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良肇

提供: 新纂浄土宗大辞典

りょうじょう/良肇

延文四年(一三五九)—永享一〇年(一四三八)。聡蓮社嘆誉。飯沼弘経寺開山。下総国猿島郡富田(茨城県常総市)の人。北条一族の出身。父没後一族の菩提を弔うため常陸報恩寺出家後、瓜連うりづら常福寺において了実の座下で学ぶ。また青柳本願寺に在した聖冏の法化を仰ぎ、諸方を遊化する。報恩寺に帰郷後、一ツ谷能満寺、横曽根安養寺に移住。横曽根城主羽生経貞等の寄進を受け、応永二一年(一四一四)飯沼弘経寺を建立する。以後室町時代の関東浄土宗の中心寺院として学僧を多く輩出する。『総系譜』中には聖聡門弟とあるが、師は聖冏であり、聖聡法弟にあたると考えられる。


【資料】『飯沼弘経寺志』、『鎮流祖伝』四


【執筆者:南宏信】