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位牌

提供: 新纂浄土宗大辞典

いはい/位牌

戒名などを記した木の札に台座をつけた仏具戒名命日俗名・行年を記す木の札と蓮台台座からなり、この蓮台如来蓮華座に座すように、札に記された死者が極楽往生したことを顕した形になっており、浄土教的には「蓮華化生」を表す。なお、習俗的には「死者の依代よりしろ」として、社会的には「位牌持ち」というように継承者を意味するものでもある。位牌の起源には諸説がある。司馬遷『史記』上に周の「文王の木主もくしゅをつくり」とあり、これが位牌濫觴らんしょうとする説がある。後世の注釈には、木主が霊のより所とした位牌のようなものであるとしている(本紀、周本紀第四、『中国古典文学大系』一〇・三七下)。また、儒教の祖霊祭に用いられる位官と姓名を書いた位版(神主しんしゅ)を、禅僧が宋よりもたらして仏教に転用したという説、また日本の魂祭りに用いられた霊代れいだい(神や霊の依代)を起源とする説などがある。位牌という語彙ごいは宋の時代になって用いられ、このふだに在世の位官姓名を書きしるして、その神霊をこれに託してより所としたので位牌と称したという。日本では、天文元年(一五三二)刊の観勝寺行誉『塵添壒囊鈔じんでんあいのうしょう』一六(位牌の事)に、『太平記』三五の西明寺入道北条時頼回国での位牌の話を引用しているので(仏全一五〇・三八八下)、『太平記』の書かれた一四世紀には位牌が祀られていたことがわかる(『日本古典文学大系』三六、三二三)。さらに永禄九年(一五六六)刊の天倫楓隠『諸回向清規』四に、在家の位牌の書式が成文化されていることから([1]、一六世紀には在家の間にも広まり、江戸時代になって広く一般化されたと考えられる。位牌は死者の往生を願い追善供養するために、葬儀では祭壇中央に祀り、葬列では喪主が持ち、追善法要では回向壇上に、仏壇では本尊より下の棚に安置し、お盆のときには精霊棚しょうりょうだな(盆棚)に移し出し、香華・茶灯・飲食などを供え、誦経念仏して追善回向している。位牌には、生前に作る「逆修牌」と死後に作る「順修牌」とがある。逆修牌は寿牌ともいい、五重相伝授戒会などで誉号戒名を授かり生前に作るものをいう。生前戒名寿号ともいい、存命中は戒名位号の上の二文字)を朱文字で記している。順修牌は死後に作られる位牌のことで、これに位牌うち位牌(家位牌・本位牌)・寺位牌がある。野位牌と内位牌は、葬具として死後直ちに作られる白木の位牌で、野位牌は野辺送りのときに埋葬所へ安置し、内位牌は家の祭壇に四九日間安置する。白木位牌には戒名等を記した戒名紙を貼ることがあり、その戒名の中央に三宝印降魔ごうまいんという押し方で押す。内位牌を七七日忌以降も本位牌として仏壇に祀る場合もあるが、本位牌は七七日忌頃に塗り位牌に作り替えるのが一般的である。親が死亡すると継承者以外にも結婚している息子・娘に位牌を作り、それぞれの家の仏壇に安置する(位牌わけ)地域もある。白木の位牌から塗り位牌に替えるときと、新たに位牌を作る場合には、霊位が位牌に住するようにと念じて開眼式を行う。三三回忌などの弔い上げが済むと、「位牌まくり」などと称して、寺に納めて浄焚(お焚き上げ)または「先祖代々」の位牌にしたりするが、そのまま仏壇に安置する場合もある。寺位牌は寺に納めて寺で供養を受ける位牌で、祠堂位牌ともいう。また、位牌の札の部分には、一つの位牌に一霊だけでなく、夫婦または複数の戒名を記して一蓮托生を表す場合もあり、先祖代々・戒名の他にも回向勧請対象の仏菩薩精霊名などを記す盆牌ぼんぱい三界万霊牌があり、「今上牌きんじょうはい」という天皇を祝聖しゅくしょうする尊牌もある。位牌の型には板位牌・繰り出し位牌など数種がある。無縫塔位牌は、卵のような形をしていることから卵塔ともいい、能化用として用いている。雲型袖付位牌は頭部と両袖に雲の形状の装飾をあしらったもので、開山・中興上人、また将軍や大名などの大檀越に用いている。繰り出し位牌宝珠の付いた屋根、牌身に観音開きの扉を付け、内部に戒名などを記した何枚かの木札を納められるもの。櫛型位牌は板位牌ともいい、頭部が櫛の形に作られたもので、一霊用・夫婦用など、記す戒名の数に応じて札幅に種類がある。繰り出し位牌、板位牌は一般的には檀信徒用として使われている。


【参考】五来重『葬と供養』(東方出版、一九九二)、藤井正雄『祖先祭祀の儀礼構造と民俗』(弘文堂、一九九三)、多田孝正『位牌はどこから来たのか』(興山舎、二〇〇八)


【参照項目】➡三界万霊牌盆牌


【執筆者:西城宗隆】


位牌(左から無縫塔型、雲型袖付、繰り出し、櫛型、白木2種)