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田中木叉

提供: 新纂浄土宗大辞典

たなかもくしゃ/田中木叉

明治一七年(一八八四)—昭和四九年(一九七四)一二月一二日。号は仏子木叉。長崎県南松浦まつら郡新魚目町浦桑郷(新上五島町)の浄福寺住職田中光道・サダの長男として誕生、徹と名づけられる。浄土宗第八教校より宗教大学に学び、第一高等学校を経て東京帝国大学に進み英文学を修めた後さらに哲学(美学)を専攻する。明治四三年(一九一〇)伝通院で伝宗伝戒を受ける。芝中学校・宗教大学・慶応義塾大学で教鞭をとり、一方、伝通院に設置されていた宗門学徒のための宿舎「興学舎」で人材育成指導に従事し、長年にわたり学徒の育英に尽力した。大正七年(一九一八)に増上寺山内多聞室で山崎弁栄に遇うことを得て以後、その高弟として光明主義による念仏運動の中軸となり、関東・関西・九州各地で布教活動に邁進する。昭和三年(一九二八)から同三二年まで埼玉県北葛飾郡の倉常寺の住職を勤める。弁栄の晩年から発行された月刊誌『ミオヤの光』を継続して刊行し、弁栄の遺稿の収集に努め『お慈悲のたより』上中下巻三冊を発行し、弁栄遺文の集大成と言うべき『光明大系』一四巻を編集しミオヤのひかり社から刊行した。主著に、昭和一一年(一九三六)に初版が出され同四四年に弁栄上人五〇回忌記念出版として光明修養会から発行された『日本の光(弁栄上人伝)』(第三版)、また、大阪中央光明会刊『光明歌集』がある。八八歳のときに浄土門主より宗門高齢者表彰を受ける。昭和四九年一二月一二日寂、享年九〇歳。


【参考】『日本の光(弁栄上人伝)』第五版の著者略歴(光明修養会、一九九七)、藤堂俊章『田中木叉上人遺文集』(光明修養会、一九七七)


【参照項目】➡光明会


【執筆者:藤本淨彦】