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土川善澂

提供: 新纂浄土宗大辞典

つちかわぜんちょう/土川善澂

元治元年(一八六四)—昭和五年(一九三〇)三月三日。湛蓮社静誉見阿珠光。大本山知恩寺六八世。大僧正司教勧学宗学興隆に尽くした学匠。福井県南条郡神山村高瀬(現・越前市)に土川善平の四男として誕生。一三歳で鹿ししたに法然院仏定のもとで出家得度し、和漢の学を修め、明治一三年(一八八〇)に知恩院養鸕うがい徹定てつじょうから宗脈戒脈相承、翌年知恩院大学林に入学し傍らで泉涌寺せんにゅうじ佐伯旭雅について性相学を習い、同二〇年に上京して浄土宗学本校に入り、同二三年には京都の清水坂の西光寺に住し、同二七年に専門科華厳部を卒業し本校教授となる。同三七年浄土宗教大学院専門科講師、同四二年に浄土宗執綱、大正四年(一九一五)浄土宗高等学院長、翌年には佛教専門学校初代校長、その後には宗教大学長となる。同八年知恩院執事長、同一一年専修道場上首、昭和三年(一九二八)五月に百万遍知恩寺法主、同五年三月三日に六七歳で示寂。宗乗のほかに俱舎や華厳に造詣が深く学を究める傍ら、育英にも尽くした。多年の功績を記念して門弟らが土川勧学宗学興隆会を結成し『選択集』などの重要宗典の校合出版などを行った。


【参考】大橋俊雄『浄土宗人名事典』(斎々坊、二〇〇一)


【参照項目】➡土川勧学宗学興隆会


【執筆者:藤本淨彦】