結果、光明寺吉水玄信増上寺大樹寺佐藤説門金戒光明寺円成寺山下現有知恩寺霊巌寺神谷大周清浄華院住職に補任される〈規則類纂〉
5・17 浄土宗宗制(八章四八条並びに附則)は内務大臣の認可を得て、翌一八日発布。また全国を四〇大教会に分ける。東西両大学林を廃し、一宗所設の学校は宗学本校宗学支校・普通学校とする〈浄土宗史、明教新誌二二〇二・二二〇三・二二〇五〉
5・17 福田行誡管長に任命され、宗務所を増上寺に置く〈浄土宗年譜、明教新誌二二〇〇〉
7・9 浄土宗学則並びに学科課程を定める〈規則類纂、浄土宗年譜仏教大年表〉
7・17 吉水玄信増上寺七二世)入寂。世寿五八歳〈明教新誌二二二七、増上寺世代譜、浄土宗人名事典
8・12 佐藤説門金戒光明寺五八世)入寂〈黒谷誌要、明教新誌二二四一〉
8・18 浄土宗伝宗伝戒の規を定める〈規則類纂、浄土宗年譜
8・24 管長福田行誡は、福島県磐城山崎専称寺鈴木善雄、栃木県大沢円通寺藤波教雲に対し、私設法務局、同支局の廃止を命じる〈規則類纂訓示号外・報告号外〉
9・12 宗学本校、東京芝天光院において開校〈浄土宗年譜浄土宗史
9・20 日野霊瑞、一宗公選により増上寺に再住〈浄土教報二五三、浄土宗年譜
11・4 獅子吼観定、一宗公選により金戒光明寺住職に任命〈明教新誌二二八四、黒谷誌要〉
11・8 浄土宗支校共立方法並びに尼衆教育法を定める〈浄土宗年譜
2  天理教教祖中山みき没
1888 明治21 戊子 2・25 入信院の尼衆学校を浄土宗学京都支校附属尼衆教場として新発足。一説に二月一七日開業〈浄土宗年譜吉水学園史、明教新誌二三三四〉
4・15 福田行誡、『伝語』を著す。八月二二日、宗務所より出版〈同書〉
4・25 福田行誡知恩院七六世)入寂。世寿八三歳〈官報、行誡上人全集華頂誌要、明教新誌二三六〇〉
4  知恩院二世源智上人六五〇年遠忌法会を厳修〈知恩院記録〉
6・5 増上寺日野霊瑞知恩院住職となり、浄土宗管長に任命される〈華頂誌要、官報、規則類纂報告第五号、明教新誌二三八〇、浄土宗年譜
8・22 東京芝天徳寺秦義応増上寺住職に当選。任命式を宗務所において挙行〈規則類纂報告第六号、明教新誌二四一八、浄土宗年譜
10・26 浄土宗鎮西支校を筑後善導寺に設置〈浄土宗年譜仏教大年表〉
是年 浄土宗学本校編『浄土宗学則類纂』刊行〈同書〉
是年 養鸕徹定・光阿著『伝語匡謬』刊行〈同書〉
1889 明治22 己丑 1・4 京都大雲院北条的門入寂。世寿八二歳〈同寺記、的門上人伝〉
1・25 浄土宗学東北支校を仙台善導寺に設置〈浄土宗年譜
1・25 『浄土教報』創刊〈浄土教報一〉
1  宗務所調査報告、本宗所属寺院数七〇五〇箇寺、教会八九箇所〈浄土教報二〉
2・20 愛知外四大教区共立の浄土宗学愛知支校を名古屋西蓮寺に設置し開校式を挙行〈浄土教報一〉
2  養鸕徹定、『伝語正謬余滴』を著す〈同書、徹定年譜〉
3・7 第一期公会増上寺において開き宗制を改正。また寺院の資産により等級を三〇等に定め宗費を賦課する〈浄土宗年譜浄土宗史浄土教報三・四・五〉
4・12 管長日野霊瑞、公開の議決によって、教令・訓示・達示等の公布を『浄土教報』上に記載することを沙汰する〈規則類纂教令第四号、浄土教報六〉
4・13 清浄華院炎上〈清浄華院誌要浄土宗年譜浄土教報六〉
8・10 知恩院は維持会規程・信徒集会規則を制定し、門末寺院並びに信徒に布告〈浄土教報一五〉
8  増上寺伝通院、江戸開府三〇〇年祝意法要を厳修〈浄土教報一五〉
10・15 名古屋無量寿院、岡崎随念寺に愛知支校附属尼衆教場開講。一説には二三年八月三日〈浄土教報一八、浄土宗年譜
12・23 宗制改定認可。二五日、管長は宗制一八章第一二一条実施を達示〈規則類纂、浄土教報二二、浄土宗年譜浄土宗史
2  大日本帝国憲法公布。二八条で「信教の自由」を保障
1890 明治23 庚寅 1・4 管長日野霊瑞巡教規則一四条、教育会組織三条を定める〈規則類纂教令第一・二号〉
1・4 明治二二年教令五号の中教会本部を「宗務所」、教会本部費を「一宗教学費」と改称〈規則類纂教令第三号
2・5 寺院住職任免細則二八箇条を定め、六月一日より実施すべきを達示〈規則類纂教令第五号〉
3・25 別教区規定一〇箇条を定める〈規則類纂教令第七号〉
3  滋賀県安土浄厳院末寺中一一〇箇寺、知恩院に入末〈浄土教報三五〉
3  吉岡呵成等、京都寺町天性寺に浄土布教会を開く〈浄土教報三三、浄土宗史
5・1 山下現有知恩寺法主を辞職〈規則類纂報告第一号、浄土教報三三〉
5・17 秦義応増上寺七四世)入寂。世寿五七歳〈規則類纂報告第一号、浄土教報三七、浄土宗年譜
7・11 堀尾貫務知恩寺住職就任式を挙行。ついで門末寺門擁護を指示〈浄土教報四二、百万遍知恩寺誌要
7・25 明治二〇年教令第六号学則並びに第八号伝宗伝戒規程六条、第九号宗学本支校入学及び退学手続等を更正〈規則類纂教令第九・一〇・一一号、浄土宗年譜
7・25 野上運海増上寺住職任命式執行。九月一一日晋山式を執行〈浄土教報四四、四九、浄土宗年譜
8・5 明治二〇年の学科及びその程度一〇箇条、尋常科実施方法二六箇条を更正〈規則類纂教令第一二・一四号〉
8・15 宗学支校共立方法を更正。東京、京都、愛知、鎮西、山口、長野、東北の七支校区とする〈規則類纂教令第一五号、浄土宗年譜浄土宗史
9・1 浄土宗学大阪支校を生玉大宝寺に創始。尼衆教場を母恩寺に開く〈浄土宗年譜浄土教報四七〉
10・24 知恩院中興三二世雄霊巌上人二五〇回忌法会を厳修。京都門末総出勤〈知恩院記録〉
1891 明治24 辛卯 1・24 宗学本校を東京市小石川区表町七九番地に移転。二六日開校〈規則類纂報告第一号、浄土教報六二、浄土宗年譜
3・15 前大教正知恩院七五世養鸕徹定巡化途中の名古屋にて入寂。世寿七八〈略伝集所収徹定和尚伝、松翁年譜、浄土教報六七、知恩院記録、華頂誌要、明教新誌〉
6・1 東京宗学本校高等予科を高等正科、高等本科を高等専門部と改称。九月一五日認可〈規則類纂、浄土教報七五、浄土宗史
6・2 長野市善光寺諸堂類焼〈浄土教報七五〉
6  名越檀林内務省に願出の件却下〈浄土教報七六〉
7・31 浄土宗鎮西支校、福岡県粕屋郡粕屋に移転〈浄土教報八一〉
9・28 知恩院はじめ本宗寺院、濃尾地震の慰問並びに慰霊祭を執行〈浄土教報八九・九〇・九一・九三・九四・九五〉
10・2 増上寺、駿遠以東の寺院末寺とする〈浄土教報八六〉
11・2 名越檀林にその門末の法脈伝持を訓示〈浄土宗年譜、規則類纂報告号外〉
12 知恩院負債整理のため、緇素の協讃を得て額面金三万両を限り寺債証券を発行。翌年二月その返還方法を決定〈知恩院記録、浄土教報一〇〇〉
是年 堀尾貫務大僧正に任命される〈清浄華院誌要
1  内村鑑三の教育勅語不敬事件おこる
5  大津事件おこる
1892 明治25 壬辰 1・14 知恩院は雑誌『華頂月報』発刊を決定。三月二五日創刊号を発行〈同書、知恩院日鑑〉
4・15 輪島聞声尼・八幡祐観尼等発起し、東京小石川表町に静淑女学校(のちに淑徳女学校と改名)を設立。九月より授業開始の予定〈浄土教報一〇六・一一一〉
7・9 清浄華院六五世神谷大周辞職し、霊巌寺に帰住する〈浄土教報一一四、清浄華院誌要、斉誉勧学略年譜〉
7・25 浄土宗学本支校入学及び退学・学科課程・教科用書・尋常科実施方法などを更正〈規則類纂教令第三号
8・23 伝通院吉水良祐清浄華院住職に当選。ついで一〇月一日晋山式浄土教報一一八・一二二〉
9  浄土宗学愛知支校は名古屋市筒井町建中寺境内に、東北支校は盛岡市外米内村光台寺に移転〈浄土教報一二二〉
10・19 小野国松著『浄土宗制規類纂』刊行〈同書、浄土教報一二三〉
2  大本教開教
1893 明治26 癸巳 1・28 清浄華院、大方丈起工式を挙行〈浄土教報一三四〉
1・30 東京支校内仏教研究会、発会式を挙行〈浄土教報一三四〉
3・9 龍牙興雲著『持宝通覧』(全三巻)刊行開始。上巻刊行(同年八月一〇日刊行完了)〈同書〉
4・1 三星善応執綱に任命される〈浄土教報一四〇〉
4・4 公会議員選挙法、公会規則、僧侶の坐次・寺院等級昇降の件、宗務規程を更正〈規則類纂教令第四~七・九号〉
5・5 吉水融我、『浄土宗便覧』前編を刊行(後編は九月一〇日刊行)〈同書、浄土教報一三五〉
6・11 京都支校有志、華峰協会を設立〈浄土教報一四八〉
6・26 宗務所、内務省社寺局に本山檀林別格由緒及通常寺院現数取調べを提出〈浄土宗寺院調書
6  宗務調査により本宗寺院総数は七一八七箇寺〈浄土宗年譜
9・1 静寛院宮一七回忌法会増上寺において厳修〈浄土教報一五五・一五六〉
10・7 清浄華院、大小書院・仮本堂落慶式挙行〈浄土教報一五九、清浄華院誌要
10 知恩院門末会決議、講社組織方法により慈教講を結社〈知恩院記録〉
10 東京芝公園地にハワイ宣教会事務所を設立〈浄土教報一六〇、浄土宗史
12・31 宗務所調査によれば寺院住職僧侶は五二四八人、宗学生徒は一八七〇人〈浄土教報一七〇〉
1894 明治27 甲午 3・16 松尾諦定、ハワイ布教のため渡航〈浄土教報一七五、浄土宗史
5・4 岡部学応、ハワイ布教のため渡航〈浄土教報一七九、浄土宗史
5・20 吉水良祐清浄華院六六世)入寂。世寿七二歳〈浄土教報一八一、清浄華院誌要浄源脈譜
5・21 知恩院山中墓地で出火〈浄土教報一八二〉
5・24 管長日野霊瑞、本校高等正科並びに専門科の学科課程更正、留学生規則を定める〈規則類纂教令五・九号、浄土教報一八二、浄土宗史
7・11 久保了寛清浄華院住職に当選。二一日宗務所にて任命式挙行。九月三日晋山浄土教報一八六・一八七、清浄華院誌要
8・2 日清戦争開戦により、東京大教会は臨時議会を開き、大教会・中教会に対し、国安・兵士強健を祈願、出征兵士の慰問、その家族の慰問等を講ずることを議決〈浄土教報一八八〉
8・4 管長日野霊瑞、日清宣戦布告により、出征軍人家族等を慰問すべき事を訓示〈規則類纂訓示号外〉
8・9 知恩院にて皇軍健勝四海鎮静の祈願会を開白。この日恤兵部に金一〇〇円を献納。二六日結願知恩院記録、浄土教報一九二〉
8・27 知恩院勢至堂上棟式挙行〈浄土教報一九二、知恩院勢至堂修繕棟札
9・3 吉水賢融執綱に任命される〈浄土教報一九四〉
9・6 浄土宗務所学務課著『浄土宗綱要』刊行〈同書〉
9・14 宗務所に臨時賑恤部を置き、征清軍の慰問を図る。一五日、獅子吼観定が部長に就任〈浄土教報一九二・一九三、浄土宗年譜、規則類纂教令第一〇号・報告号外〉
9  岡村学順、本宗最初の内地留学生に任命される〈浄土宗史
10・27 荻原雲台を外征慰問正史、岩井智海を外征軍隊慰問副使として、朝鮮および遼東に派遣〈浄土宗年譜、規則類纂報告号外、浄土教報一九七〉
11・15 本宗外征慰問使、従軍許可を受ける〈浄土教報一九九〉
12・3 金井秀道編『浄土苾蒭宝庫』上巻刊行〈同書〉
是年 本宗全寺院戦死者追悼会を厳修〈浄土教報一九八〉
7  日英改正通商航海条約調印
8  日清戦争開戦
1895 明治28 乙未 1  大阪大教会、臨時賑恤部支部設置を可決〈浄土教報二〇三〉
4・11 臨時賑恤部は報国議会会則を創定し許可される〈浄土教報二一三〉
6・5 管長日野霊瑞大僧正に任命される〈浄土教報二五三〉
7・24 臨時賑恤部を閉鎖〈浄土教報二二三〉
8・14 浄土宗僧侶称号等級進退施行細則を定め、本月三日、内務大臣の認可を得る。これより管長猊下大僧正の称号を用いる〈規則類纂報告第五号〉
8・25 金井秀道編『浄土苾蒭宝庫』下巻刊行〈同書〉
11・28 伊達霊堅執綱に任命される〈浄土教報二三六〉
12・15 軍隊布教に関する件、大教会中教会の議決に関する件、寺務管理者に関する件を定める〈規則類纂教令第七号〉
12・25 神谷大周、萩原雲台、岩井智海林彦明大門了康を軍隊布教師に任命〈浄土教報二三九〉
4  下関で日清講和条約調印、露・独・仏三国干渉
1896 明治29 丙申 1・25 厳島光明院荒谷隆徳、宗学本校阿弥陀如来座像(現大正大学本尊)を寄贈。神谷大周が同縁起を執筆〈浄土教報二四六・二七六〉
1・25 留学生規程細則並びに宗務規定細則を更正。ついで二月八日、岡村学順(比較仏教学専攻)・望月信亨(天台学専攻)・渡辺海旭(比較宗教学専攻)・荻原雲来(印度仏教史専攻)等内地留学生に任命される〈浄土教報二三九・二四二〉
1・25 宗務所、東京芝区芝公園二号地より一五号地(忠魂祠堂附属会館)に移転〈規則類纂報告第二号〉
5・12 第一回僧侶功績詮考委員会議開催。その結果、獅子吼観定野上運海大僧正叙任、堀尾貫務山下現有神谷大周正僧正叙任〈浄土教報二五二〉
5・13 管長日野霊瑞、三重県巡錫中、一志郡川口西称寺にて入寂。世寿七九歳〈浄土教報二五三、華頂誌要知恩院記録、明教新誌〉
5  武田興仁仲谷徳念に台湾布教を任命。六月三〇日、台北に到着。台湾従軍僧橋本定幢に会い、語学研究と布教準備を始める〈浄土教報二五八、浄土宗年譜浄土宗史、明教新誌〉
5  浄土教報社、三陸地方大海嘯義損金を募集〈浄土教報二五七〉
8・20 増上寺法主野上運海浄土宗管長に当選認可。九月二〇日、知恩院にて晋山式挙行〈規則類纂報告第一三号浄土教報二六二・二六六〉
11・26 岡部学応、ハワイ布教のためハマクワに仏教会堂を建築落成。入仏式を挙行〈浄土教報二七九、浄土宗年譜浄土宗史
12・28 岡村学順入寂〈浄土教報二七五〉
是年 一宗寺院、三陸地方大海嘯遭難者追悼会を厳修〈浄土教報二六一・二六二〉
4  民法公布
6  明治三陸地震発生
1897 明治30 丁酉 1・25 仲谷徳念武田興仁、台北に布教場を開く〈浄土教報二八二〉
2  吉岡、吉川、井上、望月の諸氏発企にて雑誌『宗粋』を発刊〈浄土教報二七八〉
4・15 管長野上運海管長並びに大本山住職選挙細則を発布〈規則類纂教令第六号、浄土教報二八七〉
6・30 山下現有増上寺七四世住職となる〈規則類纂教令第四号、増上寺記録、浄土宗年譜浄土教報二九三・二〇三三所収略歴、〉
7・3 管長野上運海、軍隊布教師取扱及び任務心得五箇条を定める〈規則類纂教令第八号〉
7・13 宗務所、白石尭海岩井智海開教視察のため台湾及び朝鮮に派遣。九月八日渡航。一五日三部経等を朝鮮国王に奉呈。一二月一三日台湾に渡航〈規則類纂報告第六号、浄土宗年譜浄土教報三〇〇・三〇三・三一〇・三一七〉
7・14 宗務所、河合梁定・伊達霊堅・中村正道・大前専称・白石尭海望月信亨吉岡呵成・土川善徴・中島性空・山本大善広安真随・杉山大運等一二名を軍隊布教使に任命〈規則類纂報告第七号〉
10・2 三隅田持門、釜山教会所新設許可を得る〈浄土教報三〇三〉
是年 八丈島宗福寺住持源励心、小笠原島に清見寺を創立〈浄土教報三〇三〉
6  河口慧海チベット探検に出発
1898 明治31 戊戌 3・12 清浄華院法主久保了寛、病のため辞職〈規則類纂報告号外、浄土教報三二一〉
4・9 越智専明編『浄土宗年譜』刊行〈同書〉
5・7 開教区域および教学院規則を発布。四月一四日の改定宗制実施日より施行。学制改革され、八大教区を設け各教区宗学教校を置く。開教費四千円、朝鮮開教費二千円、ハワイ開教費六〇〇円等を支出〈規則類纂教令第一号・宗規第二号、浄土教報三二五、浄土宗史
5・15 山下現有大僧正に任命される〈浄土教報三二五・二〇三三所収略歴、増上寺記録〉
6・14 管長野上運海大本山住職選挙規則に関する右選挙の投票手続の件七箇条、寺格及等級規則第六条の規定に係る組寺組長に関する規定七箇条、住職任免手続規程を定め告示する〈規則類纂教令第九・一〇・一一号〉
7・6 知恩寺堀尾貫務大僧正に任命される〈浄土教報三三一〉
7・7 久保了寛清浄華院六七世)入寂。世寿七〇歳。一説には七月八日〈浄土教報三三〇、宗粋清浄華院誌要
7・31 山田弁承清浄華院住職に当選。九月五日入寺〈規則類纂報告第二号、浄土教報三三六、清浄華院誌要
8・5 宗務所、浄土宗専門学院知恩寺中に、伝道講習院伝通院内に設け、来九月より開院することを公示。六日、伝道講習院規則を発布〈規則類纂教令第一八号、浄土教報三三二、浄土宗史
9・4 管長野上運海、四箇条よりなる宗門教育の根本を訓諭〈同訓諭〉
9・20 三縁山増上寺伝道機関雑誌『東光』第一号刊行〈浄土教報三三七〉
1899 明治32 己亥 1・10 獅子吼観定金戒光明寺五九世)入寂。世寿八一歳〈規則類纂報告第一号、黒谷誌要、浄土教報三四八〉
3・15 梶宝順編『行誡上人全集』刊行〈同書〉
4・18 韓国釜山本宗教会堂(開教副使三隅田持門)開堂式を挙行〈浄土教報三五九〉
4・27 黒田真洞、再び執綱に任命される〈浄土教報三五九〉
4  小笠原島開教援護会設立〈浄土教報三五六〉
6・30 秋浦定玄金戒光明寺法主に当選。九月二七日晋山〈規則類纂報告第六号、浄土教報三六五・三七一、黒谷誌要〉
7・4 管長野上運海布教伝道に関する訓示を発布〈規則類纂訓示第二号〉
8  増上寺法然上人伝』二巻、国宝に指定〈内務省告示〉
8  知恩院什宝『法然上人行状絵図』四八巻、『天平年間写経日記』『菩薩処胎経』、国宝に指定〈華頂聚宝〉
11・11 私立学校令により伝道講習院設立認可。増上寺境内に移る〈浄土教報三八三〉
11・30 後土御門天皇四〇〇年聖忌法要を鎌倉光明寺で厳修〈浄土教報三七八〉
5  神仏道以外の宗教宣布などに関する規定を定める
8  宗教学校設立に関する件公布
1900 明治33 庚子 1・20 金子常全執綱に任命される〈浄土教報三八五〉
1  知恩院、寺債券支払完了〈知恩院日鑑〉
2  専門学院敷地、京都獅子谷法然院寄附二千坪の地所と決定〈浄土教報三八九〉
4  知恩院経蔵、「阿弥陀二十五菩薩来迎図(早来迎図)」、国宝に指定〈華頂聚宝〉
5・5 渡辺海旭、ドイツ留学に出発〈浄土教報三九五、壺月全集(下)同略年譜〉
7  『華頂月報』を『華頂』と改題〈知恩院記録、同誌〉
9・9 知恩院において本宗各大本山合同出征軍人戦病没死者追悼会を厳修〈知恩院記録〉
12・28 私立浄土宗高等学院を専門学校等位に認定。これにより同院に修学中の学生、徴兵猶予の恩典を得る〈浄土教報四一九、浄土宗史
12 台湾基隆布教所担任松本副使、同所に布教場を創立〈浄土教報三九三〉
是年 浄土宗慈善会設立〈浄土教報四一八〉
4  内務省の社寺局を廃して、神社・宗教の二局を置く

1901-2000

西暦 年号 干支 主要事項 参考事項
1901 明治34 辛丑 4・8 望月信亨訂正『浄土宗経論章疏録』上巻刊行(五月二四日、下巻刊行)〈同書〉
4  久我誓円尼、京都に大本願別院得浄明院を建立〈浄土教報四三二〉
4  伊藤祐晃、韓国開城府に開城日語学堂を設立。九月七日開校式挙行〈知恩院記録、浄土教報四五七〉
9・3 浄土宗普通学校設立方法を定め発布〈規則類纂教令第二八号〉
9・13 浄土宗専門学院京都市上京区鹿ケ谷町校舎、新築竣工〈規則類纂告示第八号、浄土教報四四八、浄土宗史
10 黒田真洞望月信亨、中嶌勧琇等の発企によって、浄土宗伝道会を設立。来春一月を期して雑誌『信仰界』発行の予定〈浄土教報四六〇・四六三〉
12 山口県周防徳山町有志の発企により、孤児貧困者救済のため徳山普済院設立〈浄土教報四六六・四六七〉
1902 明治35 壬寅 1・4 宗祖七〇〇年遠忌厳修の法式並びにこれに関する必要事を定め門末に発布〈制規類纂教令第一号〉
4・17 浄土宗高等学院規則更正認可〈浄土教報四八四〉
4・17 浄土宗高等学院講内に東京文学院設立認可され、一一日より開校。本宗中等教員養成機関の始まり。宗侶の就学を勧諭〈制規類纂告示第五・六号、浄土教報四八四・四八五・四八七〉
4・28 本宗管長野上運海、辞表を提出〈制規類纂報告第一号、浄土教報四八六〉
5・1 増上寺山下現有管長に任命される。ついで三日、管長猊下就任式挙行。七月一日入院〈制規類纂報告第一号、浄土教報四八六・二〇三三所収略歴、華頂誌要
6・20 堀尾貫務増上寺住職に当選。七月四日晋山式挙行〈制規類纂報告第三号浄土教報四九二・四九五〉
7・3 専門学院建築落成慶讃式を挙行〈制規類纂告示第七号、浄土教報四九五〉
7  知恩院三門、国宝建造物に指定〈華頂聚宝〉
10・16 小林大承知恩寺住職に当選。一二月一九日入山〈制規類纂報告第七号、浄土教報五〇九・五一九〉
11 浄土教報社、『浄土宗寺院名鑑』を発刊〈同書〉
1903 明治36 癸卯 3・9 浄土宗高等学院、学年変更(毎年四月一日に始り翌年三月三一日に至る)の件、文部大臣より許可され二一日告示〈制規類纂教令第二号、浄土教報五三〇〉
4  知恩院什宝「阿弥陀経曼陀羅」『上宮聖徳法王帝説』「紅玻璃阿弥陀像」、国宝に指定〈華頂聚宝、浄土教報
5・2 東京小石川区表町淑徳女学校、創立十周年記念祝賀会を開催。宗務所は同校を宗立とする〈制規類纂告示第七号、浄土教報五三八・五四〇〉
5・15 開教区区域中更正並びに北海道寺院創立に関する規程七条を定め発布〈制規類纂教令第九・一〇号〉
6・2 宗祖七〇〇年御忌報恩義財特別会計法、僧侶分限則中の更正、教師功績銓考及進級規則、並に褒賞規則、宗規三号教区制度中の更正、教会条規の更正、教師任免規程を定め発布〈制規類纂宗規第二五~二九号、教令第一五・一六号〉
6・13 伝宗伝戒規程、教学用書編纂法など更正〈制規類纂教令第一七・一八号、浄土教報五四四〉
7・10 知恩院夏安居復興。二二日結願浄土教報五三九・五四六、知恩院記録〉
9・3 広安真随著『浄土宗韓国開教誌』第一輯を刊行〈同書〉
10・13 文部大臣、浄土宗高等学院を明年一月一日より専門学校令に準拠する件認可〈官報、制規類纂報告第五号、浄土教報五六一〉
12・25 浄土宗真言宗大覚寺派と抗争の称念寺念仏寺直指庵所属問題協議成立。称念寺一心院末、念仏寺直指庵を知恩院末とし、京都府に許可を申請。翌三七年許可浄土教報六一一〉
是年 知恩院什宝「毘沙門天王像」、国宝に指定〈華頂聚宝、浄土教報
11 内務省、社寺境内取締規則発布
1904 明治37 甲辰 1  隠岐開教区事務所(別府浄土宗説教所)開設〈浄土教報五七三〉
2・10 日露宣戦詔勅発布につき、管長山下現有、聖旨を奉戴本務を尽すべき訓旨を告示。ついで一一日、一八日、二四日等訓旨を以て教務所忠魂祠堂管理者一般寺院に、軍国に処するの心得、従軍布教軍隊慰問等に関する経営などを告示〈制規類纂訓示号外・内訓・訓示第二号、浄土教報五七八・五八〇〉
4・1 京都に華頂女学校開校〈浄土教報五八五・六一七〉
5・4 私立浄土宗高等学院を私立浄土宗教大学院と改称。また京都に同分校私立浄土宗教大学院専攻科、東京芝に同分校浄土宗教大学院伝道部設置を認可。また予科生、別科生を除き徴兵令一三条の認定を得る。ついで伝道講習院規則廃止、並びに高等専門学科規程発布〈文部省告示第一〇七号、制規類纂教令第三号・報告第一号、浄土教報五九五・六〇六、浄土宗史
10・15 東京市小石川区私立浄土宗教大学院浄土宗大学、京都市上京区浄土宗教大学院専門科を浄土宗大学専門科、東京市芝私立浄土宗教大学院伝道部浄土宗大学伝道部と改称認可〈制規類纂報告第四号、文部省告示第一八〇号、浄土教報六一三〉
12・21 野上運海(前管長知恩院七八世)入寂。世寿七六歳。翌年正月二四日、知恩院において表葬〈浄土教報六二四・六二七・六二八、華頂誌要
是年 全国各地寺院、戦勝祈願戦死者追悼会を厳修。また慰問に努める〈浄土教報五八〇~六二三〉
2  日露戦争開戦
1905 明治38 乙巳 3  浄土宗大学専攻部並びに伝道部・第一教校・興学会を主とし、さらに都下有志発起により浄土宗青年会を設立。趣意並びに会則発表される〈浄土教報六三一・六三二・六三六〉
3  山梨善光寺別院開設〈浄土教報六三四〉
3  荻原雲来、ドイツ・ストラスブルグ大学において、ドクトル・フィロソフィーの学位を受ける〈同略年譜〉
4・3 宗務所は東京市芝区芝公園地浄土宗大学伝道部を同市小石川区表町浄土宗大学に合併の認可をうけ、この日発表〈制規類纂報告第四号〉
4・15 知恩院大殿において各本山合同戦歿英魂追悼会を厳修〈知恩院記録〉
4・19 黒田真洞、本宗大学校長に任命される〈浄土教報六四〇〉
4・22 第八教校鎮西中学と改称の件認可〈浄土教報六四一〉
4・27 樋口便孝執綱に任命される〈浄土教報六四一〉
5・15 文部大臣の認可を得て、財団法人教育資団設立を告示。ついで教学院規則更正、寺格等級規則更正等を発布〈制規類纂告示第六号・宗規第三〇~三六号〉
5  大阪浄土宗尼僧による、累徳婦人会設立〈浄土教報六四五〉
6・7 知恩寺小林大承辞職〈浄土教報六四七、制規類纂報告第五号〉
7・1 増上寺文書課、雑誌『縁山』を創刊〈浄土教報六五二、同誌〉
7・25 北条弁旭知恩寺住職に当選。九月一〇日任命式挙行〈制規類纂報告第五号、浄土教報六五四・六六一〉
9・1 『宗粋雑誌』、『宗教界』と改題。同第一号発刊〈浄土教報六五九〉
10・9 荻原雲来、ドイツ留学より帰朝。ついで宗教大学教授に就任〈浄土教報六六五〉
10・1 吉岡呵成入寂。世寿四二歳〈浄土教報六六五〉
10・25 各寺院に平和克復報告祭並びに戦死者追悼会を厳修すべきを布達〈浄土教報六六七〉
是年 各本山門末寺、出征軍人慰問並びに布教、戦勝祈願、追悼会に奮闘〈宗務所記録、浄土教報六二四~六七五〉
7  戦後の善処を目的として、東京芝三田に日本宗教協和会設立
1906 明治39 丙午 3・2 文部大臣、東京第一教区宗学教校、京都第五、大阪第六・第七連合教校、専門学校入学に関し、中等学校同等の認定並びに徴兵令猶予の認定。ついで二二日、第一教区教校を私立芝中学校と改めて設置の件認可〈文部省告示第二七~三〇・三四・三五号、制規類纂報告第一号、浄土教報六八六・六八八〉
5・1 上田称隆尼発起により私立華頂看護婦会学校設立。京都府知事の認可を得る〈浄土教報六九二〉
5・14 伝宗伝戒規程中を増補更正。前行一〇〇日とし、内七〇日は随所に、三〇日は一定の道場と定める。二一日、前行道場並びに教誡師を指定し、総本山大本山のほか霊巌寺以下一七箇寺を前行道場に指定〈制規類纂教令第五号・訓旨第二号・告示第三号
7・15 黒田真洞望月信亨法然上人全集』を共撰刊行。ついで奈良市称念寺広瀬賢接、同書を宮内省並びに諸学校に寄贈〈同書、浄土教報七四六〉
7・16 本宗学則、学科程度、授業時間に関する規程を増補更正。教区教校中学校卒業者のために一箇年の講習科を設ける〈制規類纂教令第九・一〇号〉
8  東京芝西久保天徳寺中に日本宗教協会を設立。従来発刊の『宗教界』を同会機関雑誌とする〈浄土教報七一一〉
9・1 管長山下現有宗祖七〇〇年御遠忌記念伝道布教師に教諭を発する〈浄土教報七一三〉
9  宗祖七〇〇年遠忌記念事業宗典刊行会設立準備〈浄土教報七一二〉
12・18 東京市小石川区淑徳女学校に高等女学校の設立認可〈文部省告示第二一二号、制規類纂報告第一〇号、浄土教報七二七〉
1907 明治40 丁未 3・12 本宗大学学則更正認可。一八日、同大学予科生、徴兵猶予の特典を得ることを告示〈文部省告示第六八号、制規類纂報告第二号〉
3・29 東京市小石川区表町浄土宗大学を宗教大学、京都浄土宗大学専門科を宗教大学分校に改称認可。四月一日より実施〈文部省告示第九一号、制規類纂報告第二号〉
4・7 浄土宗務所宗学部、『浄土宗義綱要』刊行〈同書〉
5・22 増上寺仏式結婚の制を発表。東仏教婦人会は『正因縁』を発刊〈同書、浄土教報七五二〉
5・27 知恩院什宝「絹本著色地蔵菩薩像」「絹本著色桃李園金谷園図」、国宝に指定〈華頂聚宝、浄土教報
6・24 宗務所、第二大教区設置の宗学校と第三大教区内設置の宗学校との連合の件、本月二〇日に認可されたことを告示〈制規類纂告示第一一号〉
6  京都黒谷宗典刊行会、東京支部を浅草吉野町東光社内に設置。翌年二月、本部を京都より東京小石川伝通院内に移す〈浄土教報七五三・七八六〉
7・1 知恩院宗祖七〇〇年御忌準備局を開設〈知恩院記録、浄土教報七五七〉
10・10 東京府巣鴨に宗教大学新校舎を起工〈浄土教報七九七〉
10 渡辺海旭、ドクトル・フィロソフィーの学位を受ける〈壺月全集(下)略年譜〉
11・16 ハワイホノルル開教本部開教院、工事落成し入仏慶讃式を挙行。一七日終了〈浄土教報七七九〉
12・17 仏式結婚増上寺において初めて挙行〈浄土教報七七九〉
12 宗典刊行会、『浄土宗全書』を創刊。巻七を刊行〈同書〉
是年 一宗寺院宗祖七〇〇年遠忌法会を厳修し並びに記念伝道会を発会〈浄土教報七六〇~七八〇〉
7  第三次日韓協約調印(三国協商成立)
1908 明治41 戊申 3・3 鎮西中学、文部大臣より徴兵猶予の特典を得る〈文部省告示第六五号、制規類纂報告第三号浄土教報七九四〉
4・23 知恩院什宝の伝銭舜挙筆「牡丹図」、伝徐熙筆「蓮鷺図」、国宝に指定〈華頂聚宝、華頂誌要
5・25 宗学高等講習会規則六箇条、並びに宗学講習会規則を定める。宗学高等講習会は七月に第一回を知恩院で、八月に第二回を増上寺で開催〈制規類纂報告第四・五号、浄土教報八〇六・八〇八・八一五〉
9  宗教大学、東京市小石川より巣鴨に移転。一〇月一九日同大学位置変更等認可〈制規類纂報告第六号、浄土教報八一五〉
是年 宗典刊行会、二月『浄土宗全書』巻五を、四月同巻八を、七月同巻二を、八月同巻九を、一二月同巻三を刊行〈同書、浄土教報七八六・七九八・八〇六・八三二〉
1909 明治42 己酉 2・8 青蓮会編『大日比三師伝』刊行〈同書〉
2・23 文部大臣、宗立第五区宗学校を京都市下京区林下町より同市上京区南禅寺町に変更認可。ついで同学生浄土宗青年酬恩会を設立〈文部省告示第三六号、制規類纂報告第三号浄土教報八四五・八四八〉
4・1 増上寺、午前一時五分大殿西北の床下より発火。大殿、飛雲閣、護国殿等炎上。山内天陽院住職笠原立定、黒本尊を護持避難〈浄土教報八四六・八四九〉
4・28 愛知第四教校、中学校等位認定。並びに徴兵猶予認定を得る〈文部省告示第一四五号、制規類纂報告第五号、浄土教報八五三〉
4・5 知恩院什宝「押出三尊仏像」、国宝に指定〈華頂聚宝〉
5・12 韓国大邱教会、入仏式を執行〈浄土教報八五四〉
7・9 増上寺本堂落成入仏式を挙行〈浄土教報八六一〉
9・7 文部大臣、私立東海中学校を名古屋市東区車道町に設置認可。九月開校、ついで徴兵令により認可〈文部省告示第二三三・二三四号、制規類纂報告第五号〉
10・25 管長山下現有、伝宗伝戒規程附則を増補し、璽書伝授を制限〈制規類纂教令第一八号〉
11・12 土川善澂執綱に任命される〈浄土教報八七九〉
12・15 望月信亨著『仏教大年表』刊行〈同書〉
是年 宗典刊行会、一月『浄土宗全書』巻六を、五月同巻四を、九月同巻一二を刊行〈同書〉
1910 明治43 庚戌 3・22 渡辺海旭、神戸に帰着。二五日知恩院に登嶺。ついで宗教大学、東洋大学教授、『浄土教報』主筆に就任〈浄土教報八九七・八九八、壺月全集(下)略年譜〉
4・16 知恩院阿弥陀堂、慶讃式を開白。一八日結願浄土教報九〇〇・九〇二〉
6・25 ハワイコロア教会堂落成式を挙行〈浄土教報九一七〉
7・5 鎌倉光明寺山門慶讃式を執行〈浄土教報九一二〉
7・15 岩崎敲玄著『浄土宗史要』刊行〈同書〉
8  知恩院「唐門」「大方丈」「小方丈」、国宝建造物に指定〈華頂聚宝〉
9・5 『大日比三師講説集』(全三巻)刊行〈同書〉
9  韓国開教区の称号を朝鮮開教区と改称〈浄土教報九二三〉
9  荻原雲来、『梵語大辞典索引』を完成〈浄土教報九二〇〉
10・1 知恩院宗祖七〇〇年遠忌法務局設置〈知恩院記録〉
10・18 平岡長官、樺太開教所に豊原東二条南地、一一七〇坪を無償貸与〈浄土教報九三九〉
10・18 増上寺法務課、千葉満定編『浄土宗法要集声明譜付』(折本上下二巻)刊行〈同書〉
12・16 久我誓円尼入寂。世寿八三歳〈浄土教報九三七〉
是年 宗典刊行会、一月『浄土宗全書』巻一三を、六月同巻一〇を、一〇月同巻一五を刊行〈同書〉
1911 明治44 辛亥 2・25 これより先、山田弁承清浄華院中興号を授与される。この日、同院御影堂落慶入仏式執行〈清浄華院誌要浄土教報九四四〉
2・25 山田弁承秋浦定玄、北條弁旭、大僧正に任命される〈浄土教報九四五・九四六〉
2・27 明照大師諡号宣下奉戴。二月二八日管長山下現有諡号を宗祖廟前に捧呈〈制規類纂報告第五号、浄土教報九四五〉
3・1 知恩院において宗祖七〇〇年御遠忌厳修。七日結願浄土教報九四〇・九四六・九四七〉
是春 各教区宗祖七〇〇年御遠忌法要を厳修〈浄土教報九四三・九五〇〉
5・22 望月信亨、宗務執綱に任命される〈制規類纂報告第九号、浄土教報九五五〉
5・22 ハワイ浄土宗会所入仏式執行〈浄土教報九六〇〉
5  渡辺海旭、東京深川区平野町に浄土宗労働共済会を設立。七月一日発会式を挙行〈浄土教報九六一・九六三、壺月全集(下)略年譜〉
7・1 浄土宗制を改正発布。増上寺知恩院と共に管長住職とする。同時に管長候補者選挙規則を更正。また八大教区を廃し、一五六余の小教区とし、従来の教区設立諸学校を宗務所直属とする〈制規類纂宗規第四四・四七号〉
7・17 望月信道編『浄土宗聖典』刊行〈同書〉
7  京都宗教大学分校佛教専門学校と改める〈浄土宗史
9・10 知恩院山内華頂女学院、開校式を挙行〈同校記録、知恩院記録、華頂女子中学高等学校七十年史〉
10・17 山田弁承清浄華院六八世)入寂。世寿七一歳〈制規類纂報告第一〇号、浄土教報九七八、清浄華院誌要
10・30 宗務所、清浄華院住職選挙を発令。一二月一〇日吉水賢融当選。翌年正月二四日晋山式を挙行〈制規類纂告示第一一号、浄土教報九八五・九九三〉
是冬 増上寺山門工事落成〈浄土教報九八八〉
是年 宗典刊行会、三月『浄土宗全書』巻一四を、四月同巻一を、一〇月同巻一一を刊行〈同書〉
2  日米通商航海条約改正調印
11 曹洞宗大本山総持寺、神奈川鶴見へ移転
1912 大正元 壬子 2・1 布教師叙任令更正。司教・准司教讃教・准讃教輔教・准輔教の六級の名称を定め発布。また布教講習所を設立し、その規則を発布〈制規類纂教令第一・二号〉
2・10 学則を更正発布。学階勧学已講講師嗣講擬講得業の六級とする〈制規類纂教令第四号、浄土教報九九四附録〉
2・16 管長山下現有、内務省に三教代表として招聘〈浄土教報九九五〉
2・20 布教資団、主務大臣の認可を得て設立〈制規類纂〉
2・27 管長山下現有、この日を以て本宗記念日と定め宗侶報恩の義を明らかにすべきを訓旨〈制規類纂訓示第二号、浄土教報九九五〉
3・26 大坂市南区に上宮中学校設立開校許可〈文部省告示第八六号、制規類纂第五号、浄土教報一〇〇〇〉
3・27 京都東山中学校設立認可〈文部省告示第八九号、制規類纂報告第五号、浄土教報一〇〇二〉
4・1 芝中学校、第一教区宗学教校、東海・東山鎮西各中学校、第二・第三教区連合教校、淑徳高等女学校を宗立各種学校とする〈制規類纂告示第三号
4・11 財団法人浄土宗教学資団設立認可〈制規類纂告示第六号、浄土教報一〇〇八〉
4・16 知恩院において勅諡加号明照大師慶讃法会開白。一八日結願知恩院記録〉
4  東京芝に法式研究会設立。ついで法式服制調査委員を任命〈浄土教報一〇〇二・一〇〇五〉
5・9 京都浄土宗尼衆学校設置認可〈制規類纂報告第七号、吉水学園史浄土宗尼僧史
5・18 宗務所、本月一三日、私立宗教大学分校廃止。同位置に私立高等学院を専門学校令により設置。五月開校を告示〈制規類纂報告第六号〉
6・15 宗務所、台北市基隆布教所を廃止。明照寺建立を報告〈制規類纂報告第八号、浄土教報一〇一二〉
7・1 第一回教学講習会知恩院において開講。七日に総本山本末規約、布教規定更正、夏安居結衆法更正並びに布教講習所実施細則更正発布〈制規類纂告示第四号、浄土教報一〇一五・一〇一六〉
10・13 京都高等学院開校式を挙行〈浄土教報一〇三一〉
10・14 京都浄土宗尼衆学校、入信院の仮校舎にて開校式を挙行〈浄土教報一〇三一、吉水学園史
11・18 清国大連教会所を廃止し、同地同所に明照寺を建立。入仏慶讃式を執行〈制規類纂報告第一一号、浄土教報一〇四九〉
2  三教合同、内相原敬、神・仏・基三教の代表を招き懇談会を開催
5  大日本仏教全書刊行
1913 大正2 癸丑 3  宗会議員過半数改選。五日開票〈浄土教報一〇九二〉
4・5 京都上京区私立高等学院、佛教専門学校と改称許可〈制規類纂報告第四号、官報、浄土教報一〇五六〉
4・10 増上寺大殿起工式挙行〈浄土教報一〇五五〉
4・14 大阪府泉南郡西葛城孝恩寺蔵仏体一六軀、国宝に指定〈官報、浄土教報一〇六一〉
4  知恩院什宝『大楼炭経』、国宝に指定〈華頂聚宝〉
5・10 宇都宮善道執綱・総務部長に就任。任命式を挙行〈浄土教報一〇五九・同号附録〉
5・22 従来の小教区制を四六教区教区制度更正。並びに執綱ほか布教宗学、教務、財務等四部制を、執綱ほか教学、監正、庶務、財務の四部制に更正など認可〈制規類纂宗規第五六号、浄土教報一〇六二附録〉
9・11 知恩院において布教講習所開始〈浄土教報一〇七〇〉
9・29 管長山下現有、明治三二年伝法条令を更正し、璽書伝授を別行伝授とする条令を公布〈制規類纂宗規第五九号〉
12・15 宗務所、教学事項調査等機関設置規程を発布〈制規類纂教令第三四号〉
12・17 神谷大周著『伝法沿革依憑詮考』刊行〈同書〉
2  大正政変
6  宗教行政と神社行政との分離徹底
10 浅草本願寺にて日本仏教大会開催
12 立憲同志会(総裁加藤高明)結成
1914 大正3 甲寅 1・1 一時停止中の本宗托鉢修行、この日解除。二月一四日各教区所長に西部托鉢取締規則に準ずるよう沙汰〈制規類纂〉
1・17 文部大臣、愛知県私立浄土宗教校卒業生を中等学校卒業以上と認定〈文部省告示、制規類纂〉
1・25 『浄土宗全書』全二〇巻刊行完了〈同書〉
2・27 勅額明照の宸翰下賜により、管長山下現有門末寺に訓示号外を告示〈制規類纂、浄土教報一一〇〇附録〉
5・1 管長山下現有浄土宗報恩明照会組織規程、浄土宗報恩明照会維持基金及事業費徴収方法、浄土宗報恩明照会計法及び浄土宗報恩明照会設立基金支出方法を定める。一〇月二二日、同設立事項を告示〈制規類纂、浄土教報一一三四〉
5  望月信亨著『浄土教之研究』刊行〈同書〉
6・14 善光寺大本願明照殿開殿式を挙行。一五日長野善光寺明照婦人会設立〈浄土教報一一一六〉
11 神谷大周知恩院における宗戒両脈復古改正及諸法式調査会に列席し、明治二一年以来の伝法の問題を解決する〈斉誉勧学略年譜〉
11 東京芝公園地徳川家霊屋、増上寺の管理となる。一二月二日、同霊屋新規定認可〈浄土教報一一三九〉
4  昭憲皇太后崩御
6  全国仏教社会事業大会開催
8  ドイツに宣戦布告し、第一次世界大戦に参戦
   仏教大辞彙刊行
1915 大正4 乙卯 1・25 大島泰信著『浄土宗史』刊行〈同書〉
3・14 荻原雲来著『梵漢対訳仏数辞典』刊行〈同書〉
3・25 管長山下現有、学則を更正。宗教大学に教育部を設置〈制規類纂、浄土教報一一五六〉
4・7 『続浄土宗全書』(全一九巻)の刊行が始まる。巻一を刊行〈同書〉
5・7 東大寺落慶法要管長山下現有親修〈浄土教報一一六五〉
6・25 管長山下現有伝法条例・教区制度・開教区制度更正発布〈制規類纂教令第四号、浄土教報一一六九附録〉
8・2 管長山下現有檀林条規制定の件一部修正(新檀林指定、檀林辞退、一宗課金を賦課せす、一〇級の義財納付等)発布〈制規類纂〉
8・2 管長山下現有大本山住職選挙規則更正発布〈制規類纂〉
8・20 管長山下現有僧侶分限規則・法服条令更正発布〈浄土教報一一七八、制規類纂〉
9・8 椎尾弁匡、文学博士の学位を受ける〈浄士教報一一八〇〉
9・17 大阪府、府内教会説教所取締令を定める〈浄土教報一一八二〉
9  知恩院庫裡模様替修繕、並びに倉庫新築工事竣成。門跡庫裡を雪香殿と命名〈知恩院記録、華頂〉
10・16 河口慧海、西蔵訳一切蔵経正蔵を、宗教大学図書館に請来〈浄土教報一一八六〉
11・10 管長山下現有仏教各宗派を代表し大礼奉仕の大役を勤める。山下現有堀尾貫務、養老天盃及び金一封を賜る〈浄土教報一一八九〉
12・5 東京慈善団発会式を増上寺において挙行〈浄土教報一一九三〉
8  米国仏教徒主催万国仏教大会をサンフランシスコにて開催
12 全国仏教大会西本願寺にて開催
12 仏教連合会結成
1916 大正5 丙辰 1・25 黒田真洞(元執綱)入寂。世寿六二歳〈浄土教報一二〇〇〉
3・31 岡本貫玉執綱に就任。知恩院において任命式を挙行〈浄土教報一二〇九〉
3  京都慈善団細則成立〈浄土教報一二〇八〉
8・23 秋浦定玄金戒光明寺法主)入寂。世寿七三歳〈浄土教報一二三〇・一二三一・一二三三〉
10・4 東京市仏教保育院規則成立〈浄土教報一二三七〉
10・6 管長山下現有、来るべき立太子大典に門末寺院奉祝会厳修すべきを訓示す〈浄土教報一二三六・一二三七〉
10 朝鮮雄基港教会設立認可〈浄土教報一二三九〉
11・1 吉水賢融金戒光明寺法主に任命される。二五日晋山式挙行〈浄土教報一二四〇・一二四四〉
12・10 須賀隆賢著『引導下炬集』刊行〈同書〉
12・13 獅子谷仏定清浄華院法主に当選。二七日任命式〈浄土教報一二四六・一二五〇〉
4  仏教連合会より宗教制度調査に関する件、神職と神道教師区別に関する件、宗教に関する地方行政矯正の件、宗教教師僧侶参政の件等に関し宗教局に申請書を提出
7  日露新協約調印
8  工場法施行令を定める
10 憲政会結成
1917 大正6 丁巳 2・11 東京府で本宗侶の経営する労働共済会、東京興仁会、同善小学校、東京養老院等、奨励金の交付を受ける〈浄土教報一二五五〉
4・13 増上寺大殿立柱式挙行〈浄土教報一二六三・一二六四、縁山
5・15 浄土教報社火災〈浄土教報一二六七〉
5・18 吉水賢融、大坂安治川東京倉庫爆発惨死者追弔大施餓鬼会を親修す〈浄土教報一二六九〉
6・5 土川勧学宗学興隆会金田戒定編『五重本末講義』を刊行〈同書〉
6・25 北海道開教区普通教習所の札幌新善光寺内設置認可を告示〈宗報二〉
7・20 樺太開教区会開会、並びに大挙伝道を実施〈浄土教報一二八〇〉
7・25 管長山下現有門末寺に第一次世界戦争ならびに民本主義の横溢等に関し、善処方を策励〈浄土教報一二七八〉
9・20 伝道交話会、『元祖大師御法語講話集』を刊行〈同書〉
10 知恩寺、宝蔵を新設〈浄土教報一二九一〉
1918 大正7 戊午 2・9 台湾阿緱布教所設立認可〈浄土教報一三〇八〉
2・27 知恩院門跡山下現有、国民精神振興祈願のため伊勢大神宮に参詣。三月一日、桃山御陵に参拝ののち「訓旨」並びに「要制五条」を公布〈宗報一〇号外、知恩院記録、浄土教報一三〇八・一三〇九〉
3・3 鎮西中学校寄宿舎焼く〈浄土教報一三〇九〉
3・11 吉水賢融金戒光明寺六一世)入寂。世寿七六歳〈宗報一一、浄土教報一三一〇〉
3・22 北条弁旭知恩寺六五世)入寂。世寿七〇歳〈宗報一一、浄土教報一三一一・一三一二〉
4・11 再建後援機関「縁山興勝会」、増上寺にて創立総会を開会〈浄土教報一三一四〉
5・21 宗教大学社会事業研究室開設式ならびに記念展覧会開会〈浄土教報一三一九・一三二〇〉
8・15 宗務所、『特別伝道 訓示講話』を刊行〈同書〉
8・28 再審査の結果、金戒光明寺法主大鹿愍成知恩寺法主中嶌観琇、一宗公選により当選の旨を発表〈宗報一四、浄土教報一三二〇・一三二六〉
7・17 宗務所、時局に鑑みて全国布教団に各種工場布教をすすめる〈宗報一三、浄土教報一三二八〉
9・28 宗務所、法類条規並びに法類協議会規定を発布〈制規類纂、宗報一五〉
10・8 宗務所において開宗七五〇年記念事業調査会を開き、六号の案を議定〈宗報一六、浄土教報一三三九〉
11・3 桑門秀我執綱に就任。任命式を挙行〈宗報一六、浄土教報一三四三〉
11 京城開教梵鐘上棟式挙行〈浄土教報一三六四〉
12・25 宗書保存会、『浄土伝灯輯要』上巻を刊行〈同書〉
12 大学令・高等学校令公布
1919 大正8 己未 1・28 教学院会議開催。大学令による宗立大学設置の可否、宗立女子大学設置の可否等諮詢案を審議〈宗報二〇〉
4・17 知恩院において世界戦役殉国戦死者病没者英霊追悼会厳修。一八日結願知恩院記録〉
4・30 西山光明寺派、同禅林寺派、同深草派の三派独立認可〈文部省告示、中外日報〉
5・17 京城開教満二〇年大法要開教院において厳修。一九日終わる〈浄土教報一三六八〉
5・28 管長山下現有寺族規程、得度規程を発布。また職員分限令を定める。寺院分布整理法一部を更正〈制規類纂、宗報二三〉
6・5 宗務所、教学高等講習会清規一七箇条を告示〈制規類纂告示、宗報二五〉
7・5 宗書保存会、『浄土伝灯輯要』中巻を刊行〈同書〉
8・25 満洲開教区を支那開教区と改称〈浄土教報一三八一〉
10・1 知恩院開宗七五〇年記念大会準備局開設〈知恩院記録〉
11・11 知恩寺で一週間の三昧道場開始〈浄土教報一三八七〉
12・1 宗務所に教育制度調査会を設け同規定を公布〈宗報三〇〉
5  衆議院選挙法改正
是年 日本大蔵経刊行
1920 大正9 庚申 1・5 管長山下現有開宗七五〇年記念訓示を告示〈宗報三一、浄土教報一三九六〉
2・12 本宗宗教法案調査会、宗務所において開催〈浄土教報一四〇〇〉
2・25 前清浄華院法主(六五世)神谷大周入寂。世寿八〇歳〈宗報三三、浄土教報一四〇二、斉誉勧学略年譜〉
2・28 管長山下現有、詔書喚発の趣旨を奉体すべきを訓示〈宗報三二〉
3・17 知恩院山内尼衆学校建築落成〈知恩院記録〉
6・1 『的門上人全集』(全五巻)刊行開始。第一輯を発刊(大正一〇年四月一日刊行完了)〈同書〉
7  浄土宗尼衆学校落慶〈浄土宗尼僧史
8・10 京都佛教専門学校機関誌『摩訶衍』発刊〈浄土教報一四二〇〉
10・31 増上寺明徳学園、開園式を挙行〈浄土教報一四三七、増上寺日鑑
12・4 光明会山崎弁栄入寂。世寿六二歳〈知恩院記録、浄土教報一四四二、下総專修寺記録、田中木叉著弁栄上人
1921 大正10 辛酉 3・15 開宗七五〇年記念法要規程、同記念伝道規程等を公布〈制規類纂、宗報四五〉
3・17 福岡善導寺、鎌倉光明寺別格本山昇格を請願〈浄土教報一四五五〉
4・12 増上寺大殿上棟式挙行〈宗報四六、浄土教報一四五八〉
4・15 管長山下現有、宗政調査会規程を発布〈宗報四六〉
4・25 堀尾貫務増上寺七七世)入寂。世寿九四歳。管長山下現有、宗制四五条により後任に就職〈宗報四七、浄土教報一四五九〉
5・2 宗務所において第一回宗政調査会委員総会を開催。第一部教学、第二部財政等の調査方針を立てる〈宗報五七附録〉
5・5 宗書保存会、『浄土伝灯輯要』下巻を刊行〈同書〉
6・11 朝鮮水原教会所開教一五周年記念法会修行浄土教報一四七二〉
6・22 知恩院大殿において門跡山下現有親修聖徳太子一三〇〇年御忌奉修〈知恩院記録〉
6・28 獅子谷仏定清浄華院法主)、管長候補に当選〈宗報四八、浄土教報一四六五〉
7・17 宗制を更正し、宗会開会隔年を毎年に、同宗会議員選挙の二年毎に半数改選を四年毎に総選挙とするなどに改め発布〈宗報四八〉
8・8 宗教大学図書館上棟式挙行〈浄土教報一四七一〉
8・20 望月信亨著『略述浄土教理史』刊行〈同書、浄土教報一四七七〉
10 八丈島開善院善光寺入仏式を執行〈浄土教報一四八〇〉
11・20 京都大恩寺にて勤息義城入寂。世寿七五歳〈宗報五三〉
2  第一次大本教事件
12 大谷派、日曜学校規定発布
1922 大正11 壬戌 1・2 朝鮮華頂女学院焼失〈浄土教報一四八八〉
3・27 廣安真随(筑後善導寺五九世)入寂。世寿七〇歳〈宗報五七〉
3・31 竹石耕善執綱に就任〈宗報五七〉
4・12 増上寺仮遷坐式執行、一三日遷仏供養会執行〈宗報五七、浄土教報一四九八〉
4・25 浄土宗尼僧団体「吉水会」発会式挙行〈浄土宗尼僧史吉水学園史
4  宗教大学図書館竣工。五月二一日落慶式挙行〈宗報五九、明照学舎三十年史〉
5・18 川合梁定著『浄土三部経和解』刊行〈同書〉
5  渡辺海旭、高楠順次郎と共に『大正新脩大蔵経』の刊行を発起し都監として編修に努める〈壺月全集(下)略年譜〉
6・30 浄土宗法式会、千葉満定編『浄土宗法式精要』刊行〈同書〉
7・1 総本山専修道場開宗記念事業)開筵。土川善澂上首に就任〈知恩院記録、宗報六〇〉
7・15 東京下谷三輪学院開校式挙行〈浄土教報一五〇九〉
9・14 浄真寺九品仏)越智専明入寂。世寿七三歳〈宗報六二、浄土教報一五一八〉
9・30 国宝は宗宝保存会審査に拠らずして宗宝とする〈宗報六二〉
9・30 筑後善導寺、鎌倉光明寺大檀林寺院に指定〈宗報六三〉
11・26 東京南千住慈光学園会館、開館式挙行〈宗報六五、浄土教報一五二三〉
11 藤堂祐範著『選択集大観』刊行〈同書、浄土教報一五二三〉
11 望月信亨等編『大日本仏教全書』刊行完了〈同書〉
5  大谷大学・龍谷大学・立教大学設立認可
10 日蓮に立正大師と諡号宣下
1923 大正12 癸亥 1・5 宗務所、宗宝保存会の審査を経て、初めて知恩院宗祖大師七幅絵伝以下二八点を宗宝に指定〈宗報六六〉
2・13 宗制を更正し、知恩院住職のみを管長兼職とする〈宗報六七〉
2・28 宗務所社会課、『浄土宗社会事業要覧』刊行〈同書、宗報六九〉
3・2 中嶌観琇知恩寺六六世)入寂。世寿七五歳〈宗報六八、浄土教報一五三六〉
3・15 宗務所社会課、『寺院中心の社会事業』刊行〈同書、宗報六九〉
3・31 各宗連合大学設立費本宗負担額支出方法、宗定浄土法要集発行頒布規程など告示〈宗報六八〉
4・15 開宗七五〇年記念として、島田良彦編『浄土宗大観』刊行〈同書〉
4・30 宗規法服条例一部更正。一級服及び三級服准許令等を発布〈宗報六九〉
4  渡辺海旭増上寺教監となり日曜講演を始める〈壺月全集(下)略年譜〉
5・14 宮沢説音知恩寺法主に当選。七月五日晋山式挙行〈宗報七一・七二、浄土教報一五四一〉
6・26 道重信教増上寺法主に当選。七月八日晋山式挙行〈宗報七一・七二、浄土教報一五四五〉
6・30 宗規伝法条例更正。また布教規則を更正。新たに社会事業規則一六条を制定発布〈宗報七一〉
8・20 檀信徒会規程五箇条を定め告示〈宗報七三〉
9・1 関東地方、大震火災。寺院被害甚大。東京本宗寺院全焼一七七箇寺〈官報、宗報七四・七五、浄土教報一五五一〉
9・7 宗務所、大震火災につき臨時救護部規程を発布。ついで救護団の組織、布教団長に対する指示等を公布〈宗報七四、浄土教報一五五一〉
11・2 京都佛教専門学校新校舎落成式挙行〈宗報七八〉
11・15 関東大震災被害寺院復興機関として、宗勢復興会を設置。ついで委員評議員等を任命〈宗報七五、浄土教報一五五四〉
12 宗務所、罹災寺院課金を三箇年間免除〈浄土教報一五五四〉
12 河口慧海、所蔵の西蔵一切蔵経を宗教大学図書館に依托〈浄土教報一五五五〉
4  親鸞七〇〇年忌法要
9  関東大震災発生
1924 大正13 甲子 3・11 知恩院において開宗七五〇年記念大法会開白。一七日結願〈宗報七九、浄土教報一五六三〉
3・31 執綱竹石耕善、満期辞任。四月一日、大谷愍成執綱に任命〈宗報八〇〉
4・7 宗務所編纂『宗定浄土宗法要集』(折本上下二巻)刊行〈同書、宗報八五〉
4・15 増上寺において開宗七五〇年記念大法会厳修。一八日知恩寺金戒光明寺記念御忌会。一九日清浄華院記念御忌会浄土教報一五六四・一五六七〉
5・22 獅子谷仏定清浄華院七〇世)入寂。世寿八七歳〈宗報八一号外附録、浄土教報一五七一〉
7・23 大野法音清浄華院法主に当選。九月一五日晋山〈宗報八三、浄土教報一五八四〉
7・25 宗会議員選挙規則を更正。議員数四七人を四八人とする〈宗報八三〉
9・1 増上寺以下各寺院、震災没死者一周忌法会修行浄土教報一五八四〉
9・5 増上寺法主道重信教管長候補に当選〈宗報八五、浄土教報一五八四〉
9・10 知恩院、『結縁五重伝書』を刊行〈同書〉
9・15 浄土宗法式会、千葉満定堀井慶雅・津田徳成編『礼讃声明音譜』を刊行〈同書〉
9・16 宗会議員初の総選挙を発令。一一月七日開票〈宗報八五・八七、浄土教報一五八六〉
11・7 宗務所、東京市芝公園地の仮建物竣工。翌八日移転〈宗報八七、浄土教報一五九四〉
4  大正新脩大蔵経刊行
5  立正大学設立認可
1925 大正14 乙丑 2・13 京都光照院、同三時知恩寺、同得浄明院、長野大本願など特別寺院に指定〈宗報九〇〉
6  東京深川労働共済会新館設立〈浄土教報一六二一〉
9・5 知恩院布教講習所開講〈浄土教報一六三一〉
11・18 大鹿愍成金戒光明寺六二世)入寂。世寿六九歳〈宗報九九、浄土教報一六四〇〉
4  治安維持法公布
5  普通選挙法公布
5  北但馬地震発生
1926 昭和元 丙寅 1・6 大正大学設立により新たに教育条例を制定〈宗報一〇一〉
1・18 郁芳随円金戒光明寺法主に当選。二月六日叙任式〈宗報一〇二、浄土教報一六四七〉
1  大正大学新校舎起工開始〈浄土教報一六五八〉
1  椎尾弁匡著『共生講壇』刊行〈同書〉
3・25 名古屋建中寺檀林に、大阪和光寺特別寺院に指定。東京本誓寺檀林辞退を承認〈宗報一〇三〉
3  京都平安養育院新館落成〈知恩院記録〉
4・5 大正大学、大学令によって昇格認可を受ける。学長に沢柳政太郎、理事長に大谷愍成就任〈文部省告示、宗報一〇四、浄土教報一六五七・一六五八〉
4・25 社会事業指導員規程一〇箇条、臨時宗勢調査課規程一一箇条、宗課金免除規則更正発布〈宗報一〇四〉
5・27 東京芝、明照会館落成式挙行。六月一日移転〈宗報一〇六、浄土教報一六六五〉
5・28 宗務所社会部、『浄土宗社会事業要覧』刊行〈同書〉
6・25 大正大学設立により伝法条例を更正。学階授与規程を発布。その他、住職任免規則・僧籍規則など更正〈宗報一〇六〉
6・25 宗務所、仏教教育財団理事会規約・大正大学評議員会規程・大正大学教授会及教員会規定を報告〈宗報一〇六、浄土教報一六五八・一六六七〉
7・25 渡辺海旭を中心に『教学週報』を創刊〈教学週報一〉
7  東京浄保会成立〈浄土教報一六七〇〉
9・9 大正大学専門部設立認可〈浄土教報一六七八、教学週報九〉
10・1 執綱大谷愍成辞任、渡辺海旭就任〈宗報一一○〉
11・6 大正大学創立記念祝賀会挙行〈宗報一一一〉
12・25 『雲介子関通全集』(全五巻)刊行開始。第一巻刊行(昭和一二年四月五日刊行完了)〈同書〉
4  駒沢大学・高野山大学認可
6  宗教法案反対運動始まる
1927 昭和2 丁卯 1・25 大正天皇一宗追悼会、増上寺大殿において厳修。二月一〇日、知恩院において同法会厳修〈浄土教報一六九八、教学週報二六〉
1・27 土川善澂勧学知恩院において大五重講義開白。二月五日終了〈知恩院記録、浄土教報一六九九〉
3・30 知恩院所蔵「大唐三蔵玄奘法師表啓」『法然上人絵』、国宝に指定〈浄土教報一七〇六、華頂聚宝〉
4・1 善導大師遠忌報恩法要規程、寺族規程更正、宗史資料編纂方法など発布〈宗報一一六〉
4・10 福岡善導寺釈迦堂落成式挙行。一二日結願浄土教報一七〇八〉
4・25 浄土宗青年連盟、発会式を増上寺において挙行〈浄土教報一七〇九、教学週報三八〉
6・5 矢吹慶輝著『三階教之研究』刊行〈同書〉
6・14 大正大学浄土学会発会式を挙行〈浄土教報一七一七〉
11・1 樺太開教区教務所、『樺太仏教』を創刊〈教学週報六四〉
3  北丹後地方強震
4  京都粟生西山高等女学校設立
1928 昭和3 戊辰 1・29 朝鮮平壌華頂寺焼失〈教学週報七六〉
2・20 椎尾弁匡、衆議院議員に当選〈教学週報七七〉
2・22 東京青山善光寺特別寺院に指定〈宗報一二六〉
3・8 宮沢説音知恩寺六七世)入寂。世寿六八歳〈宗報一二七、教学週報七九〉
3・8 大門了康(鎌倉光明寺貫主)入寂。世寿七八歳〈同寺記、宗報一三九〉
5・8 土川善澂知恩寺法主に当選〈宗報一二九〉
6・14 伝通院開山堂上棟式挙行〈教学週報九四〉
6・28 伝法条例更正し、伝宗伝戒の期日を毎年春秋二期と定め、春期は教師検定証を有するものに限る〈宗報一三〇〉
7・11 大谷愍成(前執綱)入寂。世寿五八歳〈教学週報九五〉
8・25 椎尾弁匡中心の共生会共生運動の宣言書を発表〈共生読本〉
是年 浄土宗典刊行会、『浄土宗全書』二〇巻に解題・索引・梵文三部経を付して、全二三巻の再刊計画を発表〈同書、宗報一三四〉
1929 昭和4 己巳 3・15 宗務所、『浄土宗開教要覧』を刊行〈同書〉
5・31 石井教道著『浄土の教義と其教団』刊行〈同書〉
9・25 椎尾弁匡著『共生の基調』刊行〈同書〉
11・16 小石川伝通院内伝通会館竣工落成式を挙行〈浄土教報一八三一、教学週報一五六〉
1  文部省、宗教団体法案全文を発表
3  国宝保存法公布
9  文部省、国民精神作興のため、全国教化団体総動員を行う
1930 昭和5 庚午 1・4 宗務所、昭和五年度春期伝宗伝戒前行並びに別道場として金戒光明寺増上寺を指定〈宗報一四九〉
1・5 浄土教報社、三井晶史編『浄土宗布教全書』(全二四巻)刊行開始。第一巻刊行(昭和六年一二月二六日刊行完了)〈同書〉
2・10 荻原雲来、『大蔵経南条目録補正索引』を完成〈同書〉
2・10 浄土宗典刊行会、『新修浄土宗聖典』を刊行〈同書、教学週報一七〇〉
3・3 土川善澂知恩寺六八世)入寂。世寿六七歳〈宗報一五一、教学週報一六七〉
3・10 知恩院高祖善導大師一二五〇年大遠忌法要開白。一七日結願教学週報一六七・一六八、知恩院記録〉
4・10 善導寺高祖善導大師一二五〇年遠忌厳修。一四日結願教学週報一七〇〉
4・13 増上寺高祖善導大師一二五〇年遠忌法会開白。一五日結願。この月、全教区寺院にて同法会厳修〈教学週報一七〇・一七一〉
4・17 金戒光明寺高祖善導大師一二五〇年遠忌厳修。一九日結願教学週報一七〇〉
4・18 清浄華院高祖善導大師一二五〇年遠忌厳修。二〇日結願教学週報一七〇〉
4・20 望月信亨著『浄士教の起源及発達』刊行〈同書、教学週報一七五〉
4・23 知恩院納骨堂落成法要厳修〈教学週報一七二〉
5・9 鎌倉光明寺高祖遠忌記念五重相伝会開催。一四日終了。一四日午後、高祖遠忌法要を厳修〈教学週報一七〇〉
5・28 知恩寺住職、一宗公選の結果桑門秀我当選。ただし辞退〈宗報一五四・一五五〉
6・1 岩崎敲玄著『浄土教史』刊行〈同書〉
6・15 土川勧学宗学興隆会林彦明編『昭和新訂末代念仏授手印』を刊行〈同書〉
6・20 藤堂祐範著『浄土教版の研究』刊行〈同書〉
6・25 角田俊徹編『四休菴貞極全集』(全三巻)刊行開始。上巻刊行(昭和七年一二月三〇日刊行完了)〈同書〉
9・3 林彦明知恩寺住職に当選。一〇月一八日晋山式挙行〈宗報一五七、教学週報一九〇〉
是年 教学週報社、岩野真雄撰『浄土宗寺院名鑑』刊行〈同書、教学週報一六七〉
3  内村鑑三没
3  谷口雅春「生長の家」を開教
1931 昭和6 辛未 1・24 台徳院殿(徳川秀忠)三〇〇年遠忌法会知恩院増上寺にて厳修〈宗報一六二、教学週報二〇七〉
2・15 宗務所社会課、『浄土宗社会事業要覧』を刊行〈同書、宗報一六三〉
3・3 浄土宗清和会、明照会館において創立総会を挙行〈教学週報二一〇・二一一〉
3・15 宗祖降誕八〇〇年記念伝道開始式、京都華頂会館にて挙行〈教学週報二一一〉
3・15 教学週報社、『浄土宗年鑑』を刊行〈同書〉
5・5 千葉満定中野隆元平松大真著『浄土宗教学大系』(全一六巻)刊行開始。第二巻刊行(昭和九年五月一〇日刊行完了)〈同書〉
5・15 檀王法林寺開山了恵道光六〇〇年遠忌法要を厳修〈教学週報二二一〉
5・25 寺院等級審査規則を更正〈宗報一六五〉
6・15 中里介山著『法然』刊行〈同書〉
12・7 大野法音清浄華院七一世)入寂。世寿七二歳〈宗報一七二、教学週報二四二〉
12・7 寺院等級審査会開会。一一日終了〈教学週報二四二〉
12・15 荻原雲来著『梵・蔵・和・英合璧浄土三部経』刊行〈同書〉
12・25 宗務所、寺院等級審査会で決定した寺格等級に対する再審査請求の件を通牒〈宗報一七二〉
9  満州事変起こる
1932 昭和7 壬申 2・16 岩井智海、一宗公選の結果清浄華院法主に当選。三月二九日晋山式〈宗報一七四、教学週報二四九・二五四〉
2・27 管長山下現有、満洲事変に善処すべきよう訓示発布〈宗報一七四〉
4・5 知恩院にて宗祖降誕八〇〇年記念慶讃法会開白、一〇日結願〈宗報一七六、教学週報二五四・二五五〉
4  増上寺知恩寺金戒光明寺清浄華院・岡山県久米郡誕生寺はじめ、各教区寺院宗祖降誕八〇〇年慶讃法要・記念事業を行う〈教学週報二五四〉
6・23 伝法条例、管長候補選挙規則、大本山住職選挙規則、宗会議員選挙規則、徒弟教養奨励法中などを更正〈宗報一七八〉
7・2 ハワイ開教院落成式挙行〈教学週報二七二〉
9・15 管長山下現有、満洲国承認を祝電〈宗報一八一、教学週報二七四〉
10・1 野上運外執綱に就任し任命式を挙行〈宗報号外(一〇月七日発行)、教学週報二七四〉
12 授手印製作遺跡保存会、浄土二祖聖光弁阿大紹正宗国師授手印述作遺跡旧往生院趾復興を計画。この月、一三層三宝塔竣工〈浄土教報一九七九〉
是年 『浄土宗勤行法』一巻刊行〈同書〉
是年 『浄土法式要集』一巻刊行〈同書〉
1  上海事変起こる
3  満洲国政府、建国宣言を発表
5  五・一五事件起こる
1933 昭和8 癸酉 1・26 渡辺海旭(前執綱)入寂。世寿六二歳〈宗報一八六、浄土教報一九七五、教学週報二八五、壺月全集(下)略年譜〉
4・26 京都宗学院校舎落成慶讃式挙行〈宗報一八九、浄土教報一九八五〉
5・1 渡辺海旭遺稿文集『壺月全集』上巻刊行(下巻は同年一二月二三日刊行)〈同書〉
5・20 宗務所、宗立東京布教講習所を小石川区久竪町移転を告示。六月五日開所式挙行〈宗報一八九・一九〇〉
5・30 京都明照仏教学研究会設立〈浄土教報一九九二〉
5・31 布教規則更正発布。布教委員会、布教指導員のほかに教勢観察員を置く〈宗報一八九〉
6・11 宗祖二十五霊場改訂委員会、二十五霊場を決定〈浄土教報一九九三〉
6・29 開教区制度を更正し、開教員の外に総監を置き、台湾、朝鮮、樺太、ハワイの外に満洲国、中華民国開教区(浙江、江蘇、山東、河北)を設ける〈宗報一九〇〉
6・30 千葉満定中野隆元編『浄土宗法要儀式大観』刊行〈同書〉
10・20 中里介山著『法然行伝』刊行〈同書〉
11・13 京都佛教専門学校、上京区鷹野北町に改築成り移転〈宗報一九五〉
3  国際連盟脱退
11 『仏書解説大辞典』刊行開始
1934 昭和9 甲戌 1・27 京都佛教専門学校校舎移転増築落成式挙行〈宗報一九八〉
1・29 道重信教増上寺七八世)入寂。三一日密葬、二月一七日表葬〈宗報一九八〉
2・15 宗務所社会課、『浄土宗寺院経済調査報告概要』刊行〈同書、宗報一九八〉
3・22 岩井智海増上寺後董法主に当選。四月一一日晋山式〈宗報一九九、浄土教報二〇三〇・二〇三三〉
4・11 山下現有浄土宗管長知恩院七九世)入寂。世寿一〇三歳。一二日、執綱野上運外管長事務取扱就任〈宗報一九九号外、浄土教報二〇三三、教学週報三三八、中外日報〉
4・18 金戒光明寺焼亡。宗宝多く焼失〈宗報二〇〇附録、浄土教報二〇三四・二〇三五〉
5・5 加藤鏡心清浄華院後董に当選。七日承諾〈宗報二〇一、浄土教報二〇三六〉
6・8 知恩寺法主林彦明隠退〈宗報二〇二、浄土教報二〇四二〉
7・17 杉山大運、知恩寺後董に当選。二三日辞退〈宗報二〇三、浄土教報二〇四七・二〇四八〉
8・30 桑田寛随知恩寺後董に当選承諾〈宗報二〇五、浄土教報二〇五二〉
9・30 増上寺法主岩井智海管長候補に当選。一〇月二日管長に就任し、訓示を告示。一八日知恩院において晋山式挙行〈宗報二〇五号外、浄土教報二〇五七・二〇五九〉
10・1 宗務所社会課、『浄土宗社会事業年報』第一輯刊行〈同書〉
11・3 大島徹水増上寺後董法主に当選。増上寺門末有志、増上寺当局の不信任を決議。一二月一五日晋山式挙行〈宗報二〇七・二〇九、浄土教報二〇六一〉
12・18 金戒光明寺法主郁芳随円管長候補に当選〈宗報二〇九〉
9  室戸台風
1935 昭和10 乙亥 3・30 管長岩井智海大紹正宗国師源智上人各七〇〇回記主禅師七五〇回遠忌記念法要規程、金戒光明寺再建費三万円補助支出法を制定発布〈宗報二一一〉
4・11 全浄土宗青年会連盟結成式、京都華頂会館にて挙行〈宗報二一二〉
4・12 法然上人鑽仰会結成〈宗報二一二〉
4・16 知恩院、華頂保育園を設置し開園式を挙行〈浄土宗近代百年史年表〉
4・20 浄土宗児童教化員養成所、東京明照会館に開所。五月二九日修了〈宗報二一四、浄土教報二〇八四〉
4・23 金戒光明寺一期工事起工式並びに地鎮祭執行〈浄土教報二〇八四、教学週報三七八、仏教年鑑〉
5・8 忍澂上人二五〇年遠忌、京都鹿谷法然院にて執行。一〇日結願浄土教報二〇八四、仏教年鑑〉
5・30 管長岩井智海伝法条令を更正し加行の日数三週間を四週間とする。また教区制度を更正し布教管区制度を設け一管区に布教管督を置きその刷新を図る〈宗報二一三〉
9・1 関東大震災一三回忌法会増上寺その他一般寺院にて厳修〈宗報等〉
9・28 東京宗学院落成式挙行〈宗報二一八〉
10・10 野上運外執綱に就任〈宗報二一八〉
10・12 知恩院立華頂幼稚園、開園式を挙行〈宗報二一八・二二一〉
11・29 寺院等級審査会が開かれ一二月一日終了。二四日寺格等級を決定告示〈宗報二二〇及同附録〉
1936 昭和11 丙子 1・10 佐藤春夫著『掬水譚 法然上人別伝』刊行〈同書〉
3・27 山口察常、文学博士の学位を受ける〈官報、宗報二二四〉
4・20 『浄土宗全書』全二三巻の再刊完了〈同書〉
4・25 恵谷隆戒著『概説浄土宗史』刊行〈同書〉
7・16 知恩寺方丈再建落慶式挙行〈中外日報、教学新聞〉
8・28 浄土宗青年会連盟規程施行細則発布。全教区寺院会所は青年会を組織し、新興青年浄土宗建設を期侍〈宗報二二八〉
10 大正大学佛教専門学校交換教授制実施。大正大岩崎敲玄佛教専門学校に、佛教専門学校前田聴瑞を大正大に送る〈宗報二三二〉
11・5 京都華頂高等女学校二五周年ならびに校舎改築落成式を挙行〈宗報二三一〉
11・5 望月信亨編『仏教大辞典』全六巻・附録一巻(『索引』)刊行完了〈同書〉
11・9 京都東山中学校七〇周年記念式挙行〈宗報二三一〉
2  二・二六事件起こる
3  内務省大本教に解散命令
7  日華事変起こる
11 日独防共協定調印
1937 昭和12 丁丑 1・1 宗規伝法条令更正し、前行別行各二週間とし、加行者は一九歳以上の有資格者とする〈宗報二三三〉
3・6 三上人遠忌法要知恩院にて開白。一二日結願〈宗報二三五〉
3・6 薮内彦瑞編『知恩院史』刊行〈同書〉
3・7 浄土宗保育連盟結成〈浄土教報二一七八〉
3・28 本宗関係出身代議士によって浄光会設立〈宗報二三七〉
5・18 宗制発布満五〇年記念式、宗務所にて挙行〈宗報二三七〉
7・26 笹本戒浄入寂。世寿六二歳〈宗報二四〇〉
8・15 天津日界伏見街に仮開教所を設置〈宗報二四〇〉
9・15 臨時事変部規定を発布〈宗報二四一〉
9・15 精神報国時局特別伝道規定を発布〈宗報二四一〉
9  北京に教会所を開設(のちの知恩院北京別院)〈浄土宗海外開教のあゆみ〉
11・1 鎌倉光明寺貫主窪川旭丈退職。一二月一二日宮下舜達、公選により鎌倉光明寺貫主に当選〈宗報二四三・二四四〉
11・25 東京芝中学校校舎増築落成式挙行〈宗報二四四〉
12・13 岩井智海管長退任。郁芳随円管長に就任。翌年一月二五日入山式挙行〈宗報二四四・二四五・二四六〉
12・20 荻原雲来入寂。世寿六九歳〈宗報二四五〉
5  文部省、『国体の本義』発布
7  盧溝橋事件勃発、日中戦争開始
7  文部大臣、宗教教化団体代表者に挙国一致運動を要望
1938 昭和13 戊寅 1・17 望月信亨金戒光明寺住職に当選。四月一〇日晋山式を挙行。ついで大殿起工式挙行〈宗報二四六・二四八〉
2・19 知恩寺法主桑田寛随管長候補に当選。二一日知恩院に叙任式挙行〈宗報二四七〉
3・25 筑後善導寺にて第二祖大紹正宗国師第七〇〇年遠忌法要開白。三一日結願〈宗報二四六・二四七〉
3・25 宗務所は、良忠上人六五〇年遠忌を昭和一六年一〇月まで延期と決定〈浄土教報二二二八〉
3・30 林彦明校訂『昭和新訂三巻七書附解説』刊行〈同書〉
3  中国大同に知恩院大同別院を開設〈浄土宗海外開教のあゆみ〉
5・25 宗規伝法条令を更正し、「璽書」を「付法」、「允可」を「許可」と改める〈宗報二四九〉
7・5 浄土宗法式協会講座係、『浄土宗法式撮要』を刊行〈同書〉
9・1 堀井慶雅、『法式教案』を著す〈同書〉
10・1 里見達雄執綱に就任。各部長を決定〈宗報二五四〉
3  庭野日敬等立正交成会を開教
9  皇道仏教行道会結成
1939 昭和14 己卯 2・27 土佐光起筆「法然上人絵伝」四幅発見〈浄土宗近代百年史年表〉
3・6 桑門秀我(元執綱)入寂。世寿八一歳〈宗報二五九〉
3・15 林彦明校訂『昭和新訂授菩薩戒儀』刊行〈同書〉
3・22 今岡達音入寂。世寿六七歳〈宗報二六〇〉
4・25 教令講習会規程を更正し、教学(高等、普通)・教化の二種とし、教学高等教化講習会は宗務所、普通講習会教務所の主催とする〈宗報二六〇〉
5・20 桑田寛随知恩寺七〇世)入寂。世寿七三歳〈宗報二六一・二六二〉
6・10 矢吹慶輝大正大学学部長)入寂。世寿六一歳〈宗報二六二・二六三、隈渓叢書第一巻思想と生活所収略年譜〉
6・27 小野玄妙(大蔵出版会社社長)入寂。世寿五一歳〈宗報二六四、中外日報、教学新聞〉
7・15 酉谷寺、藤井赫然著『宣疏表白祝文弔辞引導諷誦序賛記銘 文類大全』を刊行〈同書〉
7・28 神居琳応知恩寺後董当選。九月一七日晋山式挙行〈宗報二六四〉
9・6 金戒光明寺法主望月信亨管長候補に当選。一七日知恩院にて叙任式挙行〈宗報二六五〉
9・25 宗務所社会課、『浄土宗社会事業一覧』を刊行〈同書〉
12・25 宗務所、江藤澂英編『浄土宗法要集』刊行頒布〈同書、宗報二六八〉
4  宗教団体公布
5  ノモンハン事件勃発
9  ドイツ軍がポーランド侵攻、第二次大戦始まる
1940 昭和15 庚辰 1・15 静岡市大火、宝台院本堂国宝建造物)華陽院西福寺、新光明寺等焼く〈浄土教報二三〇八、中外日報、教学新聞〉
5・5 紀元二六〇〇年祝聖一宗大法要知恩院鎮西・西山両派合同により厳修〈宗報二七三〉
5・15 増上寺において酉誉上人五〇〇回忌記念大五重相伝開白伝灯師勧誡師には、管長郁芳随円大島徹水林彦明大僧正等〈宗報二七三〉
6・24 宮下舜達(鎌倉光明寺一〇五世)入寂。世寿九四歳〈宗報二七五〉
7・25 安養院千葉満定入寂〈宗報二七六〉
9・5 鎌倉長谷寺竹石耕善、鎌倉光明寺住職に当選。一〇月一二日、晋山式挙行〈宗報二七七、浄土教報二三四二、教学週報六二二〉
10・15 望月信亨著『浄土教概論』刊行〈同書〉
10・27 『浄土教報』『教学週報』を解消し、『浄土週報』発刊決定〈浄土教報二三四三、教学週報六二二〉
10 宗会、宗教団体法施行に伴う新「浄土宗宗制」を可決〈浄土教報二三四二〉
11・23 『浄土週報』改新号発刊〈浄土週報二三四四〉
4  宗教団体法施
9  日独伊三国同盟成立
1941 昭和16 辛巳 3・6 西山三派合同を決議。宗名を「浄土宗西山派」と称し宗務所を京都に設置〈中外日報〉
3・20 藤本了泰編『浄土宗大年表』刊行〈同書〉
3・28 新「浄土宗宗制」、文部省の認可を得て発布。四月一日施行〈宗報二八四〉
4・16 浄土教校、東京(明照会館)・名古屋(建中寺内)・京都(浩徳院内)・大阪(上宮中学校内)・九州(善導寺内)に設立〈中外日報〉
4  京都山崎大念寺本尊阿弥陀如来像の胎内から浄土三部経法華経梵網経・玄義分等六部七巻、受戒交名の断片、西山派祖証空の筆跡等を発見〈中外日報〉
5・13 時宗八〇箇寺(本山蓮華寺)、浄土宗に転宗〈中外日報〉
6・3 清和会を解消し、浄土宗報国会を組織。発会式を明照会館にて挙行〈宗報二八六、中外日報〉
6・10 金戒光明寺において本山協議会を開催。各本山共通寺法を作成〈中外日報〉
7・15 豊原開教院において樺太開教区開教三〇周年記念式を挙行〈宗報二八八〉
7・18 新宗制発布に伴い、寺院規則を発表〈宗報二八八〉
10・2 加藤鏡心清浄華院三世)入寂。世寿七五歳〈浄土週報二三八一〉
10・4 知恩院において浄土宗報国伝道開始式を挙行。これより一一月二〇日まで浄土宗教区、全国四〇〇箇所において報国伝道を実施〈浄土週報二三八一~二三八八、中外日報〉
12・8 知恩寺において戦勝祈願会を挙行〈宗報二九三〉
12・15 知恩院において宣戦の大詔奉答必勝祈願大会を挙行。同日増上寺においても戦勝祈願会を挙行〈宗報二九三〉
12・23 平壌府華頂寺で華頂報国念仏会の発会式を挙行〈宗報二九三〉
12・23 一一月一日発布の時局対処臨時事務局、「浄土宗戦時事務局」と改称〈宗報二九三〉
3  仏教連合会を改組、「大日本仏教会」新発足
4  日ソ中立条約調印
12 太平洋戦争始まる
12 日独伊三国協定調印
12 宗教団体戦時中央連絡委員会設置
12 大東亜戦争完遂翼賛宗教大会
1942 昭和17 壬午 1・1 増上寺聰和殿完成〈浄土宗近代百年史年表〉
1・8 知恩院大殿において大詔奉戴必勝祈願会執行〈中外日報〉
1・30 鎌倉光明寺で神奈川教区合同主催の戦勝祈願及戦歿者英霊追悼会を挙行〈宗報二九四〉
3  仏教文化研究所望月信亨所長)を金戒光明寺内に設立〈宗報二九六、中外日報〉
4・5 清浄華院法主六花真哉晋山式挙行〈宗報二九六、中外日報〉
4・11 大東亜宗教事情調査室開設。伝通会館においてその結成式を挙行〈宗報二九六、中外日報〉
5・24 前管長岩井智海知恩院八〇世)入寂。世寿八〇歳〈宗報二九八、中外日報〉
6・6 時宗大本山番場蓮華寺、中本山天童仏向寺一向派五七箇寺が浄土宗に復帰。翌七日、蓮華寺において派祖俊聖六五〇回忌ならびに浄土宗復帰の奉告法要を厳修〈宗報二九八、中外日報〉
7・10 望月信亨著『支那浄土教理史』刊行〈同書〉
8・3 知恩院梵鐘献納、惜別鐘供養厳修〈宗報三〇一〉
9・20 吉水会献納金により製造された九七式戦闘機「吉水号」の命名式を挙行〈宗報三〇二〉
9  知恩院、満蒙ラマ対策として満州国奉天市宇治町に満蒙会館を設置。現地訓練開始〈宗報三〇一〉
10・7 知恩院において曇鸞大師一四〇〇年御遠忌法要を厳修〈宗報三〇三〉
11 佛教専門学校三〇周年記念式典挙行。『佛教専門学校三十年史』刊行〈佛教大学史〉
※  宗教団体法により、教派神道一三派、仏教二八派、キリスト教教団に統合
1943 昭和18</