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ハワイ開教区

提供: 新纂浄土宗大辞典

ハワイかいきょうく/ハワイ開教区

明治二七年(一八九四)、白石尭海等有志の発願により、日本においてハワイ宣教会が組織され、まず松尾諦定、ついで岡部学応がハワイ宣教会選任布教使としてハワイへ渡ったのが、ハワイ開教の始まりである。岡部は、ハワイ島ハマクア地区で布教し、同二九年、ハマクア耕地の在留邦人の菩提所として「ハマクア仏教会堂」を建立した。これが各宗を通じてハワイにおける最初の日本仏教寺院である。以来、今日までに一八〇名を超える浄土宗開教使がハワイへ渡り、現在のハワイ開教区では、オアフ島で二箇寺、ハワイ島で六箇寺、マウイ島で三箇寺、カウアイ島で二箇寺の合計一三箇寺が開教活動を行っている。開教寺院ごとの詳細は次のとおり。①開教院(ハワイ浄土宗別院)—オアフ島ホノルル市マキキ街。はじめ、開教本部はラウパホエホエ仏教会堂に置かれたが、ハワイ開教発展をうながすため、ホノルルに本部を置く必要があった。明治三八年(一九〇五)に清水信順がホノルルに仮布教所を設けた。昭和七年(一九三二)六代開教総監福田闡正の代に、現在地に寺院ならびに付属施設を建立。②ハレイワ浄土院—オアフ島ハレイワ。明治四五年(一九一二)室山実静が創立。二度にわたる津波の災害にあったが、それぞれ建物は再建され、また昭和五〇年(一九七五)には会堂が新築。③ヒロ明照院—ハワイ島ヒロ市オロナ街。明治四一年(一九〇八)清水観碩により教会所として創立。はじめヒロ市ピオピオ街にあったが昭和三五年(一九六〇)のチリ大地震の津波の被害をうけ、同三九年に現在地に移転、新築。④カーチスタウン浄土院—ハワイ島カーチスタウン。明治三四年(一九〇一)伊藤円定による創立。⑤ハカラウ浄土院—ハワイ島ハカラウ。明治三七年(一九〇四)相馬千里が創立。⑥ハマクア浄土院—ハワイ島ハマクア。明治二九年(一八九六)岡部学応が創立。⑦ハヴィ浄土院—ハワイ島ハヴィ。明治三八年木村猶恵がカパアウ仏教会堂附属ハヴィ分校を開校したことに始まる。同四二年中西忍海が教会堂を建設。昭和七年に現在地に会堂を新築している。⑧コハラ浄土院—ハワイ島コハラ。明治三六年(一九〇三)安西承信が創立。⑨ワイルク浄土院—マウイ島ワイルク。明治四五年原聖道が仮布教所を設置。大正四年(一九一五)に大田秀山が会堂を建設している。⑩カフルイ浄土院—マウイ島カフルイ。明治四三年(一九一〇)原聖道が創立。もと同島のプウネネの砂糖耕地内にあったが、その閉鎖により昭和四四年(一九六九)現在地に移転した。⑪ラハイナ浄土院—マウイ島カアナパリ海岸に隣接。大正二年(一九一三)に斉藤原道が創立。昭和四三年(一九六八)の大火で堂宇を全焼したが、同四五年に新本堂を再建させ、境内には青銅露座の阿弥陀如来座像を中心に、鐘楼、六角堂、山門、三重塔なども建立されている。⑫カパア浄土院—カウアイ島カパア。明治四四年(一九一一)に吉田達祐がはじめ仮布教場を開き、昭和二六年(一九五一)に新会堂を建立している。⑬コロア浄土院—カウアイ島コロア。明治四三年(一九一〇)室山実静が創立。昭和六〇年(一九八五)に新本堂が建立されている。その他、オアフ島エワに、大正六年(一九一七)に島田隆道の創立した会堂があったが、第二次大戦中、耕地整理の名目で米政府によって焼き払われ現存していない。また、ハワイ島ラウパホエホエには、ラウパホエホエ浄土院(明治三九年に八寿田大定が創立し、一時は浄土宗ハワイ開教院も置かれている)と、ヒロ市郊外のワイナクには、ワイナク浄土院(明治三八年に小林了秀が創立)の二箇寺があったが、同地域の過疎化に伴い、現在は閉鎖されている。


【参考】「浄土宗海外開教のあゆみ」編集委員会編『浄土宗海外開教のあゆみ』(浄土宗開教振興協会、一九九〇)


【参照項目】➡海外開教


【執筆者:水谷浩志】