操作

報恩寺

提供: 新纂浄土宗大辞典

ほうおんじ/報恩寺

滋賀県野洲市南桜。智徳山。滋賀教区№一七八。開山は、文明一一年(一四七九)栗東市東坂阿弥陀寺三世厳誉宗真。当寺所蔵の銅造観世音菩薩立像(国重要文化財)は、宝暦一〇年(一七六〇)に地元の領主広幡家(公家)から村に寄進されたものである。これは高さ二八・五センチの観音像で県内最古の白鳳時代(七世紀後半)の作といわれ、昭和八年(一九三三)京都国立博物館に寄託されている。


【資料】『蓮門精舎旧詞』二四(続浄一八)、『浄土宗寺院由緒書』下(『増上寺史料集』七)、『滋賀県市町村沿革史』二(弘文堂書店、一九八八)、『近江輿地志略』六六(同、一九七六)、『野洲郡志』下(寺田精文堂、一九七三)


【執筆者:井野周隆】


京都市上京区小川通寺之内下ル射場町。尭天山仏牙院。京都教区№一九五。もと法園寺と称する天台浄土兼学の寺院であったが、室町中期に後土御門天皇の深い帰依をうけた一風慶誉が明応三年(一四九四)中興開山となって浄土宗に属し、寺号報恩寺と改められた。続いて後柏原天皇からも厚い崇敬をうけ、「報恩寺」の勅額や仏牙舎利その他の宝物も賜り、寺運大いに興隆したと考えられる。当初一条の北、高倉の東あたりに位置し、天正年間(一五七三—一五九二)豊臣秀吉による京都の町割りの改造によって現在地に移り、以後「鳴虎報恩寺」として著名である。


【資料】『牙舎利縁記』、『元禄寺院由緒書』二・山城二


【参考】水野恭一郎「上京報恩寺小考」(『仏教史学』一六—一、一九七四)


【執筆者:宇高良哲】