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禅林寺

提供: 新纂浄土宗大辞典

ぜんりんじ/禅林寺

京都市左京区永観堂町。聖衆来迎無量寿院。通称永観堂。浄土宗西山禅林寺派総本山。斉衡元年(八五四)清和天皇の勅願によって空海弟子・真紹が創建、貞観五年(八六三)に禅林寺の号を賜る。以来、真言道場であったが、承暦年間(一〇七七—一〇八一)に三論宗永観が七世として入山し、念仏道場として栄えた。ここから永観堂の呼称が起こった。一二世紀後半には高倉天皇の勅により一二世静遍が入山。静遍法然帰依し、証空法興ほっこう次第するに及んで、西山西谷流の本寺として確立していった。応仁の乱で堂宇が焼失し、その後天正の頃からようやく再興。元和元年(一六一五)徳川家康より寺領の朱印を受け、西山流総本山の条目を受けた。明治九年(一八七六)浄土宗西山流を呼称し、大正八年(一九一九)浄土宗西山禅林寺派総本山となる。阿弥陀堂本尊阿弥陀如来像(みかえり弥陀)」(国重要文化財)は、永観感得の伝記とともにその奇瑞をとどめている。国宝「山越阿弥陀図」「金銅蓮華文磬」をはじめ数多くの重宝を蔵している。


【参照項目】➡浄土宗西山禅林寺派


【執筆者:伊藤正順】