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大島泰信

提供: 新纂浄土宗大辞典

おおしまたいしん/大島泰信

明治七年(一八七四)三月二四日—昭和二七年(一九五二)三月一八日。和合心院同蓮社海誉入阿。空方といった。宗教学者。また長年にわたり浄土宗史を講ずる。愛知県海部あま郡市江村本部田(現・愛西市)にて、大島兵右衛門の次男として生まれ、明治二二年(一八八九)四月に、愛知県長谷院の加藤泰道を師として得度、名を泰信と改める。師の寂後、武田芳淳の弟子となる。泰信の三男で小説家の武田泰淳は武田芳淳の遺言により武田の姓を名乗ったという。浄土宗学名古屋支校・宗学本校に学び、同三一年九月より内地留学生として宗教学の研究を命ぜられ、第一高等学校、同三五年九月には東京帝国大学文科大学哲学科に入学。姉崎正治に師事して宗教学を修め、同三八年に卒業。同期生に椎尾弁匡がいた。その間の明治三三年(一九〇〇)、椎尾弁匡と共に小石川伝通院の西側に興学舎という学寮を設立して学生の指導に当たっていたという。東京帝国大学を卒業後、大学院に進学する一方、浄土宗大学講師に任ぜられ、浄土宗史を担当し、その後、宗教大学大正大学の教授として宗教学を講じ、昭和九年(一九三四)には宗教学研究室主任、同一六年には文学部長と、要職を歴任した。この間、明治四三年(一九一〇)に東京本郷の潮泉寺に住持し、昭和五年(一九三〇)には目黒の長泉院に転住した。同二七年三月、七九歳で遷化する。著作に『仏教読本』(椎尾弁匡と共著〔一九〇七年三月刊〕)、浄土宗典刊行会の依頼を受けて執筆した『浄土宗史』がある。


【参考】大橋俊雄『浄土宗近代百年史年表』(東洋文化出版、一九八七)、同『浄土宗人名事典』(斎々坊、二〇〇一)、『武田泰淳全集』全二〇巻(筑摩書房、一九七八~九)


【参照項目】➡武田泰淳浄土宗史


【執筆者:齊藤舜健】