操作

佛教大学

提供: 新纂浄土宗大辞典

ぶっきょうだいがく/佛教大学

学校法人佛教教育学園が設置する四年制大学。本部は京都市北区紫野北花ノ坊町。昭和二四年(一九四九)佛教専門学校の後身として設立された大学。佛教専門学校以来、一貫して宗侶の高等教育を担い、浄土宗立の一般に開かれた最高学府としての地位を占めるに至った。学校教育法は教育の機会均等をうたい、大学では通信教育や公開講座の施設を設けることができると規定している。本学はこの規程により昭和二七年(一九五二)一〇月通信教育課程の設置申請を行い、同二八年三月文部大臣から認可され、関西最初の、しかも仏教学では全国唯一の四年制通信教育課程が誕生し、同年八月第一回のスクーリングが開講された。翌二九年には社会科・宗教科の教職課程設置が認可され、同三二年四月に専攻科の開設が認められた。昭和三五年夏、法然上人七五〇年御遠忌を記念し、本館校舎の内外を改装して、一〇月二三日宗祖遠忌と校舎修築祝賀式典を行った。同三六年より学則を一部修正し、社会教育の各分野で活躍できる人材養成のため、図書館司書教諭、社会教育主事、博物館学芸員の資格課程が開講された。さらに、仏教精神をもって社会福祉事業界に挺身する人物を育成して、福祉国家建設の社会要請に応えるべく、仏教学科のほかに社会福祉主事、児童福祉主事資格を得られる仏教福祉学科の新設がはかられた。文部省の認定を受け同三七年度から一学部二学科の組織となり、通信教育課程もこれと並行し二学科とした。同三八年に分校独立五〇周年を迎えることになり、記念事業に図書館書庫・閲覧室の増設、研究室の新設が同三八年二月より起工し、同年一〇月に竣工した。かくて大学昇格条件の拡充整備を満たした。同四〇年には地方出身者の希望を満たすため学内に七五〇年遠忌大師号に因んで和順寮が竣工した。

佛教大学は開設以来昭和三〇年代まで、僧侶養成機関たる佛教専門学校の延長であった。一般家庭の子弟はきわめて少なく、社会に開かれた大学とは云い難く、大学の使命を果たしえないことになるので、学部を改廃し一般社会から馴染まれやすい大学にすることが大学の質的転換を招き、ひいては発展に結びつくと予想された。そこで、国文学科を新設し、仏教福祉学科を社会福祉学科に変更し、仏教学部を廃止して文学部を設置することにし、昭和四〇年四月より改組された。また本学校舎拡充計画に基づいて、近代的な設備をもつ本館建設(旧一号館)の第一期工事が同四〇年一〇月に着工、四一年三月に竣工した。建築に並行して文学部の充実がはかられ、同四一年度に史学科を増設し通信教育課程にも史学科が増設された。続いて、社会学部を開設し文学部より社会福祉学科を移行させ、同時に社会学科を新設して、同四二年一月設置認可され、通信教育課程にも両学科をもつ社会学部の設置が認められた。この間施設の面は本館の第二期工事が同四二年三月に竣工し、木造の鹿渓学舎を新本館北側東部に移築し鹿渓館と称し、教室や実習室、学友会室などに充てることにした。本館と並行的に建設を進めていた心理学研究室を中心とする新西館(二号館)の一部も同四二年三月末に完工した。同四月には女子学生の増加に伴い、京福等持院駅近くに女子寮として衣笠寮が開設された。同四三年四月から文学部に教育学科が増設され、教育現場の要請にこたえうる教員養成を目指すことになった。また同年二月には保母養成校指定の適用を受け、社会福祉学科において保母資格の取得が可能となった。

一方大学院の拡充も志され、修士課程二ヶ年が終了する段階で、博士課程の増設を申請、同四四年三月文学研究科博士課程仏教学専攻の設置が認可された。同四五年四月西館(二号館)が竣工した。大学院は昭和四六年度に社会学研究科が新設され、修士課程の社会福祉学専攻が開かれ、また文学研究科に修士課程の日本史学と東洋史学の二専攻が増設され、五専攻を要する大学院となり一段と充実した。また大学院修士課程に準ずる専攻科(仏教学浄土学)が設置された。

このように年々教育機構の充実、施設の拡大がはかられ、それに対応して学生数も飛躍的に増大し、従来の図書館では多角的研究機関としての役割が不備となり、同四七年に迎える六〇周年記念事業の一環として図書館を建設することとなった。本学同窓および全国浄土宗寺院、在学生保護者の賛助支援で、同四七年四月に竣工した。合わせて教室不足解消のため北館(三号館)が完成した。学内環境整備に着手し正門から図書館前の前庭修築にかかり、浄土宗管長岸信宏下筆による法然一枚起請文の一節「智者のふるまひをせずしてただ一向念仏すべし」の文が刻まれた自然石を中心に配された。また、仏教文化研究所仏教社会事業研究所浄土宗文献センタ—が四月に開設された。その後英文学科・附属幼稚園・岩倉総合グランド・佛教大学教育振興会・別科(浄山道場開設)・黒谷道場開設、建学の碑造営、佛教大学物故者供養塔造営、鷹陵館(総合体育館)・四条センター開設、旧北グランドに五・六・七号館・鹿渓館(学生会館)等を設置。研究室の整備計画により校地西側に八・一〇・一一号館が竣工した。平成一六年(二〇〇四)に学部に改組・改変が大きく行われ、社会福祉学部が開設された。同一八年には五つ目の学部として保健医療技術学部が設置され五学部となった。同年より佛教大学一〇〇周年記念事業キャンパス整備が計画され、紫野校地および二条キャンパス開設が計画され、また礼拝堂に設置するための善導法然両大師像が造られた。さらに同二二年文学部を改組して、仏教学部・文学部・歴史学部の三学部の形をとり、同二四年に保健医療技術学部に看護学科を開設、七学部一四学科の体制となった。同二三年四月二条キャンパスが開校し、保健医療技術学部の拠点となった。


【参考】『佛教専門学校一覧』(佛教専門学校、一九三九)、『躍進する佛教大学』(佛教大学、一九八二)、『佛教大学史』(同、一九七二)、『佛教大学の現況』(平成二三年度版)


【参照項目】➡佛教専門学校浄土宗専門学院佛教教育学園


【執筆者:福𠩤隆善】