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西本願寺

提供: 新纂浄土宗大辞典

にしほんがんじ/西本願寺

京都市下京区堀川通花屋町下ル。浄土真宗本願寺派本山。正式名称は浄土真宗本願寺派本願寺親鸞の墓所から展開した寺院親鸞の娘、覚信尼の子である覚恵が大谷廟堂の留守職を譲られ、続いて長男覚如がその職を継承。覚如は廟堂を寺院化し寺号本願寺と称し、本願寺本山とする教団を成立させた。覚如の行動は東国門弟集団との確執も招くことになった。覚如の没後数代にわたって大きな発展はなかったが、八世宗主蓮如の登場により教団は急速に全国的な拡大を見せ、蓮如期の教団拡張の結果、後に一向一揆や石山合戦等の争乱にも深く関わるようになった。一〇世証如のときに山科から石山に寺基を移した。一一世顕如や息子の教如は織田信長と争い敗退。このような経過を経て、教団の社会的勢力を危惧した徳川家康の手により江戸初期に東・西本願寺に分離した。なお、現在の西本願寺の建物は世界文化遺産にも登録されている。


【参照項目】➡浄土真宗本願寺派東本願寺


【執筆者:浅井成海】