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知鑑

提供: 新纂浄土宗大辞典

ちかん/知鑑

慶長一一年(一六〇六)—延宝六年(一六七八)三月六日。信蓮社玄誉忠阿。あざなは寂照。知恩院三七世。遠江国浜松の人。俗姓は和田氏。一三歳で駿府宝台院登誉知童の室に入って剃髪受戒。以来知童につき太田大光院小石川伝通院増上寺を随従した。のち知童の遺命により『事理縦横鈔』一五巻を撰述し、伝書一八通を解釈した。慶安四年(一六五一)川越蓮馨寺九世となり、万治二年(一六五九)に飯沼弘経寺一五世、寛文元年(一六六一)に鎌倉光明寺四二世を歴住し、同三年一二月二七日台命により知恩院三七世となった。在山中に御影堂の大修理を行うなどし、延宝二年(一六七四)四月一九日知恩院住職を辞任し、伊勢山田(三重県伊勢市神社港)の清雲院に退隠した。この間、徳川秀忠の娘天樹院追善のため寂照寺(伊勢市中之町)を開創した。同六年七三歳で入寂。


【参考】『華頂誌要』『総系譜』中(共に浄全一九)、『知恩院史』(知恩院、一九三七)


【執筆者:笠島崇信】