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後鳥羽上皇

提供: 新纂浄土宗大辞典

ごとばじょうこう/後鳥羽上皇

治承四年(一一八〇)—延応元年(一二三九)二月二二日。第八二代天皇。高倉天皇第四皇子。母は藤原信隆女、七条院殖子。名は尊成。法名は良然。寿永二年(一一八三)安徳天皇の都落ち後に即位。建久九年(一一九八)土御門天皇に譲位し、順徳・仲恭天皇の三代、二三年にわたり院政を行った。『四十八巻伝』一〇によると、たびたび法然を招請し、円頓戒を受けたというが、法然が四国配流となった「建永の法難」は、熊野御幸中の女房出家に憤怒した上皇の譴責が発端であった。承久三年(一二二一)承久の乱で幕府に敗北し隠岐に配流され、延応元年二月二二日配所で崩じた。


【資料】『四十八巻伝』一〇(聖典六)


【参照項目】➡建永の法難


【執筆者:福田行慈】