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文雄

提供: 新纂浄土宗大辞典

もんのう/文雄

元禄一三年(一七〇〇)—宝暦一三年(一七六三)九月二二日。江戸時代の代表的学僧の一人。あざな僧谿そうけい、号を無相、または尚綗堂ともいう。丹波国桑田郡濃野村、中西氏の子。幼少のとき同郡玉泉寺で剃髪し、ついで京都了蓮寺誓誉に師事し、のち江戸伝通院で修学。儒学の大家・太宰純について中国の語韻を修め、『摩光韻鏡』を著し、師を驚嘆させたという。後年、誓誉の後を受けて了蓮寺一七世となり、宝暦元年(一七五一)桂林寺に退き隠棲した。宝暦一三年五月阿波・讃岐の両国を遊歴、京都に帰り同九月二二日に入寂した。著作も多く、富永仲基『出定後語』の反駁書である『非出定後語』を著したことは有名。また『蓮門類聚経籍録』は長西に次いで宗書の目録を整理したもので、後世の学徒に益すること大である。報恩寺湛澄法泉寺珂然正法寺大我とともに京阪地方で一派をなしたという。


【参考】『続日本高僧伝』(仏全一〇四)、堤朝風輯/英遵補定『近代著述目録』(『日本人物情報大系六〇 学芸編二』皓星社、二〇〇〇)


【執筆者:伊藤弘道】