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慧成大師

提供: 新纂浄土宗大辞典

えじょうだいし/慧成大師

宝暦一一年(一七六一)法然五五〇回遠忌に桃園天皇から加諡された大師号。五五〇年遠忌を二年後にひかえた宝暦九年(一七五九)一〇月、当初知恩院は今回は五〇年の遠忌でもあり、いくつも大師号があっても混乱するからとの理由で見送りを表明していたが、知恩院門跡尊峰法親王の意向で方針転換し、京都三本山門中と相談の上、大師号加諡申請を決定した。所司代井上利容の了承を得た後、朝廷と交渉した結果、知恩院が提出した慧成大師・慈運大師の中から朝廷が前者を選んだ。同一一年正月一八日に大師号勅使として高辻世長が参向した。これ以後五〇年ごとの大師号加諡が慣例化された。


【資料】『知恩院史』(知恩院、一九三七)、『五百五十回御忌日鑑』


【参照項目】➡大師号


【執筆者:伊藤真昭】