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法洲

提供: 新纂浄土宗大辞典

ほうじゅう/法洲

明和二年(一七六五)四月一四日—天保一〇年(一八三九)七月一三日。ほん蓮社承誉、あざなは託阿。別に還源老人と号す。俗姓は中井氏。長門国大津郡河原郷の人。捨世派念仏聖の系譜に属し、大日比三師おおひびさんしの第二。天明八年(一七八八)二四歳のとき大日比西円寺法岸の下で出家し、日課三万遍を誓う。のち江戸の増上寺幡随院にて修学し、寛政四年(一七九二)宗戒両脈および布薩相承。さらに上洛して仏定義柳典寿・慈雲らの高僧に師事した。その後も師の許しを得て京都・江戸・大坂の間を往来し、隆円・義門・俊隆・定玄らの知己を得て道交を深め、念仏に励み教化に努めること一七年。この間、但馬豊岡来迎寺、大坂生玉いくたま大乗寺、兵庫西光寺住職を経て、文化九年(一八一二)師命により西円寺住職を継ぐが、同一二年から翌年にかけて一向宗徒を相手に破邪顕正の論陣を張った事跡は特筆される。文政元年(一八一八)寺職を退き隠棲すると、防長二州(山口県)の念仏勧化に専心した。著作は『阿弥陀経講説』『正邪不可会弁』『三法語大意』ほかおびただしい量に上る。


【参考】世良諦元編『大日比三師講説集』(西円寺出版、一九一〇)、『略伝集』(浄全一八)


【参照項目】➡大日比三師法洲和尚行業記


【執筆者:長谷川匡俊】