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弾誓

提供: 新纂浄土宗大辞典

たんぜい/弾誓

天文二一年(一五五二)四月一五日—慶長一八年(一六一三)五月二五日。尾張国海辺村の人。父は不詳、母は青山氏。幼名を弥釈丸というが、これは弥陀釈迦二尊を表す。九歳にして出家し、名を弾誓と改める。その後美濃、近江、花洛(京都)、摂津一の谷、紀州熊野三社等の各地を遊行し、慶長二年(一五九七)一〇月一五日、佐州(佐渡)において、生身阿弥陀仏を拝し授記を受け、十方西清王法国光明満正弾誓阿弥陀仏となって『弾誓経』六巻を説法する。その後は甲斐、信濃を経て江戸に至り、幡随意より白旗一流の法を授かる。そして再び花洛に戻ったとき古知谷こちだにに瑞雲がたなびくのを見て最後の修行地と定める。そこで自身の頭髪を植えた本尊を刻み、光明阿弥陀寺を建立。六二歳で入寂するが、その遺骸は石棺に納め本堂脇の巌窟に即身仏として安置されている。長髪、草衣、木食もくじきという弾誓の僧風は澄禅念光らに受け継がれその流れは浄土宗において捨世派の一流と位置づけられている。


【資料】『弾誓上人絵詞伝』(浄全一七)、『緇白往生伝』中(続浄一七)、『続日本高僧伝』九(仏全一〇四)


【参照項目】➡捨世派弾誓上人絵詞伝


【執筆者:兼岩和広】