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瑞泉寺

提供: 新纂浄土宗大辞典

ずいせんじ/瑞泉寺

甲府市中央。青竜山深心院。山梨教区№一。明応七年(一四九八)開山昊誉運公は鎌倉瑞泉寺の名跡を甲州古府中(甲府市古府中町)へうつし浄土宗錦屛山瑞泉寺を開創。足利尊氏の四男基氏(瑞泉寺殿昕公大居士)を遷祀せんしして開基とする。文禄三年(一五九四)八世順的代、徳川幕府による甲府城築城計画にともない現在地に移転、現山号とする。昭和二〇年(一九四五)七月、戦災により本尊像・過去帳他を除き諸堂全焼、現本堂は同四五年建立。


【資料】『蓮門精舎旧詞』一七、『甲斐国社寺記』四


【執筆者:粂原勇慈】


京都市中京区木屋町三条下ル石屋町。慈舟山。浄土宗西山禅林寺派本尊は伝円珍作阿弥陀如来像。文禄四年(一五九五)、豊臣秀吉の甥、前の関白秀次が高野山で自決すると、秀吉はその首を三条河原にさらし、その前で夫人以下、側室や子息ら三十余人を一度に斬り一坑に埋め、その上に大きな塚を築いた。これを「秀次悪逆塚」、「畜生塚」という。慶長一六年(一六一一)、角倉了以すみのくらりょういがこの塚の荒廃を嘆き、大仏殿再建の余材をもって開創した。寺号の瑞泉は秀次の法名である。


【資料】『都名所図会』一、『雍州府志』四、『京都坊目誌』下六


【執筆者:伊藤正順】