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四天王

提供: 新纂浄土宗大辞典

してんのう/四天王

須弥山しゅみせんの中腹に住している四天の主のこと。Ⓢcatur-mahārājakāyika。四王、四天大王、護世四天王ともいう。インドの神話時代からの方位の守護神であり、ヒンドゥー教仏教に引き継がれた。仏教においては帝釈天の家臣であり、仏法を守護する護法神。東方の持国天じこくてん(提頭頼吒Ⓢdhṛtarāṣṭra)、南方の増長天ぞうじょうてん(毘楼勒叉Ⓢvirūḍhaka)、西方広目天こうもくてん(毘楼博叉Ⓢvirūpākṣa)、北方の多聞天たもんてん(毘沙門Ⓢvaiśravaṇa)をいう。『大方等大集経』五二(正蔵一三・三四六下~七上)において四天王は、釈尊閻浮提えんぶだいを守護するように命じられており、また『大樹緊那羅王所問経』四には、「爾の時、四天大王、仏に白して言く、世尊よ、我等四王は、是れ仏声聞をば、当に堅く守護すべし。是の経法に於いて、久しく住するを得せしむ」(正蔵一五・三八八中)とあり、釈尊はこの部分では四天王に対して、経法の守護を命じている。諸経典の記述は、四天王全体のものだけでなく、多聞天の音写である毘沙門天が単独で述べられている部分も多い。四天王に対する信仰は飛鳥時代からあり、『日本書紀』には聖徳太子物部もののべ守屋との戦いの際に、四天王祈願して勝利し、後に四天王寺を摂津せっつ国(大阪市天王寺区)に建立したことが記されている。平安中期までは四天王の形像が多く造立され、盛んに信仰されていた。像容は、経典等において厳密には規定されておらず、インドにおいては貴人の姿をしているが、日本においては忿怒ふんぬ相で甲冑かっちゅうをつけた武人の姿である。『一字仏頂輪王経』や現存している四天王像の作例によると、持国天増長天は剣やほこをもち、片手を腰に当てているものが多く、広目天は、左手に筆、右手に巻子かんすをもつ場合や、左手にほこ、右手に赤索せきさくをもつ場合などがある。多聞天は、左手に宝棒や矛を執る場合が多い。本堂内陣の東西南北の四方に四天王の像を祀ることがある。


【資料】『金光明最勝王経』六、『有部律破僧事』五


【参考】橋本凝胤「仏教教理上より見たる四天王の一考察」(『夢殿』一六「四天王の研究」故郷舎、一九三六)、築達栄八編『四天王』(「魅惑の仏像」六、毎日新聞社、一九八六)


【執筆者:薊法明】