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正法寺

提供: 新纂浄土宗大辞典

しょうぼうじ/正法寺

島根県大田市大代町大家。金鳳山無量院。石見教区№二〇。知恩院末。源蓮社信誉により開山される。貞応二年(一二二三)良忠によって建立されたとされているが、慶長年間(一五九六—一六一五)に火災に遭い、堂宇、諸記録ことごとく焼失したため詳細は不明。


【資料】『浄土宗寺院由緒書』中(『増上寺史料集』六)、『蓮門精舎旧詞』三〇(続浄一九)、『浄土宗大意』


【参考】大橋俊雄『三祖良忠上人』(神奈川教区教務所、一九八四)、『記主禅師伝』(良忠寺、一九八五)


【執筆者:本田行信】


長崎県諫早市多良見町木床。萬年山遍増院。長崎教区№二五。見蓮社面誉白祐の開山。白祐は慶長一七年(一六一二)に徳川家康よりキリシタン改宗の命をうけ、師の幡随意ばんずいいと共に肥前国島原地方を中心とした九州北部の教化にあたる。その後白祐は多良見に留まり元和二年(一六一六)正法寺を建立する。その後宝暦のはじめ全焼するが、宝暦四年(一七五四)一二世誓誉了山が再建、中興開山となる。現在の堂宇は平成一二年(二〇〇〇)に再建され、二五世諦誉良泰が中興開山となる。


【資料】『正法寺縁起』、『多良見町郷土誌』、『蓮門精舎旧詞』四二


【参照項目】➡幡随意


【執筆者:松野瑞光】


京都府八幡市八幡清水井。徳迎山。単立。建久二年(一一九一)に源頼朝の御家人、高田蔵人忠国(姓は菅原)がこの地に居住するに伴い創建し、その孫宗久(志水と改姓)が嘉暦元年(一三二六)に堂舎仏閣を営んだという。もとは天台宗寺院であったが、室町後期に浄土宗改宗。後に単立となる。天文一五年(一五四六)に、第一一世伝誉が後奈良天皇の帰依を受けたため、勅願寺に補せられて「徳迎山正法寺」の勅額を与えられた。文禄三年(一五九四)には、宗久八世の孫宗清の娘亀女(後に落飾して相応院と号す)が徳川家康に嫁ぎ、尾張藩祖徳川義直の生母となった。そのため当寺は代々尾張徳川藩の庇護を受け、末寺七箇寺を含めて朱印地五〇〇石(うち正法寺一二〇石)を領していた。現在の伽藍も寛永七年(一六三〇)ごろに相応院の寄進によって修理改築されたものであり、そのうち本堂・唐門・大方丈は国重要文化財に指定されている。什宝の絹本著色如来像等も国重要文化財。


【執筆者:齋藤蒙光】