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人法

提供: 新纂浄土宗大辞典

にんぼう/人法

個人存在(人Ⓢpudgala)と経験的事物として一般に「もの」として捉えている対象物(法Ⓢdharma)を指す。主体と客体のこと。この両者の恒常不変なる本体の有無を問い、「人法二我」「人法無我」「人法二空」などとして議論される。人と教え。最後の遊行中に発病した釈尊が、狼狽する阿難にいわゆる「自灯明・法灯明」を説くなかで、「教え(Ⓢdharma)を依り所として、他のもの(ⓈananyaⓅanañña)を依り所とせず」とあることに発して、「他のもの」を「人」と理解し、その後さまざまに展開した依り所としての「人と教え」を便宜上示すためのものであり、伝統的にこのような用語があるわけではない。『大智度論』九では「法には十二部〔経〕あり、まさにこの法に随うべく、人に随うべからず」(正蔵二五・一二五上)とする。しかし、『往生要集』下には「助道の人法」(浄全一五・一五三下~四上)として念仏の助けとなる人と教えを論じ、「人」を「明師」「同行の衆」として認める解釈をする。さらに『選択集』八では『観経疏散善義を引用して「一仏の所説は、すなわち一切仏、同じくその事を証誠したまう。これを人に就いて信を立つと名づく」(聖典三・一四五/昭法全三三一)と述べ、「人」は釈尊の教えの正しさを証明する十方の諸仏と考える。また、『東宗要聴書冠註』では「人」は大乗の菩薩であり、「法」は小乗の教えであるとして、人に依り、法に依らないという逆を説く。


【執筆者:吹田隆道】