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大宮智栄

提供: 新纂浄土宗大辞典

おおみやちえい/大宮智栄

明治一八年(一八八五)六月一日—昭和五九年(一九八四)七月二日。瑠璃光院殿明蓮社玉誉霊阿本誓宗円大本山善光寺大本願一一九世。東宮侍従大宮以季もろすえ子爵次女として京都に生まれ、明治二九年(一八九六)大本願一一七世久我誓円を師として入山得度。付弟として伝宗伝戒相承の後、副住職を経て大正元年(一九一二)晋山。以来昭和三六年(一九六一)引退まで、二回の世界大戦期を含む半世紀、仏都長野市のシンボルと仰がれた。北は有珠善光寺から南は台北善光寺別院に及ぶ津々浦々に巡錫教化の足跡を留める一方、大正二年(一九一三)三月の「浄土宗第二・第三連合宗学教校」(長野市西長野)の焼失閉校の翌年九月に、大本願内に新設された「浄土宗長野普通教習所」所長に就任、昭和六年(一九三一)の閉所に至るまで、親しく書道・茶道の教化を担当、技能と情操の涵養に慈愛を傾注した。同一三年京都光照院門跡を兼務、同二九年大本願大本山昇格に伴い法主就任。翌年大僧正正司教に昇進。六年後に引退、東京世田谷に隠栖しつつも同四〇年には、長野県更級郡上山田町(現・千曲市上山田)に城泉山観音寺を開創して大悲無倦の範を示す。遡って前記「教習所」開設を控えた六月一五日「新築明照殿開殿式」に引き続き、設立総会の開催された「明照婦人会」総裁として、たび重なる災害時の義援金勧募をはじめ、華道部、茶道部など僧俗一体の「女性による仏教活動」の拠点を確立し、昭和二七年(一九五二)設立の「全日本尼僧法団」の初代総裁としては、宗派を超越する「尼僧たちによる仏教活動」の基盤を構築した。法要中の「大導師十念」は、善光寺如来憶念のゆえか「総身の口伝」に基づく五・三・二、「同称十念」は四・四・二で、嫋々じょうじょうたる「切十念」と共に、聴く者の耳底に永く温かく留まる余韻があった。


【執筆者:袖山榮眞】