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懺悔

提供: 新纂浄土宗大辞典

さんげ/懺悔

犯した罪などを反省して告白すること、さらに、それによって許しを請うこと。仏教において罪を滅し、身を清めるための最も重要な行いの一つ。悔過けかと同義語。懺はⓈkṣamāの音写語である懺摩の略とされ、この語の使役形Ⓢkṣamayatiは許しを請うという意、悔は罪を悔いるという意。懺悔について『根本説一切有部毘奈耶』一五で、義浄は「懺は是れ西音、悔は是れ東語」(正蔵二三・七〇六上)としているように、音写語の懺と、訳語の悔を組み合わせた語とする。ただしその直前には「悔罪とはもと阿鉢底提舎那という」と述べており、懺悔の「悔」とは「悔罪」を意味する語であって、Ⓢāpatti-deśanāに対応する語であることがうかがえる。またⓈdeśanāが懺悔と訳されることもある。懺悔が音写語と漢語の組み合わせであることの指摘は浄影『観経義疏』(正蔵三七・一七七下)などにも見出せ、良忠伝通記』(浄全二・二六二上)もこれを引いている。仏教における懺悔の基本は、自らの罪を告白することである。すなわち教団において罪を犯した比丘がいたならば、布薩等の場において他の比丘の前で罪を認め告白し、それが聞き入れられることによってその罪が許される。それゆえ懺悔は正直になされるべきものであり、ありのままの罪を認め、それを告白することで成立する。懺悔は、部派仏教では他の比丘の前で行うものであったが、大乗仏教ではそれ以外に仏・菩薩像の前での懺悔が説かれる。『梵網経』では菩薩戒を得たいと願うものは、仏・菩薩形像ぎょうぞうの前で七日間の懺悔を行い、仏の好相を見ることで戒を得るとする。このような仏像の前での懺悔は『観経疏』にも「仏の形像に向かって現在の一生に、無始より已来このかた、すなわち、身口意業に造る所の十悪五逆、四重、謗法ほうぼう闡提せんだい等の罪を懺悔すべし」(聖典二・二四三/浄全二・三六上)と説かれ、中国でも受け入れられていたことがうかがわれる。さらに懺悔出家後に行われるだけでなく、戒を受ける際にも必要とされる。先の『梵網経』もその一例であり、また浄土宗においても円頓戒受戒のときには、清浄なる戒を受けるにあたり、懺悔を行い身の清浄を得る。


【参照項目】➡懺悔滅罪悔過十二門戒儀


【執筆者:石田一裕】