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窪川旭丈

提供: 新纂浄土宗大辞典

くぼかわぎょくじょう/窪川旭丈

明治七年(一八七四)—昭和二〇年(一九四五)一一月二一日。瑞蓮社龍誉天阿、あざなは孤峯。鎌倉光明寺一〇四世。山梨県山梨郡玉宮村(現・甲州市)に窪川増太郎の次男として生を受け、のち瑞泉寺久米原単丈について得度し、漢書を明倫学舎で修めた。明治三一年(一八九八)浅草龍寳寺に晋董、その後浄土宗高等学院え、以来布教を志し日夜修練を重ね、同三九年七月第一大教区視教となった。同四〇年宗会議員、同四二年宗務執事となり教学部長、布教部長、庶務部長を歴任し、大正七年(一九一八)一一月川越蓮馨寺に進み、昭和四年(一九二九)鎌倉光明寺貫首に就任した。同九年四月増上寺布教師会を設立し、初代会長に就任。同一二年一〇月光明寺を辞し、ハワイ開教区監督となり、翌年正月ホノルル開教院に赴任した。同年三月アメリカ開教区と改称されたが引き続き監督となり、終生を開教事業に捧ぐべく献身的努力を重ねたが、日米開戦にともない米国本土に抑留され、その後抑留交換船で帰国、後示寂した。


【執筆者:窪川和順】