操作

法興

提供: 新纂浄土宗大辞典

ほっこう/法興

建仁二年(一二〇二)—文永八年(一二七一)五月二二日(『法水分流記』には「十二廿二往生七十一歳」とある)。あざな浄音。宰相中将雅清の子(刑部少輔通清の息子とも)、俗名は兵部大輔通継。西山派祖証空の従甥で、関東遊化にも同行した上足の弟子。後に仁和寺西谷の光明寺青蓮院西谷別所開山慈円門下の恵奨阿闍梨求仏房)に住し、その門流を西谷義という。未完の講録『観経疏愚要鈔』や『大経抄』(正元元年〔一二五九〕、未伝)、短編『四十八願大意』(康元二年〔一二五七〕、西尾市阿弥陀院所蔵)等を著した。門下に安房国朝阿あさくまの観智(行観の師)、西谷光明寺道戒、六角本願寺了音、粟生光明寺観性等がいる。


【資料】『蓮門宗派』、西全別四


【参考】稲田廣演「浄音上人の著述と西谷光明寺の周辺」(『西山学会年報』一四、二〇〇四)


【参照項目】➡西谷義


【執筆者:稲田廣演】