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新知恩院

提供: 新纂浄土宗大辞典

しんちおんいん/新知恩院

大津市伊香立いかだち下在地町。大谷華頂寺。滋賀教区№四三〇。応仁の乱の際、知恩院が疎開した寺院。応仁元年(一四六七)細川・山名の両有力守護が対立して、京都を中心として大乱が起こった。当時の知恩院住職珠琳じゅりん青蓮院の所領伊賀立に難をさけ、当院を建立し知恩院の宝物類を安置した。乱後、珠琳は上洛して知恩院を復興して宝物類を引き上げたが、法然御影だけは残していったという。これが新知恩院の現在の本尊である。永禄一一年(一五六八)織田信長より禁制を下され、慶安元年(一六四八)には徳川家光から五〇石の朱印地を与えられるなど、一寺として継続した。同院に残る弘安二年(一二七九)に良忠道光に授けた『授手印』や、長禄二年(一四五八)慶竺珠琳に授けた五重血脈浄土宗史上貴重な史料である。「絹本著色阿弥陀二十五菩薩来迎図」「絹本著色六道絵」は国の重要文化財。


【参考】『知恩院史』(知恩院、一九三七)、『浄土宗寺院由緒書』三一


【執筆者:宇高良哲】