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増上寺文書

提供: 新纂浄土宗大辞典

ぞうじょうじもんじょ/増上寺文書

東京都港区芝増上寺に所蔵する古文書。現存するものは、天正一一年(一五八三)正親おおぎまち天皇が長伝寺住持であった存応に与えた香衣綸旨をはじめ、寛永二〇年(一六四三)までの書簡は約四〇通。それ以後のものは日鑑所収の文書まで含めると膨大な数にのぼる。増上寺は明徳四年(一三九三)に聖聡がその前身とされる光明寺を復興して開基したといわれ、関東の名刹として隆盛となったが、当時の状態を裏づける史料はない。増上寺に関する文書の最初は、天正一八年(一五九〇)豊臣秀吉の禁制で、このころから住持存応徳川家康との関係が密接となり、徳川家菩提所として不動の位置を占める。現存する浄土宗法度は、家康の花押のあるもので、このとき諸宗に与えられた法度の中でも、極めて貴重なものである。このようにして寛永頃までに増上寺は内外ともに整備されるが、その充実する過程を証拠づけるのが約四〇通に及ぶ初期の増上寺文書である。その後もこの種の文書が存在したと考えられるが、現存しない。数多く残存する日鑑類を整理すれば、その欠を補うことができると推測される。ただ未整理文書の中にある多くの貸出証文は、江戸時代における増上寺の経済状態を明かすと同時に、大名をはじめとする社会相を明らかにすることができる史料である。なお戦後購入された公家文書も存在するが、増上寺は数回の火災にあったため、大部分のものは散逸または焼失した。この他、『筆跡類聚』は、増上寺文書を集録したものとして貴重である。浄土宗史の研究、とくに近世初期の教団史研究には重要なものである。


【参考】『増上寺史料集』一「増上寺文書」


【執筆者:宇高良哲】