操作

末代念仏授手印

提供: 新纂浄土宗大辞典

まつだいねんぶつじゅしゅいん/末代念仏授手印

一巻。『授手印』ともいう。聖光撰。五重伝法の第二重、三巻書の一つ。法然から伝授された念仏往生の教えを記述し、手印で証とした秘書である。聖光は『授手印』の裏書に近代の人々の義として、「幸西一念義」「証空弘願義」「行空寂光土義」の三人の義をあげて、これらを邪義としている。そこで聖光は『授手印』の序に撰述の理由として、「上人往生の後には、その義を水火に諍い、その論を蘭菊に致して、還って念仏の行を失って、空しく浄土の業を廃す。…ここに貧道齢すでに七旬に及んで、余命またいくばくならず。…これに依って、肥州白川河のほとり、往生院の内において、二十有の衆徒を結び、四十八の日夜を限って、別時浄業を修し、如法念仏を勤む。この間において、徒らに称名の行を失することをなげき、空しく正行の勤めを廃しぬることを悲しんで…弟子が昔のききに任せ、沙門相伝に依って、これを録して、留めて向後きょうこうに贈る。仍って末代の疑いを決せんが為、未来の証に備えんが為に、手印を以て証と為して、筆記する所のごとし」(聖典五・二二四)と記している。

授手印』の体裁は、①袖書②序③本文の内容④手印と血脈手次状てつぎじょう⑥裏書からなっている。まず①袖書については『授手印』伝承本によって少なくとも四つある(後の表参照)。安貞二年(一二二八)から九年後、嘉禎三年(一二三七)良忠に伝承された『授手印』には「究竟大乗浄土門 諸行往生称名勝 我閣万行選仏名 往生浄土見尊体」(聖典五・二二三)の四句の偈文があった。今は現存しないが写本によって伝承されている。『授手印』とその袖書を整理すると[表1](聖典五・五四一)の通りである。

[表1]
*●白ヌキ番号は調査済を意味する。 *未調査の欄は林彦明三巻七書』、及び昭和新訂『末代念仏授手印』による。 *この『授手印』一覧表は柴田哲彦氏の作(『仏教文化研究』一六)によるものである。
[表1]
*●白ヌキ番号は調査済を意味する。
*未調査の欄は林彦明三巻七書』、及び昭和新訂『末代念仏授手印』による。
*この『授手印』一覧表は柴田哲彦氏の作(『仏教文化研究』一六)によるものである。
㈠ 国師本
伝承本 所在 袖書 手印 備考
聖護本 肥後往生院
唯称本 佐賀大覚寺
円阿本 博多善導寺 釈尊説教弥陀本願娑婆之旧宅極楽之新蓮
極楽 筑後善導寺 念仏証文末代決疑口称仏名決定往生 血脈に代わるものとして施入状あり
綽阿本 不明 信仏本願専持名号最後終焉決定往生 太田大光院に対校本あり
良念本 散逸 川越蓮馨寺に写本あり、武州小机泉谷寺蔵本の写と記録あり
良忠本(三祖記主伝承本) 散逸 究竟大乗浄土門諸行往生称名勝我閣万行選仏名往生浄土見尊体 不明
随願本 散逸 有(義山翼賛による) 不明 義山翼賛浄全一六巻六七二頁
薩生本 散逸 有(義山翼賛による) 不明 右に同じ
10 往生院 散逸 無(義山翼賛による) 不明 右に同じ
11 善導寺本 散逸 無(義山翼賛による) 不明 右に同じ
12 善弁本 清浄華院 不明 不明 断片のみ存在
㈡ 白旗系伝承本
伝承本 所在 袖書 手印 手次状 備考
寂真伝承本 敦賀西福寺 究竟大乗浄土門諸行往生称名勝我閣万行選仏名往生浄土見尊体 寂慧筆、元亨二年二月八日寂真に伝承
賢仙伝承本 滋賀新知恩院 同四句偈 寂慧筆、元亨四年九月廿二日賢仙に相承
酉誉聖聡花押本 増上寺 同四句偈
酉誉聖聡在判本 太田大光院 同四句偈
明誉了智花押本 増上寺
明誉了智所持本 増上寺 同四句偈
信誉伝承本 知恩院 偈なし 三祖系はすべて四句偈が見られるが、これのみ要偈なし、大誉慶竺
安誉虎角自筆本 生実大巌寺 同四句偈
浩誉自筆本 知恩院
阿誉自筆本 太田大光院 同四句偈


㈢ 名越系伝承本
伝承本 所在 袖書 手印 手次状 備考
事円伝承本 佛教大学 不明 不明 不明 境智筆、下総浄福寺に所蔵されていたが現在、佛教大学に保管されている。巻頭と巻末が欠ゆえ、袖書・手印・手次状は明らかではない
㈣ 一条系伝承本
伝承本 所在 袖書 手印 手次状 備考
玄心伝承本 清浄華院 究竟大乗浄土門諸行往生称名勝我閣万行選仏名往生浄土見尊体
清源伝承本 清浄華院 同四句偈
是観伝承本 清浄華院 口々称名蓮生仏々二尊金口信心増進証夢中字々放光耀金色同四句偈 袖に上記の偈あり、巻頭に再び四句偈を記す
欣浄伝承本 伊賀念仏寺 同四句偈
忠空伝承本 大超寺 同四句偈 宇和島大超寺に蔵されている
良円伝承本 敦賀西福寺 同四句偈
㈤ 三条系伝承本
伝承本 所在 袖書 手印 手次状 備考
了慧伝承本 滋賀新知恩院 同四句偈 鎮西筆と称する聖護本唯称本に酷似しており、二祖自筆本か要検討
慧伝承本 博多善導寺 同四句偈 了慧


②序(文)については、聖光法然より称名念仏の教えを受けて、それを記述する理由を述べたものである。③本文については、その冒頭に「末代の念仏者、浄土一宗の義を知って、浄土一宗の行を修すべき、首尾すび次第の条条の行の事」(聖典五・二二四~五)とあるように、宗義とその行相が明らかにされている。その内容は、「六重二十二件五十五の法数」として知られている([表2]〔聖典五・五四五〕)。


[表2]六重二十二件五十五の法数

  [[File:ま_表②.jpg|thumb|left|upright=2.5|


この後に「釈して曰く、我が法然上人の言わく、善導の御釈を拝見するに、源空が目には、三心も五念も四修も皆ともに、南無阿弥陀仏と見ゆるなり」(聖典五・二四〇)という「奥図」が記されている。④手印と血脈、手印は右手印・左手印とあり、師資・能所一体を表し、この両手印の後に、源空—弁阿—然阿とあって、「嘉禎三歳卯月十日巳時・沙門・弁阿・在御判」とあるのが血脈である。師資相い次いで瀉瓶しゃびょう相承されることが伝法であり、その相承が正しく伝承されていく形を血脈といい表すのである。⑤手次状は「念仏往生浄土宗血脈相伝手次の事」とあって、ひとり良忠にかぎって授与されたものである。法然から聖光相承された正義がそのまま良忠に授与されたことを表すもので、たんに『授手印』の相伝ではなく、念仏往生浄土付属の証状というべきである。この手次状の終わりに「浄土相伝源空・弁阿・良忠良暁・賢仙」とあって、「右、当流は鎮西の余風」とあり、「先師相承授手印を以って、賢仙に授申することすでにおわんぬ。この趣にまかせて弘通利生すべき旨、件の如し。元亨四年(甲子)九月二十二日。桑門良暁(花押)」(聖典五・二四二)とあって、浄土宗伝法で使用される伝本が白旗流賢仙本と称せられる由縁が知られる。⑥裏書は各伝承本によって異なる。賢仙本には、まず往生院(肥後熊本)において四八日の別時念仏をはじめて『授手印』の撰述にとりかかったこと、その年月日、その間の高僧の来現、別時結衆した北座(八人)、南座(九人)の生国と年齢が記されている。さらに五逆誹謗正法の罪深きを恐れて他見をいましめ、称名念仏を軽んずる邪義を嫌い、近代の三義(幸西一念義証空弘願義行空寂光土義)を邪義として排し、三人の先達(北京の顕真・南京の明遍黒谷法然)を念仏行者の模範とすべきことを記している。


【所収】聖典五、浄全一〇


【参考】阿川文正「末代念仏授手印」解題(聖典五)


【参照項目】➡六重二十二件五十五の法数昭和新訂末代念仏授手印


【執筆者:髙橋弘次】