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授菩薩戒儀

提供: 新纂浄土宗大辞典

じゅぼさつかいぎ/授菩薩戒儀

一巻。通称『妙楽十二門戒儀』。湛然著。八世紀成立。智顗をはじめとする古徳および『梵網経』『瓔珞経』などの戒本を参考に授戒作法を十二門の次第にまとめたもの。開導三帰請師しょうし懺悔発心問遮もんしゃ授戒証明しょうみょう現相説相広願勧持の一二。第一一広願には、受戒に伴って発願することを勧め、懺悔受戒発心功徳をもって一切衆生に施し、共々に極楽阿弥陀仏の御前に生じ無生法忍を悟ることを理想とすると述べている。後世授戒儀軌の基本として尊重されてきた。


【所収】聖典五、浄全一五


【参照項目】➡十二門戒儀


【執筆者:渋谷康悦】


一巻。『授菩薩戒儀則』いわゆる『黒谷古本戒儀』。湛然の『授菩薩戒儀』を基本に受け継ぎその内容を解説したもの。中古以来、叡空まで伝来され法然黒谷で使用していた本とされる。十二門各節での作法を懇切に解説しており第四懺悔懺悔偈を、第五発心四弘誓願を唱える点にその特色が出ている。瓜連うりづら常福寺聖冏真筆本では、第七正受戒の条に相伝戒として毘盧遮那仏釈迦牟尼仏から叡空法然を経て聖冏に至る浄土宗嫡嫡ちゃくちゃくの系譜を記し、そこで相伝される戒法を発得戒として三聚浄戒を詳説している。大本山増上寺伝宗伝戒道場において用いられる。


【所収】聖典五、続浄一二


【執筆者:渋谷康悦】


一巻。いわゆる『新本戒儀』。『黒谷古本戒儀』に対する呼称。内容は湛然の『授菩薩戒儀』に基づき、『黒谷古本戒儀』の解説部分を簡略にして作法の指示を付したもの。法然が嵯峨二尊院で記し湛空に授けたものとされる。信阿宅亮の跋文によると、尊統法親王が朝廷に働きかけて二尊院の宝庫を開かせ、本書を師にあたる梁道に書写させて公開した。以後、江戸中期より広く流布して檀林においても戒の授受に用いられるようになったという。現在も総本山知恩院伝宗伝戒道場において用いられている。


【所収】聖典五、続浄一二


【執筆者:渋谷康悦】


一巻。『机受戒略戒儀』ともいう。九世紀成立。聖冏顕浄土伝戒論』の定義における広・中・略の三種の戒儀のうち、第三の略に該当する、極簡略化された授戒作法を説く書。三帰三聚浄戒十重禁戒の一六条に絞って説き、これを授ける。在家信者への結縁のために用いられたとされる。跋文には、天台宗において慧亮が説戒した旧儀を伝信・隆禅が再興した戒儀であるが、長く秘蔵されていたものであり、全長が求めて『顕浄土伝戒論補註』とともに享保二年(一七一七)に出版したと明示されている。


【所収】続浄一二


【執筆者:渋谷康悦】


一巻。『庭儀戒儀』『広戒儀』ともいう。作者不明。成立年代不明。『十二門戒儀』を授けるための庭上儀式の作法次第を記したもの。庭儀に依って行ずる場合は、「楼門道」および「堂前」の儀式をするという。戒和尚の房の前庭から列を組んで堂前に到り、上堂した後に授戒作法を説く。その際に戒和尚運心結界教授師の行儀を説くなどの大乗戒には見当たらない作法がある。また釈迦・文殊・弥勒・一切三宝と共に、弥陀・観音・勢至に敬礼することから、この戒儀大乗戒に属し、浄土宗に属することがわかる。戒和尚表白や十二門の内容については省略されており、受者・教授師の退出、戒和尚解界下座の後、内道場伝法の儀式を行うべしと述べている。末尾に、義柳別記の「戒壇荘厳略図」が附記されている。聖冏の『顕浄土伝戒論』にある広(庭儀)・中(堂上)・略(机)の三種戒儀の「広戒儀」にあたると考えられ、全長の『顕浄土伝戒論私記』によれば、「広を庭儀と言うは、露地庭上に於て壇を築き授戒するの儀則なり」とある。また、『授菩薩戒儀(机)』(『机受戒略戒儀』)に附された全長の奥書によれば、「庭儀の広本、即ち妙楽の『十二門戒儀』」(続浄一二・八下)とする。


【所収】続浄一二、仏全七二


【参照項目】➡義柳


【執筆者:原口弘之】