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玄中寺

提供: 新纂浄土宗大辞典

げんちゅうじ/玄中寺

中国山西省交城県西北一〇キロの石壁山にある。大龍山石壁永寧禅寺ともいう。曇鸞道綽善導浄土教三師ゆかりの寺。玄中寺に現存する唐の長慶三年(八二三)建立の石碑「特賜寺荘山林地土四至記」によると、北魏・延興二年(四七二)、曇鸞の創建という。それは『続高僧伝曇鸞伝による曇鸞の生誕の四年前となり、この刻文には疑問があるが、唐代にはすでに玄中寺は北魏時代に曇鸞が創建したとされた。曇鸞創建には問題があるが、曇鸞は晩年ここに居住して浄土教を説いた。隋から唐代初期に道綽が、唐代初期には善導がこの寺で浄土念仏鼓吹こすいした。寺内に現存する「石壁寺鉄弥勒像頌碑」に、唐の太宗が玄中寺を訪問し道綽供養した記録がある。善導滅後には玄中寺戒壇が造られ天下の三戒壇の一つとなり、この地方の中心的な律寺となった。宋代には火災にあい堂宇や戒壇、碑石類も焼失したが再興され繁栄した。元代に律寺を改めて禅寺とし「永寧禅院」の勅額を賜り、以来明清代を通じて禅寺として盛況であった。しかし大正九年(一九二〇)、常盤大定と関野貞がここを調査したときは、本堂は焼失し寺内は荒廃していたという。今は「玄中寺」の寺号が復活し、諸殿は再興され寺域は整備されている。


【参考】『中国文化史蹟』八・解説下(法蔵館、一九七六)、道端良秀『中国の浄土教と玄中寺』(永田文昌堂、一九五〇)、宋沙蔭著/滋野井恬・桂華淳訳『浄土古刹玄中寺』(東本願寺出版部、一九九〇)


【執筆者:佐藤成順】