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當麻寺

提供: 新纂浄土宗大辞典

たいまでら/當麻寺

奈良県葛󠄂城市當麻。二上山禅林寺。奈良盆地西南隅、二上山東麓にあり、用明天皇第三皇子で聖徳太子の弟の麻呂子王によって推古天皇二〇年(六一二)、河内国の二上山西麓に開創されたものを白鳳二年(六七四)に當麻の役小角えんのおづぬの宅跡に移し現在にいたる古刹で、はじめ万法蔵院または禅林寺と称し、三論宗だった。現在は浄土宗真言宗とで護持している。伽藍配置は南から東西両塔・金堂講堂となっているが、東の仁王門から入り、金堂講堂の間を通って当麻曼陀羅を安置する曼陀羅堂を本堂と見立て参拝する。曼陀羅堂は桁行七間、梁間六間、単層四柱寄棟本瓦葺で、当麻曼陀羅を安置する厨子(国宝)は天平時代の作、須弥壇(国宝)は源頼朝の遺願によって藤原頼経が造営したもの。基壇には螺鈿らでんをはめ「奉具磨了寛元元年云々」の銘がある。建築様式からいえば鎌倉時代の特徴を持っているが、内陣や上層部には前代の機構が残り、阿弥陀信仰の興隆とともに増築拡大していった歴史をうかがうことができる。本尊当麻曼陀羅(国宝)は天平の昔、藤原豊成の娘中将姫ちゅうじょうひめにより蓮の糸で織り上げられたという伝説をもつ。曼陀羅堂・東塔・西塔は奈良時代の建築で国宝、金堂講堂は治承の乱のとき平重衡によって破壊されたため鎌倉時代に再建、現在国重要文化財。弥勒仏坐像(国宝)や四天王立像(国重要文化財)など指定文化財を多数蔵している。中将姫命日に一山を挙げて勤修される聖衆来迎練供養会式しょうじゅらいこうねりくようえしきは、源信比叡山で行った迎講むかえこうを寛弘二年(一〇〇五)、生誕の地である當麻において勤めたことに始まり、多くの参拝者で賑わう。


【参照項目】➡当麻曼陀羅二上山練供養迎講当麻曼陀羅縁起中将姫


【執筆者:川中光教】