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大谷

提供: 新纂浄土宗大辞典

おおたに/大谷

現在の知恩院から円山公園一帯を指す古名。かつて法然が居住した地域で、吉水とともに浄土宗に縁故のある地。名前の由来について永和二年(一三七六)洛東大谷法楽寺佐阿勧進状によると、仁和三年(八八七)の洪水で大きな溝ができ大谷と称されたという(『門葉記』一三四)。『栄花物語』に「祇園の東、大谷と申て広き野侍り」とあり、ゆるやかな傾斜の野原であったと考えられる。吉水大谷の一部で時宗安養寺付近と考えられる。四国へ流され建暦元年(一二一一)京都へ戻った法然の住まいは大谷禅房と称され、現在の知恩院勢至堂の場所と考えられる。親鸞の最初の墓所は『親鸞伝絵』下に「東山西の麓、鳥部野の北、大谷の墳墓」とある。知恩院御影堂の区画が水平に整地されるのは江戸時代初期のことである。


【資料】『四十八巻伝』六・三六、『総本山知恩院旧記採要録』、京都白毫寺蔵「大谷古地図」(『法然上人研究』四、一九九五)


【参考】『史料京都の歴史一〇 東山区』(平凡社、一九八七)


【参照項目】➡大谷禅房


【執筆者:善裕昭】