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法隆寺

提供: 新纂浄土宗大辞典

ほうりゅうじ/法隆寺

奈良県生駒いこま斑鳩いかるが町。別名斑鳩寺いかるがでら・法隆学問寺。聖徳宗。七世紀前半の創建。聖徳太子(五七四—六二二)建立と伝え、聖徳太子信仰の中心地となる。伽藍は西院と東院とからなるが、うち西院伽藍は現存最古の木造建築群である。かつて、西院伽藍を推古朝創建当初のものとする説と、天智九年(六七〇)法隆寺焼亡後の再建とする説との間で論争が起こったが(法隆寺再建非再建論争)、昭和一四年(一九三九)に実施された若草伽藍発掘調査により再建説が有力となった。一方、八角堂の夢殿ゆめどのを中心とする東院は、天平一一年(七三九)、当時僧綱にて律師の任にあった行信が聖徳太子を偲んで斑鳩宮跡に建立したものである。明治一一年(一八七八)、三百余点の寺宝を皇室に献上したが(法隆寺献納宝物)、それらは現在、東京国立博物館法隆寺宝物館に所蔵されている。もと法相宗寺院であったが、昭和二五年(一九五〇)に聖徳太子宗祖とする聖徳宗総本山として独立した。建物は平成五年(一九九三)、法起寺と共に「法隆寺地域の仏教建造物」として日本初のユネスコ世界文化遺産に登録された。


【参照項目】➡太子信仰


【執筆者:冨樫進】