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岸了

提供: 新纂浄土宗大辞典

がんりょう/岸了

正保四年(一六四七)—享保元年(一七一六)七月一七日。入蓮社通誉仰阿到彼。知恩院四四世。伊勢国に生まれ、松坂樹敬寺超誉祖山について得度。のち増上寺学寮に入り、学寮主、太田大光院二四世、鎌倉光明寺五六世を経て正徳五年(一七一五)六月一九日、台命をうけ六九歳にして知恩院四四世となる。翌年三月二二日に継目礼拝のために参府、その時に将軍徳川家継の薨去に遭い、五月一九日増上寺での葬送に納経礼拝している。六月二日に帰洛してまもなく病に倒れ入寂。存命中、知恩院に大塔建立を発願し江戸在府中に浄財勧募を行ったが、在位極めて短くついに実現することはなかった。なお『浄源脈譜』には鎌倉光明寺五五世としており諸説ある。


【資料】『華頂誌要』『浄源脈譜』(共に浄全一九)、総本山知恩院史料編纂所編『知恩院史料集』日鑑・書翰篇六、井川定慶『知恩院史』(知恩院、一九三七)


【執筆者:伊藤弘道】