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長谷寺

提供: 新纂浄土宗大辞典

はせでら/長谷寺

神奈川県鎌倉市長谷。海光山慈照院。通称「長谷観音」。元浄土宗光明寺末、現在単立。坂東観音霊場第四番札所。本尊十一面観音菩薩立像は真言宗豊山派総本山長谷寺(奈良県桜井市)の本尊と同木異体という。開山徳道、開基藤原房前ふささき。天平八年(七三六)の開創と伝えるが、現存資料で一番古いものは文永元年(一二六四)の銘がある梵鐘である。徳川家康が慶長一二年(一六〇七)観音堂を再建したことで浄土宗寺院になったとされ、「光明寺文書」によれば寛文六年(一六六六)に慈眼院・慈照院による長谷寺両別当制が定まったとあり、この頃にはすでに光明寺末であったことがわかる。明治三三年(一九〇〇)別当慈眼院は横浜市久保山に移転し、のち光明寺と改称する。昭和二六年(一九五一)には光明寺より離末して本派浄土宗に所属し、同二八年単立となり現在に至る。国重要文化財に十一面観音懸仏(六面)、梵鐘、県文化財に鰐口、『長谷寺縁起絵巻』上・中がある。


【執筆者:大谷慈通】


奈良県桜井市初瀬。豊山神楽院。泊瀬寺・初瀬寺とも書く。真言宗豊山派総本山。朱鳥元年(六八六)道明が天武天皇のために西岡に建立し(本長谷寺)、神亀四年(七二七)に徳道が東岡の現在の地に観音堂を建て、十一面観音立像を安置したとされている。当初は東大寺末寺だったが、のちに興福寺末寺となる。奈良時代より天皇・皇族・貴族・庶民の参詣が多く、長谷詣とその霊験については、『源氏物語』や『今昔物語』などに描写されている。


【執筆者:工藤美和子】