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神道

提供: 新纂浄土宗大辞典

しんとう/神道

カミ信仰を核とする日本人の民族宗教。カミ信仰は、元来、農耕をはじめとして狩猟や漁撈ぎょろうを生活の基盤としていた古代人が、自分たちを取り巻く世界の根元に人知を超えたカミの存在と働きを感得し、その祭祀を通して生活の安寧を希求した素朴な信仰であった。六世紀以降、古代国家は大陸文明を積極的に摂取して国家形成を進めた。その過程でカミ信仰は民族のアイデンティティーの核をなすものとして重視されたが、大陸文明の影響下に変容を遂げる。神社建築の発生や神像彫刻の出現、カミの人格神化等である。他方、古代国家は神祇祭祀を統治の基礎に置き、宮中祭祀や皇祖神を祀る神宮祭祀、官社制度など、神祇祭祀の制度が整備された。その一方で古代国家は仏教を国家安泰の道として手厚く保護した。社会への仏教信仰の浸透によりカミ信仰との相互交渉が生じたこともあって、奈良時代以降、神と仏とが有機的に結びつく「神仏習合」が起こる。カミは仏教を喜ぶものとされ、神前での読経や、神々のために仏事を行う神宮寺の建立がなされた。

院政期には仏教信仰の広がりと深化を背景に末法思想が流行する。末法思想とは、釈迦入滅後、時の経過とともに人間の能力(機根)が衰え、仏教が衰退し、国家社会が滅亡するという終末思想である。その上、仏教世界観では、日本は大陸のはての海中の粟粒のような島「粟散辺土ぞくさんへんど」で、機根の劣悪な者しか住まない国と見なされた。末法思想と粟散辺土観の流布、武士の勃興による社会の流動化や天変地異の頻発という時代状況の出現は人々に強い終末意識を抱かせた。この末法辺土の劣機の人間の救済という課題を克服すべく登場したのが浄土宗を開いた法然をはじめとする鎌倉時代の新しい仏教者である。

他方、院政期にはカミ信仰世界本地垂迹思想という新たな神観念が登場する。本地垂迹思想とはカミの本体は仏なりとするもので、カミは粟散辺土の劣機の輩を憐れんだ仏が救済のために姿を変えて出現したものとされた。この観念は急速に広まり、主要な神社には本地仏が定められ、神社に懸仏かけぼとけを奉納する等の新たな信仰文化を生み出すとともに、本地垂迹思想に立脚した神道説が出現した。まず神々を密教思想によって理論化した両部神道が出現し、鎌倉時代後期には三輪流みわりゅう神道御流ごりゅう神道が派生した。鎌倉時代末期には日吉ひえ信仰天台宗の教えで理論化した山王神道が唱えられるなど仏家神道の多様な展開が生じる。これら仏家神道の出現は、伊勢神宮の神官や朝廷の神祇関係氏族に刺激を与え、神話縁起を軸に儒教思想や道家思想を援用したカミ主体の神道説の形成を促した。神宮祠官による伊勢神道卜部うらべ氏や大中臣おおなかとみ氏の神道説がそれである。室町時代後期には卜部氏の中から吉田(卜部)兼俱が現れて神道の教説と儀礼の体系を整備した。これが吉田神道であり、吉田家は江戸時代を通じて神社界を統括する存在として君臨することになる。専修主義をとる浄土宗などの新しい仏教宗派も社会への広がりとともに在地のカミ信仰の問題と直面し、宗派の教義のなかにカミ信仰を包摂しようとする動きが生じた。鎌倉中期の信瑞が著した『広疑瑞決集』では垂迹神への信仰を容認している。鎌倉末期存覚の『諸神本懐集』では、神々を仏・菩薩垂迹である権社のカミと人々を悩ます悪霊等を祀る実社のカミに分けた上で、権社の神々は仏・菩薩垂迹であり、諸仏とともに人々を救済するが、諸仏の利生の真意は弥陀による極楽往生にあるから、念仏を称え弥陀一仏に帰依すれば現世では神々の守護を得、来世では西方浄土への往生が叶う、と説いている。日蓮宗でも法華三十番神信仰やそれに基づく法華神道が現れた。

江戸時代に入ると儒教が重んじられ神道儒教の一致を強調する儒家神道が出現した。林羅山の理当心地りとうしんち神道や山崎闇斎の垂加すいか神道などがそれである。伊勢神道や吉田神道儒教思想を積極的に取り込み、吉田神道から出た吉川惟足これたりは吉川神道を樹立した。江戸中期になると日本の古典の実証的研究を基礎に国学が起こる。国学者は外来思想を排除し、神話や神祇祭祀に日本人の精神の核を求めた。江戸後期に現れた国学者の平田篤胤は神道世界宗教の根源とする復古神道を唱え、これは王政復古のイデオロギーの一つとなった。明治維新後、神社は国家の祭祀の場であって宗教にあらずとされ、国家の管理下に置かれて宗教的活動を禁ぜられた。また、神仏分離政策により古代以来の神仏習合信仰文化が否定されるなど、神道は大きく姿を変えた。幕末から明治にかけて天理教・黒住くろずみ教・金光こんこう教などのカミ信仰を核とする民衆宗教が出現するが、これら神道宗教は教派神道として存続した。しかし、昭和二〇年(一九四五)の敗戦とともに、同年一二月一五日の連合国最高司令官によるいわゆる「神道指令」によって、神社に対する国家管理は廃止され現在に至っている。


【参考】村岡典嗣『神道史』(『日本思想史研究』一、創文社、一九五六)、宮地直一『神道史』Ⅰ~Ⅳ(『宮地直一論集』五~八、桜楓社、一九八五)、井上光貞『日本古代の王権と祭祀』(『歴史学選書』七、東京大学出版会、一九八四)、村山修一『本地垂迹』(吉川弘文館、一九九四)、久保田収『中世神道の研究』(神道史学会、一九五九)、安丸良夫『神々の明治維新—神仏分離と廃仏毀釈』(岩波書店、一九七九)


【参照項目】➡神仏習合本地垂迹山王神道懸仏


【執筆者:高橋美由紀】