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竹石耕善

提供: 新纂浄土宗大辞典

たけいしこうぜん/竹石耕善

明治七年(一八七四)七月一四日—昭和四四年(一九六九)一月二六日。天蓮社真誉独朗阿。鎌倉光明寺一〇六世。福岡市洲崎町(現・福岡市中央区)の矢野利右衛門の三男として生まれる。明治一五年(一八八二)に福岡正光寺の松山天随の下で得度し、後に糟屋郡青柳村(現・福岡県古賀市)の竹石聖善の養子となった。長じて、浄土宗鎮西教校を経て、浄土宗高等学院に進んだ。同三三年に専門学院を卒業した後、浄土宗第一教校教授に任じられる。同四三年には千葉大巌寺に晋住、同四四年には宗務執事となり宗学部長に補せられるが、大正二年(一九一三)に教学部が創設されると同部長に任じられ、同一一年には執綱に就任した。その後も、宗門のために種々の貢献をなし、昭和一五年(一九四〇)に鎌倉光明寺住職を拝命し、戦中戦後の同寺を支えた。同二四年には長谷寺の復興事業のために退山、長谷観音の復興に尽力した。世寿九四歳。著書に『浄土聖訓』(村松書店、一九〇八)がある。


【執筆者:江島尚俊】