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長谷川良信

提供: 新纂浄土宗大辞典

はせがわりょうしん/長谷川良信

明治二三年(一八九〇)一〇月一一日—昭和四一年(一九六六)八月四日。礼譲心院温蓮社謙誉恭阿。贈大僧正勧学。冬民と号す。日本社会事業の先駆的指導者。「宗教・教育・社会事業の三位一体による人間開発・社会開発」を主唱。現在の茨城県笠間市に生まれ、五歳のとき同県真壁得生寺小池智誠の養子となる。明治三八年(一九〇五)上京し浄土宗第一教校宗教大学に学ぶ。在学中に生涯の恩師、渡辺海旭に出会い社会事業を志す。大正四年(一九一五)卒業とともに東京市養育院巣鴨分院に就職。同七年四月宗教大学社会事業研究室が開設すると理事となり、一〇月東京西巣鴨の通称「二百軒長屋」と呼ばれるスラムに身を投じ、翌年一月隣保事業「マハヤナ学園」を創設。同一〇年宗教大学講師、一三年同教授となる。戦後の昭和二四年(一九四九)大乗淑徳学園を創立し、同二六年に千葉市の大巌寺住職に就任すると、同四〇年寺域に淑徳大学を開学して幼稚園から大学に至る総合学園を完成。また晩年にはサンパウロに日伯寺を創建するなどブラジル開教にも尽力した。著作は『長谷川良信全集』全四巻(日本図書センター、二〇〇五)に収載。


【参考】長谷川匡俊『トゥギャザー ウィズ ヒム—長谷川良信の生涯—』(新人物往来社、一九九二)


【参照項目】➡大乗淑徳学園南米開教区


【執筆者:長谷川匡俊】