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尊光法親王

提供: 新纂浄土宗大辞典

そんこうほっしんのう/尊光法親王

正保二年(一六四五)九月二九日—延宝八年(一六八〇)一月六日。無量威王院宮大蓮社超誉勝阿神竜。幼名は栄宮。後水尾天皇第一二皇子、母は四辻大納言季継の女、中納言局藤継子。知恩院門跡二世。慶安四年(一六五一)、七歳で徳川家光の猶子となり、門跡を相続することが決まった。承応三年(一六五四)親王となり、良賢の名を賜る。明暦二年(一六五六)に知恩院三五世勝誉旧応戒師として入室得度、二ほん親王尊光比丘と名のる。増上寺で修学のため、寛文二年(一六六二)に下向、同六年帰洛し、同年仙洞御所で父後水尾上皇に『一枚起請文』を講じている。さらに同七年と延宝三年(一六七五)の計三回関東修学している。同八年三六歳で示寂。京都一心院に葬られた。安永七年(一七七八)一品を贈られている。


【参考】『華頂誌要』(浄全一九)、『知恩院史』(知恩院、一九三七)


【執筆者:笠島崇信】