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毘沙門堂

提供: 新纂浄土宗大辞典

びしゃもんどう/毘沙門堂

京都市山科区安朱稲荷山町。天台宗門跡寺院。平安時代末、平親範たいらのちかのり(想蓮房円智)が大原に建立した尊重護法寺が母体。本尊毘沙門天像。建久六年(一一九五)京中の出雲路に移転(京都市上京区毘沙門町)、毘沙門堂と通称され中世を通しこの地で発展する。顕密双方の法流を伝え、とくに明禅は天台顕教の名匠で、彼を祖とする毘沙門堂流は中世天台の有力流派となる。鎌倉中期の公豪以後は三条家より代々後継を迎え、梶井門跡の脇門跡の地位を確立した。山上坊は林泉坊。桜花の名所としても聞こえた。中世末の公厳のとき寺領の退転で後継が絶えるが、江戸時代に天海・公海により山科に再興され、公弁法親王入寺で近世的な門跡寺院として再出発する。


【参照項目】➡明禅梶井門跡


【執筆者:善裕昭】