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法照

提供: 新纂浄土宗大辞典

ほっしょう/法照

生没年代および出身地・俗姓などは未詳。一説には唐・天宝五年(七四六)—開成三年(八三八)、興勢県大灙(現・陝西省漢中市洋県)の出身で、俗姓を張氏とするのが有力。大悟禅師とも称す。一一歳で出家し、永泰年間(七六五—七六六)に廬山東林寺念仏三昧を修め、南岳衡山の承遠のもとでは浄土教を研鑽し、毎夏に般舟念仏三昧の実践を行う。永泰二年(七六六)南岳の雲峰寺の食堂にて瑞相を見て、阿弥陀仏前に赴き、阿弥陀仏から五会念仏の唱法を授かる。大暦四年(七六九)には衡州の湘東寺(または湖東寺)の楼閣における九〇日間の念仏行の最中に霊相を感じて五台山に行くことを決意、翌年五台山仏光寺に入る。五台山における瑞相の感得については、『五台山大聖竹林寺法照得見台山境界記』一巻(『大聖竹林寺記』)として撰述したようであるが、本書は現存しない。その後、竹林寺を創建するなど五台山にその名を響かせ、同九年には太原の大寺院龍興寺において『浄土五会念仏誦経観行儀』三巻を著し、さらに貞元四年(七八八)正月二二日に長安の章敬寺(通化門外にあり四八院を有する大寺院)に入り、そこで『浄土五会念仏略法事儀讃』を撰述する。晩年の事績は不明であるが、日本の円仁が入唐し、開成五年(八四〇)に五台山巡礼したときの記録として「遷化よりこのかた二年」とあることを信頼すれば、開成三年に示寂していることになる。その示寂の地について、『洋県志』によると長安であったと読みとられ、『仏祖統紀』では五台山竹林寺であったように描かれている。また、『浄業痛策』(続蔵六二・六二九中)には法照遷化を一二月一日とするが考証が尽くされているわけではない。法照五会念仏で著名だが、これは念仏を称える速度を緩から急へと五段階に速度を速めていく音楽的な唱法である。円仁は五台山念仏比叡山に将来しているが、おそらくはそれは法照五会念仏であろう。なお弟子には純一、惟秀、帰政、智遠、沙弥惟英、優婆塞張希俊や、章敬寺の鏡霜、尼の悟性などがいる。


【参考】塚本善隆『中国浄土教史研究』(『塚本善隆著作集』四、大東出版社、一九七六)


【参照項目】➡浄土五会念仏誦経観行儀浄土五会念仏略法事儀讃五会念仏五会法事讃


【執筆者:齊藤隆信】