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大我

提供: 新纂浄土宗大辞典

だいが/大我

宝永六年(一七〇九)—天明二年(一七八二)八月一五日。白蓮社天誉、あざなは絶外。また孤立道人ともいう。浄土宗の学僧。生国は江戸、出自は赤穂浅野家遺臣の庶子であると伝わる。幼くして孤児となった大我は厭世の心を抱き、一三歳のときに出家を決意、江戸湯島霊雲寺二世の慧光を師として受戒霊雲寺は真言宗寺院であったが、大我真言のみならず儒学や神道をも学んだ。霊雲寺を去った後は、吉野の金峰山に赴き苦行生活に入るが、権現の霊告により浄土教帰依した。程なくして東国へ帰り、鎌倉光明寺六一世真察の室に入る。元文三年(一七三八)、知恩院四九世となった真察に随って上京する。真察遷化した後、山城国八幡正法寺に入山し二二世となるが、数年を経ずして洛東岡崎の夢庵に隠棲した。晩年は増上寺四六世定月との縁もあり、江戸に滞在することが多かった。著作に『夢庵戯歌集』『専修祈禱論』『扶宗論』など和歌宗義、駁論に関する多数がある。


【資料】『唯称問律訣』、『玉石論』、『略伝集』(浄全一八)


【参考】中野三敏「釈大我伝攷」(『研究紀要』六、愛知淑徳短期大学、一九六七)


【執筆者:加藤弘孝】