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部派仏教

提供: 新纂浄土宗大辞典

ぶはぶっきょう/部派仏教

釈尊入滅後に分立した諸派の仏教釈尊入滅して一〇〇年ほどたった頃、教団戒律解釈をめぐって対立し、その結果、保守的な上座部とこれに反発する大衆だいしゅ部とに分裂した。これを根本分裂とも、ヴァイシャーリーでこの会議が開催されたことにちなんでヴァイシャーリー結集または第二結集とも呼ぶ。戒律の緩和を主張したのは、当時の商業都市ヴァイシャーリーの出家者たちである。水・陸の交通の要所であるこの地では商業が発達し、革新の気風に満ちていた。交易はカーストなどと無縁で成り立つ。それゆえ当地の人びとの間には平等、自由という思想が台頭していた。そうした思想は、仏教教団にも反映し、厳しい戒律を緩めよという主張となっていった。そうした出家者は、後に「大衆部」と呼ばれるようになった。これに対し、南インド方面、特にアヴァンティ、デカン方面に教線を拡大していた出家者たちは戒律を緩めることに強く反対した。南インド・デカン方面の地域はすでにバラモン教やジャイナ教が伝播していた地域であり、そうした地で仏教を広めるには戒律を厳格に守する必要があるため、伝統重視の厳しい立場をとった。彼らの系統はいうなれば保守的であるため上座部と呼ばれた。ひとたび教団が二派に大きく分裂するや、その傾向は加速度的に強まり、さらに細かく分裂し始めた。これを枝末しまつ分裂と呼ぶ。その経緯は次の三点にまとめられる。①教説や戒律解釈の相違というような思想的違いが生じた。②教団の発展につれ、各地に教団が分立し、地理的な事情から主張の独自性が起こった。③バラモン教など、他宗教に対する仏教側の姿勢の違いが生じた。こうして最終的に小乗二〇派(小乗とは大乗側からの貶称へんしょう)といわれるように、仏教教団は二〇ほどに分立した。二〇派の中で特に重視すべきものに上座部系では説一切有部・経量部・根本有部・法蔵部・犢子とくし部・正量部、また大衆部系では説出世部がある。そうした諸部派の中でももっとも政治的、経済的基盤を得ていたのが説一切有部である。彼らは僧院にこもり精緻な仏教哲学を構築した。この教学をアビダルマという。根本分裂から紀元前後に大乗仏教が成立するまでの数百年の仏教部派仏教小乗仏教アビダルマ仏教との三つの呼称がある。


【参考】静谷正雄『小乗仏教史の研究』(百華苑、一九七八)、『アジア仏教史・原始仏教と部派仏教』(佼成出版社、一九七五)、塚本啓祥『初期仏教教団史の研究』(山喜房仏書林、一九八〇)


【参照項目】➡上座部大衆部結集


【執筆者:西村実則】