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念仏寺

提供: 新纂浄土宗大辞典

ねんぶつじ/念仏寺

三重県伊賀市上野寺町光明摂取院。伊賀教区№一。開山純誉巌公。はじめ同所にあった光明寺の退廃によって、残存の本尊仏具をもって大和国筒井庄(奈良県大和郡山市筒井町)に創建。後、天正一三年(一五八五)筒井定次が伊賀へ移封されたのに伴って、大和国から再び移されたと伝えられ、俗に「大和寺」とも呼ばれる。本尊は国重要文化財木造阿弥陀如来坐像、また県重要文化財「紙墨書末代念仏授手印巻(書跡)」がある。


【資料】『蓮門精舎旧詞』一二


【執筆者:水谷浩志】


京都府八幡市八幡旦所。天照山光明院。京都教区№五九一。古くは観音堂といい、空也ゆかりの寺院であったという。その後、良暁門弟の念誉無業により浄土宗として開創された。また一六世紀には然誉知覚が中興している。江戸期に触頭ふれがしら寺院として、宗務に重きをなした。慶応四年(一八六八)、鳥羽・伏見の戦に際して諸堂を焼失するが、明治三三年(一九〇〇)に復興。往時には末寺一八、朱印地二石九斗余を有していた。


【資料】『浄土宗寺院由緒書』上(『増上寺史料集』五)、『男山考古録』一三、『末山触頭牒』


【参考】『山城綴喜郡誌』(京都府教育会綴喜郡部会、一九〇八)


【執筆者:加藤弘孝】