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泉涌寺

提供: 新纂浄土宗大辞典

せんにゅうじ/泉涌寺

京都市東山泉涌寺山内町。真言宗泉涌寺総本山。はじめ法輪寺のちに仙遊寺と称されるが、建保六年(一二一八)に宇都宮信房が俊芿しゅんじょうにこの寺を寄進し、泉涌寺と改められた。俊芿は正治元年(一一九九)に入宋し、天台山で律・禅・天台を学んで帰朝し、台密禅律四宗兼学を掲げて、泉涌寺を北京律の道場とした。仁治三年(一二四二)に、自ら俊芿の生まれ変わりとした四条天皇の葬礼が当寺で行われ、陵が境内におかれて以来、室町時代の後光厳天皇から幕末の孝明天皇まで、当寺で歴代天皇の葬儀が執行されたため、「御寺みてら」と通称される。江戸初期の後陽成天皇までの荼毘だびしょとなり、土葬となった後水尾天皇以後の歴代天皇らの遺骸は四条天皇陵の横に埋葬され、月輪陵や後月輪陵となった。天皇家唯一の菩提所として、徳川幕府からも一三〇〇石余を安堵され、寛文八年(一六六八)には徳川家綱によって、現在の仏殿をはじめとする伽藍が整備された。明治維新以後は、天皇陵は当寺から切り離された。


【執筆者:西村玲】