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日曜学校

提供: 新纂浄土宗大辞典

にちようがっこう/日曜学校

宗教教団による児童教化事業の一つ。日曜日に寺院や教会などの宗教施設に子どもや信者らを集め、主に教典の解説やレクリエーションなどを行う。一七世紀後半から英米の教会を中心に日曜学校が開かれ、日本においては、元治元年(一八六四)に横浜外国人居留地において初めての「第一日曜学校」が開かれたことが記録されている。明治期になりキリスト教布教が解禁されてからは、各地に教会が作られると同時に聖書講読のための日曜学校・安息日学校が設置された。キリスト教界の影響を受け、仏教界でも明治五年(一八七二)児童念仏講、同一〇年少年講、同一八年少年教会など先駆的な動きがみられた。日曜学校が顕著になってくるのは明治末期から昭和前期である。大正四年(一九一五)に浄土真宗本願寺派は全国に日曜学校の設置を命じるなど、積極的に日曜学校の制度を整備した。浄土宗においては明治三〇年代から「少年会」「子ども会」「日曜教園」など様々な名称を用いて始められた。大正八年(一九一九)に「少年会日曜学校組織奨励規程」が出されて日曜学校の組織化がすすめられ、同一二年には開宗七五〇年の記念事業として教材の作製が行われた。この年、浄土宗では一六七の日曜学校が報告されている。授業内容について、大正期は浄土宗色が薄いものであったが、昭和前期には「法然さまをまん中に子どもの国を作り出せ」の標語を提示するなど浄土宗色を強めていった。戦後になると規模は縮小するが、吉水会や大阪一心寺などの活動がみられる。


【参考】斎藤昭俊『仏教教育入門』(国書刊行会、一九八〇)、永井隆正「浄土宗の日曜学校—明治・大正期の動向を中心として—」(『仏教社会事業研究所年報』三、一九八六)、同「浄土宗の日曜学校—昭和前期の動向を中心として—」(『仏教文化研究』三八、一九九三)、NCC教育部歴史編纂委員会編『教会教育の歩み』(教文館、二〇〇七)


【参照項目】➡児童教化


【執筆者:齋藤知明】