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一向一揆

提供: 新纂浄土宗大辞典

いっこういっき/一向一揆

中世後期頃に発生した、浄土真宗門徒が中心となって領主権力と争った一揆をいう。一向宗とは、浄土真宗の俗称で、ひたすら、ひとすじに弥陀をたのむところから、このようにいわれた。蓮如が吉崎滞在中に勢力を増大した本願寺門徒衆が領主権力と対立し、加賀の門徒衆が富樫政親と戦い(文明六年〔一四七四〕)その後長享二年(一四八八)政親を破り、一世紀にわたり加賀一国を支配した。さらに幾内の細川政元と畠山義英の戦いに際し本願寺宗主九代実如は、加賀門徒の出兵を要請するなど、次第にその勢力は拡大した。元亀元年(一五七〇)以後、織田信長と大坂石山本願寺との一一年に及ぶ戦いは石山合戦ともいわれている。石山本願寺を応援する諸大名と信長との戦いとなり、一向一揆の内容は真宗門徒衆と領地大名の争いから、本願寺とこれを支持する大名と信長側の争いとなっていった。天正八年(一五八〇)三月朝廷の斡旋により和睦となり、石山本願寺を明け渡し、一一代宗主顕如は鷺森さぎのもりに退去した。本願寺を応援していた毛利軍が水路を絶たれるなどの事実は、本願寺側の実質的な敗北を表す。


【資料】「一向一揆」(『大系真宗史料』一一、法蔵館、二〇〇七)


【参考】『真宗新辞典』(法蔵館、一九八三)


【執筆者:浅井成海】