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板倉貫瑞

提供: 新纂浄土宗大辞典

いたくらかんずい/板倉貫瑞

明治二八年(一八九五)四月四日—昭和五三年(一九七八)一〇月二一日。祥蓮社霊誉円阿宝光。宗門功労者。現在の愛知県稲沢市平和町新開に生まれ、旧姓は伊藤氏。同郷出身の縁故で京都西園寺大野誓貫のもとに入門し、貫瑞と号した。大正七年(一九一八)山下現有より宗戒両脈相承、翌八年佛教専門学校を卒業し、同九年鴨川組常林寺住職となる。当時法式調査会委員であった師僧について法式を習得、また天台声明宗家多紀道忍にも師事して声明を習得。折しも法式作法の全国統一がはかられた時代背景のもと、浄土宗法式協会設立に寄与し、昭和五年(一九三〇)四月法要集編纂委員、同一〇年法式協会常務理事、法式審議会主査、浄土宗法式指導員となり、翌一一年から伝宗伝戒道場勧誡師をはじめ各種講習会に東奔西走しつつ、『法要集』の普及指導に全力を注いだ。知恩院にあっては大正一〇年(一九二一)以降、式衆・式務・式務長・法務部長を歴任、法式指導所講師・法儀研鑽会委員などの要職をつとめ、この間御忌唱導師を七回奉仕、璽書伝授勧誡師となるなどの功績により、知恩院からは、昭和三五年(一九六〇)宿老、同五二年耆宿ぎしゅくの待遇を受け、宗門からは昭和三八年(一九六三)に法儀司に叙せられ、同五二年宗門功労者の表彰を受けた。永らく佛教大学法式講師として若き子弟の養成に尽力した。その指導の様子からは厳しい人柄の印象が強いが、自坊にあっては毎日、日没施餓鬼は欠かしたことがなかったという信念の人でもあった。著書に『蓮門小子の枝折』(浄土宗、一九七一)。開宗八〇〇年記念に編集した『蓮門勤行諸経偈要集』(総本山知恩院式衆会、一九七三)がある。


【執筆者:清水秀浩】