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高倉天皇

提供: 新纂浄土宗大辞典

たかくらてんのう/高倉天皇

永暦二年(一一六一)九月三日—養和元年(一一八一)一月一四日。名は憲仁。後白河法皇の第七皇子。母は建春門院平滋子。乳母は五条中納言邦綱の子、邦子。仁安三年(一一六八)二月、後白河院政下に即位した。在位中は殊に後白河法皇と平清盛の対立の中にあって苦悩し、法然から度々授戒をされていた。安元元年(一一七五)には、法然から円頓戒を受けている。六波羅において二〇年の生涯を閉じ、洛東清閑寺に御陵がある。


【資料】『四十八巻伝』一〇(聖典六)、『十六門記』『古徳伝』二(共に法伝全)、『元亨釈書』五(仏全一〇一)、『本朝高僧伝』一三(仏全一〇二)


【執筆者:笠島崇信】