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葬具

提供: 新纂浄土宗大辞典

そうぐ/葬具

葬式の際に用いる諸用具。祭壇に関する香炉・燭台・四華しか・枕団子や枕飯まくらめしなどの供物、遺体・遺骨に関する経帷子きょうかたびら頭陀袋ずだぶくろ・笠・杖・草履ぞうり六文銭・棺桶・骨壺、葬列に関する炬火たいまつ松明たいまつ)・竜頭たつがしら・花籠・大幡おおばた(四本幡)・輿こし、また位牌七本塔婆などがある。かつて葬具は地域の人びとによって作られることが多かったが、江戸期には都市部を中心として専門の葬具業者が出現している。葬具業者の文献での初見は、貞享五年(一六八八)刊行の井原西鶴『日本永代蔵』に見られ、遺体を運ぶ駕籠かご烏帽子・白小袖・袴といった喪服など葬具の貸し賃で財をなした京都町人が描かれている。近世における畿内の場合でみると、葬具業者は、京都・大坂・伏見といった主要都市を中心に一七世紀後半には一定の定着を見、在方においても、少なくとも一八世紀半ばには出現し、一九世紀に至っては、近接する村々に複数の葬具業者が存在するほど一般的に見られるようになった。大正期以降、都市部を端緒として葬列が廃止される傾向が強まり、近年、竜頭、輿、花籠、幡などが見られることは稀になってきた。昭和三〇年(一九五五)からは祭壇が華美になる傾向が強まり、浄土をモチーフとした白木祭壇が主流となったが、近年では生花祭壇など多様化した祭壇が見られる。また死装束、棺桶、骨壺などにも多様な様式のものが見られるようになっている。


【資料】井原西鶴『日本永代蔵』(『日本古典文学大系四八 西鶴集 下』岩波書店、一九六〇)


【参考】五来重『葬と供養』(東方出版、一九九二)、山田慎也「死を受容させるもの—輿から祭壇へ—」(日本民俗学会『日本民俗学』二〇七、一九九六)、木下光生「近世葬具業者の基礎的研究」(大阪市史編纂所『大阪の歴史』五七、二〇〇一)


【参照項目】➡葬具書式


【執筆者:名和清隆】